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【8.6/8.9花瑛塾アピール】日米が手を携えて「核なき日本」「核なき世界」をつくりあげようー広島・長崎原爆投下の日を前に葦津珍彦の反核武装論にまなぶー

 昭和20年(1945)8月6日8時15分、米国は広島市上空に原子爆弾を投下し、15万人もの無辜の民の生命を奪った。またこれにより長期に渡り多くの人が原爆症といわれる放射線障害に苦しめられた。続いて同月9日には長崎にも原爆を投下し、7万3千人もの市民を殺害した。

 米国による原爆投下は、非戦闘員の殺害を目的とした戦争犯罪であり、その残忍な手法も含め許されない。原爆投下のみならず、3月10日の東京大空襲では、あえて非戦闘員を狙い住宅地が密集する東京の下町地区を目標に定める「選別爆撃」を行った。原爆投下や空襲といった米国の戦争犯罪は到底許されず、厳しく糾弾されるべきものである。

核廃絶と原爆犠牲者の慰霊・追悼

 一方で、いまを生きる私たちにとって重要なことは、米国の非道をあくまで追求することのみではないはずだ。何の咎もなく核の火に焼かれた犠牲者の無念を晴らし、苦しむ御霊をお慰めするためには、核の使用国・米国と被爆国・日本が手を携え「核なき日本」「核なき世界」を実現し、世界平和を築き上げる必要があるのではないだろうか。

原爆死没者慰霊碑献花するオバマ前大統領:時事ドットコムニュース

 平成28年(2016)5月、米国オバマ前大統領が広島市の平和記念資料館を訪問後、原爆死没者慰霊碑に献花し、核の恐怖と核軍縮の取り組みについてスピーチをした。米国による原爆投下後、大統領の広島訪問や慰霊碑への献花は初めての出来事であり、後世まで語り継がれるべきものだ。大統領の献花とスピーチにより、犠牲者の苦しむ御霊はいささかなりとも鎮められたに違いない。トランプ現大統領はもちろん、次代の米国大統領も被爆地を訪れ、犠牲者の御霊をお慰めするべきである。

 オバマ前大統領はスピーチにて「核保有国は、勇気をもって恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求しなくてはいけない」と訴えた。世界有数の核保有国である米国は、原爆投下の反省に立ち、スピーチの内容通り、すべての核保有国に先立ち核廃絶の取り組みをし、世界平和の確立に先立つべきである。

 そして日本もまた唯一の被爆国として「核なき日本」の実現はもちろん、「核なき世界」の実現に向けて各国に働きかけるべきだが、日本政府は先日の国連核兵器禁止条約に不賛同の意思を示すなど、核廃絶の動きに逆行している。終戦の詔書には

敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。()()くむは、朕何を()てか億兆の赤子()()し、皇祖()皇宗)神霊()()せむや。

ともあり、日本が核廃絶に取り組むべきことは、国家的使命ともいえる。

葦津珍彦の反核武装論に学ぶ

 戦後神社界・神道界を代表する言論人・葦津珍彦氏は、その論文「まづ核なき武装へ―終戦大詔の悲願継承せよ―」において、核兵器の残虐性と軍事情勢の変化から日本核武装論へ疑問を呈すと共に、核兵器を許さず平和を希求する終戦の詔の強い意志を継承し、日本の核なき防衛と世界的な核廃絶を訴えている。さらに葦津氏は、世界的な核廃絶の先導役に日本がなるべきだとも論じ、それは非核保有国の共感を結集させるものであり、日本の世界史的使命であるとする。

 現在、北朝鮮や中国の「脅威」なるものが一部において叫ばれ、こうした「脅威」を前に日本と国際世論がどのような動向を示そうが、何ら現実的な有効性を持たないと嘲笑されるかもしれない。しかし葦津氏は、同論文において、第1次世界大戦で使用された毒ガス兵器が第2次世界大戦では少なくとも公然と乱用されることのなかった事実を指摘し、国際世論と国際的取り決めの重みを示し、核廃絶においても国際世論と国際的取り決めの有効性を主張しているが、これは充分説得力がある。日本政府はただちに核軍縮政策を転換し、世界的な核廃絶に立ち上がるべきである。

