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花瑛塾第14次沖縄派遣団⑦(北部三村周遊、全島エイサーまつり)

 花瑛塾第14次沖縄派遣団は9月1日、国頭村を中心に東村・大宜味村と本島北部3村を周遊し、記念碑などを見学しました。

 特に国頭村安波に建立されている「県営緊急畑地帯整備事業の碑」には、この一帯が提供区域とされていた旧米軍安波訓練場の一部返還と、これによる農地整備の歴史が刻まれ、沖縄側の返還要求に日米両政府が対応するなど一定の交渉や相互理解のあった往時の日米関係と現在の日米関係の違いについて考えました。

県営緊急畑地帯整備事業の碑

 一方で、SACO合意によって安波訓練場は全面返還されましたが、そのかわりに同地の宇嘉川河口が米軍に提供され、宇嘉川河口と北部訓練場G地区ヘリパッドが歩行訓練ルートで結ばれることにより、オスプレイでヘリパッドに降り立ち、歩行訓練ルートをたどって宇嘉川河口にいたり舟艇で脱出する脱出訓練やその逆コースの上陸訓練も可能となるなど、北部訓練場ではより実践的な演習が可能となりました。

 普天間飛行場の閉鎖・返還という話がいつの間にか「移転」となり、米軍が普天間飛行場の危険性を認識する以前の1966年の段階の辺野古新基地が「移転」先として建設されている例も同様、日米合意の裏には必ず何らかの密約があるため、日米協調の背景についても考える必要があります。

 また安波節・辺野喜節などの歌碑もあちこちに建立されていた他、本島最北端にして鹿児島・奄美諸島を間近に望む辺戸岬には「祖国復帰闘争碑」が建立されていました。琉球音楽はおもろや琉歌、さらに奄美島唄もベースにあり、奄美から八重山まで、アジア諸国を視野に入れた琉球弧の活発な交流の歴史と、過去にこの地にひかれた境界線の悲しみを思いました。

「安波節」歌碑

 夕方、コザ運動公園にて開催された「第63回沖縄全島エイサーまつり」に参加し、各地の青年会などの団体のエイサーを鑑賞しました。

 このイベントは米軍施政権下の1956年からはじまった沖縄県最大級の規模のエイサーのイベントで、毎年30万人もの人でにぎわっています。エイサーは沖縄の旧盆などで行われるもので、もともとは「念仏踊り」ともいわれる宗教的行事であり芸能でした。

 最後に会場全体で踊る恒例のカチャーシーは「かき混ぜる」という意味があり、様々な文化を受け入れる沖縄文化の象徴ともいわれています。

カチャーシー