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イラク自衛隊日報問題と安保関連法について

 これまで不存在とされたイラク特措法に基づく自衛隊派遣部隊の日報が「発見」され、話題となっている。

 イラク特措法において、自衛隊の派遣先は「非戦闘地域」という限定があったが、実際に自衛隊宿営地サマワはじめイラク各地で自衛隊は相当な危険な状況にあったことが明るみとなっている。

イラクに派遣された自衛隊員(サマワ近郊にて)【西日本新聞2018年4月13日23時36分配信記事より】

 例えば、当時の陸幕長・先崎一氏は、自衛隊イラク派遣部隊先遣隊は「棺」を準備していたと証言している。また部隊は拳銃や小銃の他、機関銃・無反動砲・対戦車弾といった火力を装備しイラクに派遣されたと防衛省側が国会答弁で明確にしており、事前に近接戦闘を想定した至近距離での射撃訓練を行っていたと陸自文書に明記されている。

 サマワの宿営地には現地の武装勢力によって迫撃砲が計11回23発も撃ち込まれ、イラク・ルメイサでは自衛隊が群衆に包囲され、付近で銃撃戦が始まり、自衛隊員は死を覚悟するとともに、銃の引き金に指をかけるところまでいった。空自の輸送機はバクダッド上空で対空ミサイルの照準が当てられた際のアラームが何度も鳴ったともいわれている。

 こうしたところからイラク自衛隊派遣は「非戦闘地域」という限定から逸脱したものであり、自衛隊は「戦闘地域」において、何らかの戦闘的事象に直面していたと考えられる。実際に今回「発見」された日報には「戦闘」との文言が存在しているとも報道されている。

 2015年の安保関連法では、重要影響事態法や国際平和支援法においてアメリカ軍などへの支援を地理的制約なく、また非戦闘地域といった限定もなく実施できるとされ、自衛隊の海外派遣・海外活動が拡大された。「非戦闘地域」という限定があってもこのように危険ななかで、制約なく海外派遣・活動が拡大すれば、自衛隊員に負傷者が出ること、そして自衛隊員が海外で武力を行使することは、事の成り行きの必然である。

 自衛隊イラク派遣の責任を隠ぺいするため、そして安保関連法制定のために南スーダンPKO日報とともに自衛隊イラク派遣日報を隠ぺいしたのではないのか。徹底的に調査する必要がある。