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日ロ新外交により2月7日「北方領土の日」を「北方の日」に

 2月7日「北方領土の日」を「北方の日」に

 1855年2月7日、江戸幕府と帝政ロシアは日魯通好条約(日露和親条約)を締結しました。これにより千島列島のうち北千島がロシア領、南千島が日本領となり、樺太島は日ロ雑居地と定められるなど、日ロ北方外交がスタートしました。

 日本政府は昭和56年(1981)、「北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進」のため、日魯通好条約の締結にちなみ、毎年2月7日を「北方領土の日」とし、この日に北方領土問題関係機関や民間団体などとともに集会や行事を全国的に実施しています。

 私たち花瑛塾は、この「北方領土の日」に関連し、第2次世界大戦中の国際法違反のロシア・ソ連による対日参戦とこれによる領土侵略、さらにその背景に存在するアメリカの教唆と幇助を厳しく糾弾します。

 同時に、従前の日ソ・日ロ外交の検証、アメリカの介入を排除した日ロ新外交の展開、そして北方先住民族の権利擁護と北方領土元島民の支援の実施を求め、「領土」のみに視点を置いたこれまでの「国境線外交」から脱却し、「北方領土の日」を「北方の日」と位置づける必要を訴えます。

 ソ連対日参戦とアメリカの教唆・幇助

 昭和20年(1945)8月9日、ソ連はわが国との中立条約の有効期間内にも関わらず対日参戦し、満州・朝鮮・南樺太・千島列島を攻撃、占拠しました。爾来、72年以上の長きに渡り、千島列島などの日本領は不法に占拠されています。

 ソ連の対日参戦が国際法違反の侵略行為であることは明白であり、さらに戦闘においてソ連軍が行った殺人・強盗・放火・略奪など数々の蛮行は許しがたく、ここに厳しく糾弾します。

 同時に、ソ連の対日参戦の背景に、アメリカの教唆が存在することを見過ごしてはなりません。第2次世界大戦中のヤルタ会談において、アメリカ大統領ルーズベルトは、ソ連書記長スターリンに対日参戦を促し、その見返りとして日本領であった千島列島と南樺太の領有を認めました。

 さらにアメリカは、ソ連軍に対し、北方領土上陸作戦に必要な上陸用舟艇や掃海艇などの軍艦145隻を貸与し、アラスカにてソ連軍将校と兵士1万2千人に訓練を施していたことが明るみとなっています。

 ソ連による対日参戦と領土侵略は許されませんが、それを教唆し幇助したアメリカも同罪です。戦後の日本外交が歩んだ対米協調路線の感情的根拠に領土侵略などソ連への反感・反発があるとすれば、それはまさしく錯乱・矛盾の極みといわざるをえません。

 これまでの日ソ・日ロ外交とアメリカの介入

 わが国は戦後、ソ連と領土返還・国交回復交渉を行い、昭和31年の日ソ共同宣言を締結しました。これにより日ソ国交は回復し、わが国は国際社会へ復帰しました。その上で領土交渉が進む予定でしたが、難航し現在に至ります。領土交渉におけるわが国の主張は、国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島の四島は、北海道の一部であるから返還せよという主張ですが、国後島・択捉島は千島列島の一部であり、サンフランシスコ条約で主権を放棄しています。このようなわが国の主張は不当であり、ロシア・ソ連の反発も無理はないといえます。

 いまわが国とロシアとの間で確認すべきものは、大きく4つあります。

 第1に、ソ連の対日参戦は国際法違反の侵略行為であり、これによる領土占拠の無効を確認すること。第2に、ソ連の対日参戦は第2次世界大戦の基本方針である「領土不拡大」に反し、これを追認するサンフランシスコ条約の領土条項の無効を確認すること。第3に、過去のわが国の不当な領土の主張の撤回。第4に、ソ連の対日参戦を教唆したのはアメリカであり、日ソ・日ロ外交に際し、陰に陽に介入をし続け、わが国と日ソ・日ロの友好を妨害し続けたのもアメリカであって、今後の日ロ外交へのアメリカの妨害の排除を確認すること。

 これらの点を踏まえた上で、国際法上もっとも適法であった状況、すなわち昭和20年8月8日の状態へ国境線をロールバックし、日本の主権を確認した上で、72年という歴史の重みを踏まえ、そこにおいて新たに築かれた人々の暮らしや文化を理解し、現在の北方地域の現状を根底から覆すことのない、新たな外交のあり方を模索する必要があります。

 「国境線外交」からの脱却と北方国家日ロ両国の連携

 江戸幕府と帝政ロシアの日魯通好条約以来、樺太・千島交換条約、ポーツマス条約と日ロの国境線は幾度も変更されました。日ロともに、今後も国境線の変更をためらう理由はありません。特に日魯通好条約における樺太島雑居地化などは、わが国とロシアの先人の偉大な知恵といえます。こうした歴史を参照すると、日ロの未来には多様な選択肢があり、「国境線」の画定のみで終始するものではありません。歴史に基づいた原則的かつ柔軟な日ロ関係の構築を目指す必要があります。

 同時に、北方領土元島民の故郷への自由な往来といった各種支援、北方地域の先住民たるアイヌの人々の権利擁護を日ロ両国で支援するなど、国家に翻弄された元島民や先住民のために、北方地域に責任を持つ国家である日ロが連携すべき点は多々あるはずです。

 今年の「北方領土の日」を契機に戦後日本外交の検証と今後の日ロ新外交が大胆に展開され、「北方領土の日」が「北方の日」となることを期待します。