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三線の日 沖縄戦米軍収容所とカンカラ三線の記憶

 沖縄を題材としたカレンダーを眺めていると、3月4日の日付の下に「三線の日」とあった。3と4で「さんし(3、4)ん」という語呂合わせによるものだろう。

 三線は中国の「三弦」をルーツとする琉球・沖縄の弦楽器であり、胴に張られた蛇皮が特徴的である。この琉球の三線が「本土」に伝わり三味線になったといわれている。

 1945年にはじまった沖縄戦は、琉球・沖縄の貴重な文化財や人々の生活をことごとく文字通り「消滅」させたが、琉球王国に由来する貴重な三線や人々の思い出が詰まった三線も失われた。そして米軍管理下に置かれた軍人や沖縄の人々は米軍の尋問後、収容所生活を送ることになる。収容所ではマラリアが蔓延するなど、けして快適な環境ではなかった。

 そうしたなかで、人々は米軍が廃棄した缶詰の空き缶を胴に用いた「カンカラ三線」を弾き、収容所生活の慰めにしたという。例えば金武村の屋嘉に設けられた米軍捕虜収容所で謡われたものとして「屋嘉節」などがある他、「PW無情」(捕虜収容所では、人々は「PW」=Prisoner of Warと捕虜を示す記号が記された衣服を着用した )などの歌がある。

 三線の日に沖縄と三線の歴史を振り返りたい。