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「唯一の被爆国」だが「絶対的な核廃絶国」ではない日本ー「広島・長崎原爆投下の日」「ソ連対日参戦の日」連続行動

 昨日6日、広島は73年目の米国による広島原爆投下の日を迎えた。9日には同じく長崎原爆投下の日を迎える。

 米国による広島・長崎原爆投下は巨大な戦争犯罪であり、それは核の恐怖とともに未来永劫語り継がれるべき人類史的な悪行だが、こうした悲惨な経験をした日本は、時に「唯一の被爆国」と自称・他称される。なお、この言葉そのものは、若干の留意が必要だ。広島・長崎では朝鮮半島出身者や中国人などアジアの人々、あるいは連合国の捕虜などヨーロッパの人々なども被爆したし、戦後の核開発競争により各国の研究者や核実験場付近の住民が被爆しており、実戦における使用・被爆という意味で「唯一の被爆国」となる。

 そうとはいえ、日本は「唯一の被爆国」であることを世界に訴え、また「非核三原則」を今日まで掲げてきたが、けして「核廃絶の国」「核禁止の国」ではなかった。

沖縄と核―1300発もの核兵器の存在―

 昨年放映されたNHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」によると、1950年代以降、台湾海峡や朝鮮半島で緊張が高まり、東西冷戦が激化するなか、米軍は沖縄を「核の島」としていった。米軍は当初、沖縄・伊江島で模擬核爆弾の投下訓練を行っていたが、後に核ミサイルが配備されていく。例えば50年代、米海兵隊は日本「本土」に核ロケット砲「オネストジョン」の配備を計画したが、ビキニ環礁水爆実験による日本人の被爆事故などをうけた反核世論が盛り上がると、海兵隊は沖縄に移転していき、沖縄に「オネストジョン」を配備し発射訓練を繰り返していった。

 さらに沖縄・嘉手納弾薬庫などに配備・貯蔵されている米軍の核兵器を守るため、迎撃用地対空核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が多数沖縄に配備されていく。そして60年代には沖縄・恩納村に広島型原爆の70倍もの威力の核弾頭を搭載した核ミサイル「メースB」が配備されるなどした。最終的には1300発もの核兵器が沖縄に配備されていったのである。そればかりでなく那覇沖で「ナイキ・ハーキュリーズ」の暴発事故も発生し、ひとつ間違えれば核爆発が発生していたかもしれなかった。キューバ危機の際には「メースB」が核戦争の臨戦態勢となっていた。

 こうした米軍の沖縄への核配備を、日本政府は事実上“容認”した。米軍は「メースB」が核兵器であることを秘密にして配備を行ったが、「メースB」が核兵器であることが明るみとなると、当時の小坂善太郎外相は米国側に「核であることを事前に発表するから議論となる」「事前に発表しないことはできないか」「事後に核兵器であることが判明しても、今さら騒いでも仕方がないとなる」などと発言し、米軍の沖縄への核配備を“認容”し、さらにそれを隠ぺいする悪質な懇願を行ったのであった。

日本政府の核“認容”―日米安保と「事前協議」―

 そもそも日本は、旧安保条約下、米軍が日本に核兵器を持ち込んだり、核搭載が可能な航空機や艦船に日本立ち寄りを拒むことはできなかった。鳩山一郎首相は野党対策のため、米軍が日本に核兵器を持ち込む際は日本側との「事前協議」が必要と国会答弁し、重光葵外相や外務官僚も「重光・アリソン了解」を持ち出し「事前協議」の存在をいうが、実際には「重光・アリソン了解」は存在しなかった。そして米国は、野党勢力・革新勢力の増長を抑えるために、「事前協議が存在する」という鳩山政権の虚偽を否定せず、黙認したのであった。

 60年安保交渉において、岸信介首相は、米艦船や航空機が核搭載可能であるという理由だけで日本立ち寄りを拒むことはしないとする。核兵器を搭載した米艦船や航空機が日本に立ち寄る可能性を強く指摘する野党への答弁だが、岸としては米軍の軍事行動を制約するような発言はできなかった。

 一方で岸は、核兵器を搭載した米艦船や航空機の領土・領空・領海への通過の拒否を明言している。その上で、これまでそうした事実はなく、また給水など一時的な立ち寄りであれば認め得るとした。岸はこれ以上の説明を避けたが、60年安保成立により、最終的に岸・ハーター交換公文によって「事前協議」が認められたが、核搭載可能な米艦船の寄港などは事前協議の対象から外された。そこには「核の存在を否定も肯定もしない」という米国の立場もあったが、結局は日本政府は「核搭載可能な米艦船の寄港も事前協議の対象」と国民に虚偽の説明をし、「事前協議が存在しない以上、日本に核はないのだ」と強弁し続け、もって米国の核の存在を“認容”し続けたのであった。

国連核兵器禁止条約に不賛同した日本政府

 日本政府は2017年に採択された国連核兵器禁止条約に不賛同の意志を示し、安倍総理は昨日の広島でもあらためてその立場を主張した。安倍政権で防衛相を務めた稲田朋美氏は核武装を持論とし、国会の場で追及されても持論の撤回を頑なに拒んだ。米国の核の傘の下にあり、米国の核を“認容”してきたのが日本であり、いまなおその姿勢はかわっていない。

 日本は「唯一の被爆国」でありながら、けして「核廃絶の国」「核禁止の国」ではない。米国による核兵器の実戦使用という戦争犯罪は到底許されず、いまなお核兵器を大量に保有する米国の核政策は認められないが、日本のこれまでの核政策も肯定できず、「唯一の被爆国」の論理を強調するのならば、その論理は日本にもまた突きつけねばならない。

 日米が協調し「核なき日本」「核なき世界」を実現するべきである。