平成29年8月31日 東京都慰霊堂参拝

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1923年9月1日に発生した関東大震災より94年を明日に控えたこの日、東京都慰霊堂(東京都墨田区横網公園)と敷地内に建つ震災遭難児童弔魂像や虐殺された朝鮮人犠牲者追悼碑など各碑の前にて慰霊・献花をしました。

東京都慰霊堂は関東大震災の犠牲者の御遺骨を納める施設として昭和5年に建てられました。また戦後は東京大空襲犠牲者の御遺骨も納めており、関東大震災と東京大空襲犠牲者の慰霊施設として、東京大空襲が起きた3月10日と関東大震災が起きた9月1日には春秋の慰霊大法要が行われます。

この日も慰霊堂内には秋篠宮ご夫妻、内閣総理大臣、衆参両院議長、東京都知事など、各界からの弔花が献じられていました。震災による死者は14万人を数え、負傷者も10万人を超えます。家屋の崩壊、火災、津波などあらゆる災厄が東京を中心に関東全域を襲い、多くの人が犠牲となりました。心より哀悼の意を表します。

犠牲者は自然災害だけではなく、流言飛語による虐殺事件というかたちでも発生しました。東京都知事や墨田区長が朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文の送付を拒否したことが話題となっていますが、関東大震災時における朝鮮人や中国人そして社会主義者などの虐殺は歴史的事実です。

関東大震災発生直後の9月1日15時過ぎには「社会主義者・朝鮮人による放火」とのデマが飛び交い、民間人自警団や軍・警察による誰何尋問が行われ、夜半には朝鮮人の虐殺が始まりました。虐殺は社会主義者や中国人も標的となりました。虐殺を首謀した公権力や民間人の責任は勿論、「メディアの扇動」も見過ごせません。

震災から3ヶ月後の帝国議会では代議士・田渕豊吉や永井柳太郎が朝鮮人虐殺や政府が出元である流言蜚語について責任を問いましたが、首相・山本権兵衛は返答を避け、調査なども行いませんでした。負の歴史を修正・捏造するのではなく、これを見据え、受け止める必要があるはずです。