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花瑛塾第14次沖縄派遣団①(平敷兼七ギャラリー)

 花瑛塾第14次沖縄派遣団は17日、平敷兼七ギャラリー(浦添市)を訪れました。同ギャラリーでは現在、戦後沖縄を代表する写真家・平敷兼七『山羊の肺』が最近復刻されたことから、「平敷兼七写真集『山羊の肺』復刻記念写真展」が開催されており、鑑賞しました。

 なかでも『山羊の肺』を構成する「職業婦人たち」シリーズは、非常に考えさせられるものがあります。「職業婦人たち」は、職業婦人つまり米兵相手に売春をせざるを得なかった女性たちを対象としたものであり、沖縄の復興が進むにつれて「恥部」として排除されていった彼女たちのあるがままの姿が写し出されています。

 沖縄戦によりあらゆるものが文字どおり「消滅」した戦後沖縄は、経済的に米軍に依存せざるをえず、基地依存型経済を強制させられました。そこには米兵相手の売春業が存在しており、彼女たちこそ「娼婦経済」として沖縄経済を支えたのであり、たばこ一つとっても米兵から彼女たちを通じて沖縄の人々の手に渡ったのだと、沖縄のジャーナリストで「琉球新報」社長も務めた池宮城秀意、あるいは沖縄の悲哀を訴えて勾留された富村順一などが記しています。

 一方で米軍は、基地負担軽減を訴える沖縄の人々の主張や運動を弾圧するため、しばしばこうした沖縄の基地依存型経済を「利用」しました。例えば50年代の「プライス勧告反対」「土地を守る4原則貫徹」を訴える島ぐるみ闘争においては、米軍は基地周辺の歓楽街への米兵の「オフ・リミッツ」(立入禁止)を発動し、歓楽街で米兵相手に商売をしている沖縄の人々を闘争から脱落させ、「島ぐるみ」を分断していったのでした。

 『山羊の肺』についての解説に「山羊は沖縄の生き写し。やさしくおとなしいが、最後は殺され食べられてしまう。『山羊の肺』は沖縄の歴史と文化の象徴のようだ」といった言葉がありましたが、沖縄の経済を支えた「職業婦人」たちが排除されていく歴史、また「職業婦人」のような基地依存型経済が米軍の巨大な力によって翻弄され、米軍の都合のいいように利用されていった現実は、まさしく「山羊の肺」として平敷が写し出した戦後沖縄の姿といえます。