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平成30年2月11日 紀元節奉祝街宣

 花瑛塾はこの日、神武天皇をお祀りする橿原神宮遥拝後、都内一円にて「紀元節」奉祝街宣を行いました。

 紀元節とは、明治初期から終戦直後までの祝祭日であり、神武天皇の即位を祝うものです。『日本書紀』には神武天皇即位について「辛酉年春正月庚辰朔天皇即帝位於橿原宮」とあり、明治6年の太政官布告によって2月11日が神武天皇即位の日「紀元節」とされましたが、終戦後の昭和23年、GHQの意向もあり「国民の祝日に関する法律」の制定によって廃止されました。

 ところが昭和41年、2月11日が「建国記念の日」として祝日となり、「建国をしのぶ日」とされました。しかし紀元節は神武天皇即位の日であっても、日本建国の日ではありません。日本建国はあくまで瓊瓊杵尊の天孫降臨によるものであり、神武天皇即位はいわば「建国中興」であり、紀元節はその意味において「建国中興記念の日」といえます。

 実際、紀元節制定に尽力した大国隆正や玉松操あるいは岩倉具視といった幕末・維新期の国学者や神道家、政治家も紀元節を建国の日とはしておらず、そのことは『日本書紀』以降の古代の文献や『神皇正統記』など中世の思想書などにもあきらかです。

 他方、歴史学の立場からは、神武天皇即位紀元は讖緯説に基づくものであり、推古天皇9年辛酉正月一日から辛酉革命の起きる1260年前倒し設定されたともいわれております。そうすると推古天皇9年辛酉自体が聖徳太子など当時の人々にとって革命の年と考えられていたともいえるのであり、実際に十七条憲法の制定や隋との外交関係の確立など、推古天皇9年辛酉の年とその前後は国家の大変革の時期でもありました。

 2月11日を「建国記念の日」とするのであれば、神武天皇即位紀元に由来する建国ではなく、推古天皇9年辛酉に基づく国家の変革を建国の精神ともいえるのであり、私たちは紀元節と建国記念の日を通し、建国の精神に基づき、建国中興と国家の変革を目指す必要があるのではないでしょうか。

都内一円にて奉祝街宣を行う花瑛塾車両