未分類

平成30年1月28日 花瑛塾第12次沖縄派遣団(沖縄戦遺骨収容作業)

 花瑛塾第12次沖縄派遣団はこの日、昨年に引き続き、各地で戦没者の遺骨収容を行う有志によるひめゆり学徒隊終焉の地・荒崎海岸(糸満市)での沖縄戦戦没者遺骨収容作業に参加しました。

 日本軍第32軍は首里(那覇市)に司令部を設けましたが、沖縄戦時の5月下旬に首里を放棄し喜屋武半島方面へ転身、摩文仁(糸満市)へ撤退しました。これに伴い沖縄陸軍病院(南風原町)も撤退となり、看護業務などに挺身していた沖縄師範学校女子部や沖縄県立第一女学校の女生徒などで結成されたひめゆり学徒隊も南部へ転身し、荒崎海岸にて終焉を迎えました。

 遺骨収容作業においては収骨には至りませんでしたが、当時の貨幣や手榴弾が発見されるなど、いまなお癒えない沖縄戦の傷跡を感じ、同所にて全ての戦没者を追悼しました。

遺骨収容作業