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18日放送予定 ETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」

 今月18日土曜日午後11時より、EテレにてETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」が放送予定とのこと。法制時、「濫用のおそれはない」「伝家の宝刀である」といわれた治安維持法だが、実際には恣意的運用・拡大解釈がおこなわれ、多くの人が取締りにあった。18日の放送では、実際に同法により勾留された人物のインタビューなどが行われ、治安維持法の実態が明るみになるものと思う。

 治安維持法については既に多くの研究がなされ、奥平康弘『治安維持法小史』(岩波現代文庫)など入手しやすい書籍もあるが、ここでは昨年成立した「共謀罪」との関連で治安維持法を論じた内田博文『治安維持法と共謀罪』(岩波新書)第1章「拡大し続ける規制」を参照し、治安維持法について簡単に確認したい。

 そもそも治安維持法とは、加藤高明内閣が第50帝国議会に緊急上程した結社規制法で、大正14年(1925)に成立したが、終戦によるいわゆる「ポツダム勅令」によって廃止された。条文は以下のとおりである。

第1条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ10年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第2条 前条第1項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シタル者ハ7年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第3条 第1条第1項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ7年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第4条 第1条第1項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ10年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第5条 第1条第1項及前3条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ5年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第6条 前5条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第7条 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

 大正12年(1923)9月、関東大震災の発生により流言飛語が世情を混乱させ、これを取り締まるため田健治郎司法大臣は「治安維持令」を起草し、枢密院の諮詢を経て同月7日勅令403号として公布された。治安維持法は、この治安維持令にかわって成立したものである。

 治安維持法の目的が共産主義者、社会主義者、無政府主義者、そしてそれらによる結社を取締るものであることはいうまでもないが、法文上は第1条のとおり「国体変革」「私有財産否認」を目的とする結社を取締るものとなっている。その理由としては、条文で「共産主義」「無政府主義」などと明記すると、「共産党」などの組織名や「社会主義を目指す」などの規約を隠ぺいされると取締りができないからである。

 それでは結社の目的が「国体変革」「私有財産否認」にあるとの判断は誰が行うかというと、検察官(思想検事)がおこなうことになっており、公権力による治安維持法の恣意的運用・拡大解釈が可能となっている。これについては当時の国会でも批判が相次いだが、治安維持法制定を主導した若槻礼次郎内務大臣と小川平吉司法大臣は「濫用の恐れなし」と答弁し、法律が制定される。

 一方で治安当局は法制後、治安維持法の適用対象を探しあぐねていた。この頃すでに共産党は壊滅状態にあり、アナキストも力を失っていた。そこで治安当局は同志社大学の掲示板に軍事教育反対のビラが貼られていたことに端を発する京都学連事件について、無理やり治安維持法を適用する。まさしく治安維持法の恣意的運用・拡大解釈による捜査・取締りであり、以降、治安維持法の適用が進んでいく。さらに治安維持法事件に関する大審院判決は、「国体変革」について明確な説明をせずに検察側の主張を採用し、治安当局による恣意的運用・拡大解釈を支えていったのである。

 満州事変を目前にした昭和3年(1928)、緊急勅令というかたちで治安維持法が改正された。これにより「国体変革」「私有財産否認」の条文が分離され、「国体変革」の罰条が死刑もしくは無期刑まで引き上げられた。さらに「結社目的遂行行為の罪」が附属され、結社の構成員でなくとも結社の目的を遂行する行為をなした者は取締りの対象となった。これにより労働運動など合法活動を行う政党・団体も思想検事が「共産党の外郭団体」と位置づければ、これら政党・団体の合法な行為も取締ることができるようになった。

 そして昭和16年(1941)、事実上の新法ともいえるような治安維持法の改正が行われ、治安維持法の取締り対象である「結社」を、厳密な意味での結社から「集団」と解釈し、取締りの網が拡大していった。さらに予防拘禁が認められ、控訴審の省略や広範囲の強制捜査権を捜査機関に認めるなど、治安維持法に関して特別な刑事訴訟制度を新設するなどした。

 治安維持法は当初の政府の説明から全く変貌し、恐るべき弾圧の法令となっていった。大正14年の法制以来、取締り対象は拡大し続け、10万人もの検挙者を生むにいたる。政府はGHQの指令によって治安維持法が廃止された後も、終戦に関する混乱を防止するとの大義名分をもって治安維持法下に成立した諸制度を新しい刑事訴訟法に埋め込んでいったといわれている。そして昨年新設された「共謀罪」が現代の治安維持法ともいわれているなかで、治安維持法の歴史と実態を学ぶことは意義のあることだ。

 18日のETV特集「自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~」を楽しみにしたい。