未分類

平成30年9月1日 関東大震災発生95年 全犠牲者慰霊・追悼

 大正12年(1923)9月1日の関東大震災から95年の今日、震災犠牲者の遺骨を納め、犠牲者を御霊を弔う東京都慰霊堂(東京都墨田区「横網公園」内)で行われた秋季大法要と、同公園内に建つ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で開催された朝鮮人犠牲者追悼集会に参加し、震災に関連するすべての犠牲者を慰霊・追悼しました。

東京都慰霊堂秋季大法要

 また台場公園(品川台場跡)に建立されている「関東大震災 東京大空襲 犠牲者慰霊碑」をお参りしました。関東大震災時、墨田川から犠牲者が流され、現在のお台場周辺には多くの遺体が流れ着いたそうです。そのため旧防波堤にて慰霊祭が行われていましたが、お台場地区の整備・再開発により慰霊祭を打ち切り、東京都慰霊堂での慰霊に引き継がれたため、その経緯を記し犠牲者を弔う慰霊碑を建立したとのことです。

関東大震災 東京大空襲 犠牲者慰霊碑

 その後、在日韓人歴史資料館で開催された第111回土曜セミナーに参加しました。テーマは「関東大震災ーその時代と社会」、講師はジャーナリストの渡辺延志氏でした。

 渡辺氏より、当時の新聞報道などを資料としつつ、朝鮮人による暴動・略奪・放火といった流言蜚語がどのように発生し、どのように伝わり、そして報じられ、また虚報として総括されていったか確認しました。

 それとともに、震災時、朝鮮人を虐殺した「自警団」とは、けして震災直後に突如として結成されたのではなく、既に米騒動以後、警察を補完するかたちで上からつくられ、そのメンバーは日清戦争で朝鮮を戦場とした元軍人による在郷軍人会が中心であったことなども伺いました。彼らは朝鮮半島で壮絶な殺戮を経験しており、既に日本には虐殺の精神的・社会的素地があったといえます。

 一方で、彼ら元軍人は、日本社会において下層に位置する人々であり、けしてみずから望んで軍隊にいったわけでもなく、朝鮮人を戦争で殺戮したわけでもありません。ある意味では彼らも戦争に動員され、殺戮に加担されたという見方もできます。渡辺氏はこうした当時の社会状況を多面的に見ることで、新たな、かつ大きな枠組みで歴史を考えようとされています。

講演する渡辺延志氏

 また現在では関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する議論もあるようですが、数々の証言、人々の日記、軍・官憲の記録、新聞報道、行政機関の資料などからも虐殺の事実を否定することはできません。そして震災から約1か月半後に報道統制が解禁された10月下旬の新聞では、既に「朝鮮人による暴動」といった情報が虚報であり、そうした流言蜚語により多数の朝鮮人が虐殺されたが、実際には日本人が略奪などの犯罪行為を行っていたと報じられており、私たちの国の負の歴史としてしっかりと学習し、継承する必要があります。