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中国・王毅外交部長来日と日中外相会談など日中対話の進展について

 花瑛塾行動隊は16日、昨日15日の中国・王毅外交部長の来日と日中外相会談・日中ハイレベル経済対話・首相表敬訪問などの外交交渉の進展を受けて、日中両政府に歴史を参照した冷静かつ前向きな対話の継続と東アジア平和外交の確立など、日中新外交の構築を訴えました。

東シナ海海域における日中漁業協定の設定図 北緯27度以南水域が尖閣諸島付近水域であり、「小渕書簡」が適用される【東京新聞より】

 特に尖閣諸島については中国が領有権を主張し、中国公船が接続水域や領海に侵入するなど、挑発行為や違法行為が頻発しています。尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本領であり、なおかつ日本は尖閣諸島を揺るぎなく実効支配をしており、中国はただちに挑発行為・違法行為をやめるべきです。

 しかし、尖閣諸島をめぐっては、過去、日中間で様々な外交交渉が繰り広げられ、対立や衝突を避けるメカニズムが構築されてきたことも事実です。

 例えば、1997年に締結された日中漁業協定(2000年発効)では、両国の排他的経済水域(EEZ)の主張と設定が重なる水域について、相互に自由な漁船の操業を認め、両国政府は自国の漁船の取り締まりは行えるが、相手国の漁船は取り締まることはできないとされています。さらに日中漁業協定では例外とされた尖閣諸島付近水域においては、同時に当時の小渕外相による中国・徐敦信特命全権大使への書簡で、相手国の漁船に関して自国の関係法令を適用しないことが取り決められ(小渕書簡)、事実上の自由操業が認められています。

 また、日本政府によるいわゆる「琉球処分」によって日清関係は緊張し、アメリカ前大統領グラントは琉球諸島について沖縄本島以北を日本、先島諸島以南を琉球とする分島の提案をし、明治13年から日清両政府による琉球分島交渉が行われたこともあります。交渉は最終的には物別れとなりましたが、日本側が分島に一時期乗り気であったことは事実であり、交渉が実現していれば先島諸島の西端に位置する尖閣諸島は、当然中国領となっていました。

 こうした過去の経緯を知ると、日中双方が衝突回避の際どい外交努力をしたのであり、さらに歴史が少しかわっていれば、尖閣諸島は日本領でなかった可能性もあるということがわかります。そうすると、日中国交正常化交渉において鄧小平氏が尖閣諸島の「棚上げ」を明言し、日中双方がそれを確認・合意したことは、偉大な知恵であったということができます。双方が尖閣諸島に触れなければ、日本の実効支配は貫徹され、同時に中国側もメンツが保てるわけであり、互いに平和的に利を得ることができたわけです。

 こうした先人の偉大な知恵をかなぐり捨て、声高に尖閣諸島の領有権を叫び、中国に対し挑発的な言動を主張する「浅知恵」は、過去を踏まえないという意味で「保守」の思想とは真逆なものであり、それは現状打開を目指す急進派の革新思想とさえいます。

 いまこそ日中両政府は先人の知恵を学び、歴史を参照し、平和的な外交交渉を進展させ、首脳対談の実現に向けて努力するべきであることを、外務省周辺や王毅外交部長が安倍首相を表敬した際にあわせ首相官邸周辺などで訴えました。

王毅外交部長と日本側の懇談夕食会が行われるホテルに至る道路を封鎖する機動隊