映画『米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー』(監督:佐古忠彦氏)

投稿日: カテゴリー: 未分類

 佐古忠彦氏の初監督作品『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が今月8月12日より桜坂劇場(沖縄県那覇市)で先行公開され、26日より順次全国公開される。佐古氏はTBS「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、近年では沖縄基地問題に関心を寄せていた。音楽は坂本龍一、ナレーターに大杉漣が加わる。TBSも過去の映像を大量に提供したとのこと。

 カメジローこと瀬長亀次郎は、1907年に沖縄県に生まれ、社会改革を志すも投獄。その後は新聞記者として活躍した。戦後は沖縄人民党結成に参画し、党の代表や那覇市長を務めた。瀬長はアメリカの沖縄統治に強硬に抗った人物であり、その主張や過去の経歴から「コミュニスト」として危険視され、「人民党事件」などアメリカによって徹底的に弾圧を受けた人物である。まさしく瀬長は「米軍が最も恐れた男」なのである。

 平良好利「戦後沖縄と米軍基地(5) 沖縄基地をめぐる沖米日関係 」(『法学志林』107巻4号、2010年)によると、瀬長が逮捕された「人民党事件」とは、1954年、瀬長が沖縄からの退去命令を受けていた奄美出身の2人の人民党員をかくまったとして、同じく人民党中央委員・又吉一郎(豊見城村長)とともに逮捕され、瀬長は懲役2年、又吉は懲役1年の刑を受け、さらに瀬長らの逮捕に抗議するビラやポスターを印刷・配布したとして、立法員議員・大湾喜三郎ら党員19名が逮捕された空前の大弾圧をいう。

 瀬長は56年に出獄し、その頃に公開されたプライス勧告への反対運動に取り組み、さらに同年末には那覇市長選挙に当選し市長となる。この結果に驚いたアメリカと琉球政府は再び瀬長に圧力を加え始める。琉球政府行政主席・当間重剛はアメリカに瀬長追放を要請し、アメリカは琉球銀行を介して那覇市に対する融資や補助金の打ち切り、市の預金を凍結するなど、瀬長市政に圧力をかける。そして布令をもって市町村自治法と選挙法を改正し、「人民党事件」での有罪歴をもって瀬長の被選挙権を剥奪した。

 しかし瀬長は、瀬長の後任を決める市長選挙に社会大衆党・兼次佐一を擁立し選挙戦を戦い、兼次は当選する。現在、瀬長を記念する資料館の名称が「不屈館」である通り、瀬長は「不屈の人」であった。そしてその不屈の精神をアメリカは恐れた。

 それでもけして間違えてはならないことは、アメリカは瀬長個人のみを恐れたのではないということだ。瀬長が弾圧に次ぐ弾圧を受けていた50年代、プライス勧告を受けた反対運動が大きく盛り上がり、いわゆる「島ぐるみ闘争」へ発展していった。若林千代「第二次世界大戦後の沖縄における政治組織の形成、一九四五年―一九五一年 ―沖縄人民党を中心にして― 」(『沖縄文化研究』28号、2002年)は以下のように記す。

…占領の矛盾が住民の反発を招き、抵抗の潮位を押し上げるなか、人びとは地域での集会や陳情、署名といったさまざまな手段を通じての政治参加の経験を積み重ねていった。米軍政府が恐れたのは、そのような場で醸成される人びとの政治意識の覚醒と結合だったのであり、そのために人民党に対して徹底した切り崩しをはかろうとした。

 若林氏の指摘する通り、アメリカは瀬長を恐れ、そして瀬長とともにあった沖縄民衆を恐れたのである。強行された基地建設など米軍統治の問題は様々あるが、沖縄民衆の怒りの爆発を警戒し、ある種の「善政」や妥協をアメリカが行ったことも事実なのである。瀬長の戦いや不屈の精神に学び、一人一人が強くあることが、沖縄を、そして日本をかえることになる。

 こうした点も含めて映画の公開を楽しみにするとともに、多くの人に鑑賞して欲しい。