未分類

【紹介】安田浩一著『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)が発売されました

 安田浩一氏の新著『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書)が発売されました。本書では花瑛塾も取り上げられています。以下、簡単に安田氏と本書について紹介したいと思います。

 安田氏はこれまで労働問題など様々な社会的事象や事件を取材し記事を執筆してきましたが、近年では「在特会」に代表されるいわゆる「ネット右翼(ネトウヨ)」の台頭とこれら「ネトウヨ」によるヘイトスピーチなど排外主義・民族差別的な社会情勢を精力的に追いかけ、2012年には『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)を発表しています。なお、同書は第55回日本ジャーナリスト会議賞や第34回講談社ノンフィクション賞を受賞しています。

 本書は書名どおり戦後の右翼の人物や団体、事件や運動などを振り返り戦後右翼史を紐解くものですが、本書の視線の先にはあくまで安田氏がこれまで追いかけてきた「ネトウヨ」が存在していることはいうまでもありません。そもそも安田氏は本書において──右翼自身はけして意識していないし、認めることはないだろうが──ネトウヨを生み出していった要因の一つとして右翼を描いているように思えます。

 安田氏が本書において分析しているように、戦後右翼史は、戦前からのある種のテロリズムの系譜に位置しつつ、70年安保までの「反共」闘争を第1期とし、それ以降に展開された「改憲」を目指す大衆運動を第2期として分けることができます。そして、この第2期を「滋養」として社会的風潮が右傾化するなかで「ネトウヨ」が生まれていったのであれば、「ネトウヨ」の言説の暴力性や一部右翼と「ネトウヨ」の近接(安田氏のいう「相互乗り入れ」)も納得できるものがあります。

 本書には、石原莞爾の墓守をする武田邦太郎氏など、安田氏の好意や親近感を感じることのできる人物もなかには登場しますが、あくまで安田氏は原則として右翼そのものに厳しい視線をもっており、本書も全体を通して右翼への批判的立場を維持しています。無論、花瑛塾が「正義のヒーロー」のように描かれているわけでもありません。一部では本書が「本物の右翼」を見つけ出し礼賛する内容のようにいわれていますが、それは本書を読んでいない者の「妄想」「決めつけ」です。

 そして安田氏はなによりも、本書において「常に右翼を必要としている社会」と記している通り、この社会の側もまた右翼を必要とし、右翼に煽られ、右翼に繋がってきた事実を突き止め、それを批判したいのだと思います。

 また一方で、社会の側によって右翼・左翼が「つくられていった」ということも忘れてはなりません。例えば、昭和27年(1952)には、白鳥事件や青梅事件などが発生し、共産党員が逮捕・起訴されています。この年は主権回復と朝鮮戦争という政治情勢の中で、破防法が制定されるなど緊張していました。長野県では上田警察署の爆破を企図した「上田市ダイナマイト事件」や伊那地方の警察署が襲撃された「辰野事件」などが発生し、共産党員が狙い撃ちされました。

 しかし、これらの政治的事件は、実際はそのほとんどが冤罪といわれており、共産党弾圧のために権力がでっちあげたものとされています。そうするとこれまで危険で暴力的と考えられてきた「左翼」とは一体なにか、そしてその左翼に抗して「反共」を掲げた「右翼」は一体なんのために戦ったのかという疑問が湧きます。私たちが右左と世の中を分別して見て、右は左に、左は右に憎悪をつのらせている状況は、実は誰かによって作り出され、そうした状況を喜んでいる者がいるのかもしれない。それは誰かということを考える必要があるのではないでしょうか。

 それは、故郷と生活を守るというごく当たり前の愛郷心に行きつく沖縄の人々の在日米軍基地の基地負担軽減・新基地建設反対運動について、ばっさりと「左翼」と切り捨てしまう現在の日本社会の風潮や認識への分析としても有効ではないでしょうか。

 私たちは右翼・左翼と簡単に論じ、物事をすぐになんとなく右や左と見てしまいますが、そもそも一体右翼とはなにか、左翼とはなにをいうのか、あまり考えてこなかったといえるのかもしれません。

 本書はもちろん花瑛塾の主張や取り組みの全てを紹介するものではなく、あくまで安田氏が見た花瑛塾が記されています。また「右翼とはなにか」という安田氏の議論や結論についても、その全てを私たちは首肯するものではありません。しかし本書の存在と安田氏の議論には「右翼とはなにか」ということを社会的に考えさせる意味があり、そのよいきっかけになるかと思います。

 以上、一読後すぐに記したつたない内容ですが、本書の紹介といたします。

安田浩一 著 『「右翼」の戦後史』 講談社現代新書 278頁 2018年7月19日 定価840円+税