 こうした葦津氏の反核武装論は一過性のものではなく、その他にも「神社新報」における「時局展望 米軍事政策の転換に際して 神道人と原水爆国防論」などでも明瞭に示されており、そこでは葦津氏は

日本が将来に於て、万一にも自ら原爆を使用したならば終戦の詔書は、その道義的権威を失ひ、民族の存亡を賭した悲史の教訓はその意味を失はねばならない。終戦の詔書に明示せられし原爆拒否の道義的宣言は、断じて弱者の悲鳴ではない。

目的のために手段を誤ってはならない。終戦の大詔は、この道義の大原則を明示せられてゐる。犯罪的手段を選ぶほどならば、目的の放棄も亦やむを得ぬ、この悲痛なる道念あってこそ、地上に道義は保たれるのである。

ときっぱり日本の核武装を否定している。なお、この葦津氏がいう「目的のために手段を誤ってはならない」という指摘は、違憲の安保法制や米軍との一体化を進める自衛隊はじめ現代の日本の防衛政策にも通じる指摘といえよう。神社本庁も昭和30年(1955)の「世界宗教会議」にて原水爆禁止の議案を提出しているが、愛国者として終戦の詔書にも反する日本核武装論などあってはならず、むしろ積極的に「核なき日本」「核なき世界」の実現にまい進することこそ、愛国的立場であることをしっかりと確認したい。

 そしてオバマ前大統領が

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになった。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうる。(略)広島が、こうした現実を教えてくれる。

とスピーチにて述べたように、科学技術の進歩が人類へもたらす惨禍といったより高次な問題も考えていくべきだ。つまり原子力発電所の即時全面廃炉など、原子力政策の転換も核軍縮政策と同時に進めていくべきである。

沖縄と核ー日米の核の“許容”ー

 昭和47年(1972)の沖縄施政権返還にいたる返還交渉は「核抜き、本土並み」が標語とされたが、実際には沖縄に配備中の戦略核などが撤去される一方、有事の際には沖縄への核の持ち込みを認める密約が存在した。

核ミサイル「メースB」発射基地跡地:沖縄・恩納村

 そもそも米軍は戦後、沖縄・恩納村の核ミサイル「メースB」発射基地をはじめ、沖縄に大量の核兵器を配備した。その数は最大で1300発ともいわれている。当初、米軍は伊江島で核爆弾の投下訓練を開始し、さらに本土に配備する計画であった核ミサイル「オネスト・ジョン」を沖縄に配備した。その上でソ連による沖縄への核攻撃を防ぐため、さらに多数の迎撃用の核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」を配備し、60年代以降には広島型原爆の70倍もの威力の核弾頭を搭載した核ミサイル「メースB」を配備するなど、沖縄を「核の島」としていった。

 米軍の沖縄への核配備は沖縄県民には知らされておらず、被爆国日本にとってあってはならないことだ。さらにソ連の沖縄への核攻撃を米軍が恐れたように、沖縄への核配備は沖縄が核攻撃を受ける可能性を高め、何らかの事故によって放射能汚染などの被害をもたらすこともありえる。NHKの取材によれば、実際に核弾頭を搭載した核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が暴発する事故が発生し、キューバ危機の際には「メースB」発射基地は「デフコン2」といわれる核戦争の臨戦態勢にあったといわれている。

 こうした沖縄への核の配備を日本政府は事実上容認し続けた。その上で沖縄返還時における核密約が存在する。こうした日米の核の“沖縄における許容”は大きな問題である。そしていまなお日米が核廃絶に取り組まず、むしろ逆行していることは指摘した通りだ。日米が手を携えて核廃絶に向き合い、広島・長崎そして沖縄に向き合うことを求める。