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在日青年学徒義勇軍韓国動乱参戦記念碑・忠魂碑参拝

 長らく休戦状態にある朝鮮戦争の「終戦」や朝鮮半島の非核化が取りざたされる歴史的な南北首脳会談を明日に控え、朝鮮戦争に出征した在日韓国人を慰霊する在日青年学徒義勇軍韓国動乱参戦記念碑および忠魂碑(東京都港区:韓国中央会館前)を訪れました。

 朝鮮戦争勃発後、在日韓国人青年の一部が朝鮮半島に渡り、義勇兵として朝鮮戦争に参加しました。記念碑はその事実を伝えるものであり、忠魂碑はこれにより戦死した135人の義勇兵の名を刻んでいます。記念碑は1989年に、忠魂碑は2014年に建立されました。

 どのような理由があろうとも戦争を肯定することはできませんが、彼ら在日韓国人義勇兵にとって、死を覚悟してでも戦わねばならぬものであったのだと思います。そしてそれは、北朝鮮側の人々も同様であり、さらに戦争に関与したアメリカ軍はじめ国連軍を形成した各国の兵士、あるいは中国軍兵士や掃海作業に挺身した日本人も同様です。

 その意味において、この戦争のどちらが正義ということではなく、南北朝鮮はじめ全ての朝鮮戦争戦没者の慰霊のために、また戦争の被害にあって傷つき命を落とした罪のない一般市民の無念にこたえるために、朝鮮戦争の終結と平和、そして非核化を実現する必要があります。過去の朝鮮半島支配や朝鮮特需、あるいは在日アメリカ軍基地が朝鮮半島への出撃拠点となるなど朝鮮戦争と深い関係のある日本人として、記念碑・忠魂碑の前で明日の南北首脳会談の成功を祈念しました。

 なお、昭和25年の「神社新報」社説は、朝鮮戦争について

朝鮮半島の変乱は(中略)直接に日本人の生死に関する一大事ともなり、人類平和の安否を決すべき重大事である。占領下の日本人は、固より政治的外交的には無力であつて、紛争解決のためには何もできないであらう。だが宗教的な思想的な分野に於て個人の魂に訴へ、魂の力を通じて平和への貢献をなすべき道は残されてゐるはづである。敢て局面の重大性を指摘して、宗教人思想人の奮発を祈る次第である。

と占領下の現状での無力を噛みしめながらも神道家・宗教家として何ができるか、悲痛な筆致で記しています。実際、朝鮮戦争当時、神道青年会はアメリカによる朝鮮戦争への日本人義勇兵計画に対し、アメリカの国会に反対の意志を通告しています。

 こうした当時の神道家の苦しい胸中や平和を希求する精神は、あくまで対話を求める外交努力を続けた韓国・文在寅大統領に対し、これまでひたすら「圧力」を叫びながらいまさら臆面もなく絡みつき「手柄」を得ようとする「外交の安倍」には無縁のものといえるでしょう。

 元「大日本帝国」軍人としてBC級戦犯となった朝鮮人もいれば、傷痍軍人として苦しんだ元「大日本帝国」軍人の朝鮮人もいます。これらの人々に、日本政府はあまりに冷酷でした。愛国者としても考える問題であり、朝鮮半島問題に日本は主体的であるべきです。

在日学徒義勇軍「忠魂碑」と「記念碑」