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平成29年2月25日 磯部浅一・登美子墓参

2.26事件から明日で81年を迎えるにあたり、事件の指導者の一人である元陸軍一等主計・磯部浅一および妻・登美子が眠る小塚原回向院(東京都荒川区)を訪れ、墓参しました。

磯部は事件により刑死しますが、それまでの間に激烈な憤りを記した手記を綴っています。また陸軍中尉・栗原安秀も鬼気迫る遺書をしたためています。

三島由紀夫は『英霊の声』の中でこれら青年将校の憤りを描き、青年将校らは「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」という絶叫のような恨みを繰り返します。

神道家・葦津珍彦は三島『英霊の声』の批評にて、彼ら青年将校は真木和泉守や西郷隆盛のような烈々たる禁闕への思慕の情がありながらも、あえて賊徒として散った人々とは異なり、あくまで勅命を奉じた武人・軍人であり、それ故に賊徒の汚名が断じて許せず、「英霊」ならぬ「怨霊」として荒ぶのだとし、その鎮魂に思い至ったとします。

また、思想史家・松本健一は、

戦前の日本は軍国主義化していて、軍隊の統帥権が天皇にあり、結果として天皇の軍隊になっていたというのは、その通りだと思います。きっかけとなった出来事の一つに二・二六事件があるといわれていますが、私はそれに疑問を感じています。私は長年、事件に連座して、民間人としては元軍人の西田税とともに処刑された北一輝について調べてきましたが、彼の意図は、軍隊を、天皇のものから国民の軍へ変えようとするところにありました。彼が著した有名な『日本改造法案大綱』には、「日本は明治維新以来、天皇を政治的中心とする民主国である」と書いてあり、その第一章は「国民の天皇」となっています。それはあたかも、戦後日本の天皇制の形ですね。そうだとすると、二・二六事件を引き起こした青年将校たちは「国賊」ではなく、むしろ民主主義革命をやろうとしたのではないか、と考えられるのではないでしょうか。GHQも、二・二六事件の関係者を呼び出して徹底した調査をしていますが、誰も罪に問われることはなく、戦犯に指定された人はいません。そこにもまた、アメリカから与えられたものがあると評価すべきだと思っています。

と述べ、北一輝や2.26事件を再検討しており、事件は様々な角度から見直す時期に来ていると考えます。