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鈴木重胤「修理固成の神学」と神嘗祭・新嘗祭

 10月15日午後10時より外宮において執行される由貴夕大御饌より今日17日午後6時から始まる内宮御神楽まで、伊勢神宮(三重県伊勢市)の内外両宮は、二度の月次祭とともに「三節祭」といわれる重儀の一つ神嘗祭が奉仕される。その後、25日まで、別宮や摂末社などでも神嘗祭が行われる。

 神宮における大切な収穫祭であるこの神嘗祭に引き続き、来月には宮中にて同じく重儀である新嘗祭が行われるわけだが、幕末の国学者・鈴木重胤(1812~63)は、自身の著作『延喜式祝詞講義』にて平安時代に編纂された「延喜式祝詞」における祈年祭詞を分析し、この神嘗祭と新嘗祭の連動を指摘したといわれている。

 中野祐三『国学者の神信仰』(弘文堂、2009年)によると、重胤は「祈年祭詞」における「荷前者。皇太御神能大前爾。如横山打積置氐、残乎波平聞看。」を典拠に、伊勢神宮の神嘗祭と宮中の新嘗祭の連動した神祇祭祀であることを指摘し、さらに『日本書紀』に見える三大神勅の一つ「吾が高天原の所御す斎庭の稲穂を以て、亦吾が兒に御せまつるべし。」との「斎庭之穂の神勅」をもって、論拠を明確にしたとする。つまり、皇祖神は皇孫に神物たる稲穂を授け(「斎庭之穂の神勅」)、皇孫はそれを人民に勧農し、人民はその収穫を貢物として皇孫に納め、皇孫はそれを皇祖神に捧げ(神嘗祭)、また自ら聞食し(新嘗祭)、人民も賜る(節会)という皇祖神―皇孫―人民という三者の関係は、神嘗祭そして新嘗祭という神祇祭祀を通じ現実に具現化するというのである。

 さらに重胤は『祝詞講義』において、

凡て天地間の事能く成せりと云べく、能く成れりと云ふべからず、神は人を賛けて天地造化に功を施し人は神に受けて天下経世に徳を致すべき物と定め給へり、是以て宇宙の事、善悪正邪吉凶損益有るなり、修理固成の用無くば神も人も無用の長物と云べし

という。中野氏は以上のような重胤と神と人との関係は、上述の神祇祭祀の理念をめぐる重胤と解釈と軌を一にするという。つまり重胤は、人間の存在する意味や価値を「修理固成」の概念のもとに主張し、人を「神の生みの子」とする神道信仰の核心に肉薄したというのである。

 来たる日曜日はいよいよ衆院総選挙の投票日である。前回の総選挙の投票率は52パーセント。20歳代の投票率は32パーセントを記録している。「凡て天地間の事能く成せりと云べく」、「人は神に受けて天下経世に徳を致すべき物と定め給へり」、「修理固成の用無くば神も人も無用の長物と云べし」と重胤はいう。この現実世界に参画することなく、神も人もないのであり、人間存在の理由すら崩れるのである。ぜひとも積極的な投票行動を呼びかけたい。