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平成29年11月25日 第4回自主三島・森田祭(花瑛塾青年・学生寮)

 三島由紀夫、森田必勝らによる「楯の会事件」から47年目の今日、花瑛塾青年・学生寮にて「楯の会事件」においてみずから命を絶った三島、森田を慰霊する第4回自主三島・森田祭を執り行いました。また祭典後、葦津珍彦、真弓常忠ら神道家による三島由紀夫「英霊の声」など三島文学への評論や楯の会事件に関する声明・発言などを参列者全員で読み解きました。

 葦津は三島由紀夫「英霊の声」評にて、日本の忠臣の行動方式を楠木正成に代表される「絶対随順」と、真木和泉守や西郷隆盛に代表される「法外の浪人(アウト・ロウ)」の2種類に類型化し、その上で二・二六事件の決起将校はあくまで「絶対随順」の「正常の武人」「忠誠の臣」であり、最後の最後で勅命に服して原隊復帰したのであるが、それでもなお賊徒とされたため「怨霊」と化したとし、その慰霊の必要性を説きます。また真弓は三島の「人間宣言」理解に異を唱えつつも、自身にも「英霊の慟哭」は聞こえると理解を示しました。

 さらに葦津は、楯の会事件から10日後、事件について発言しています。そこで葦津は、自衛隊は「憲法以後」に新設されたものであり、三島のいう「憲法により屈辱を強いられている自衛隊(武士)」はありえず、三島的精神伝統が尊ぶ日本武士=皇軍は存在せず、三島が懸命に警察・機動隊と自衛隊の峻別をいっても、そこに本質的な差異はないとします。むしろ憲法の問題を解決すべき主体は現憲法以前から存在する民族大衆・国民大衆であり、そうした人々のなかに決起を期待すべきだとし、さらに大衆は三島の悲壮な姿に共感と同情を有したとします。

 花瑛塾は葦津的問題意識を踏まえ、制憲主体である国民とともに憲法を考えるべきと考えます。そして大原則として日本国憲法の歴史的な重みとその先進的な価値を尊重しますが、日本国憲法そのものが憲法改正を保障している通り、憲法条規に基づき改憲自体は否定しません。しかし安易かつ危険な「改正できれば何でもいい」といった改憲論には与せず、改憲論や改憲という行為が戦後憲法下70年のまごうことなき日本の歴史に手をかけるものである以上、改憲を目指す為政者へ三島・森田のごとき「覚悟」を問うものです。