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「辺野古二段階返還論」なる暴論ー絶対安全圏から基地を押しつける「本土」の傲慢が沖縄の人々をふたたび傷つける

 先月9月30日に投開票がおこなわれた沖縄県知事選挙において、辺野古新基地建設反対を訴えて当選した玉城デニー氏は今月4日、沖縄県庁で当選証書を交付され、正式に沖縄県知事に就任した。デニー県政の本格始動に期待が高まっている。

 デニー知事の訴えた辺野古新基地建設反対の主張は、沖縄県民の一貫した願いといっていい。翁長前知事はもちろんのこと、仲井真元知事も2期目の県知事選挙において普天間飛行場の県外移設を訴えて当選している。沖縄選出の自民党議員も、2013年までは普天間飛行場の県外移設を訴えていた。これまでの国政選挙においても、沖縄の選挙区では辺野古新基地建設反対をいう議員が多く当選している。各種世論調査やこれまでの住民投票でも沖縄県民の基地負担の軽減の願いは明白である。今回の沖縄県知事選挙でも、基地問題を争点と考える世論の大きさや辺野古新基地建設に反対する人々の切なる願いに注目が集まった。

閉じられた辺野古沖護岸(沖縄タイムス2018.08.29)

 「辺野古二段階返還論」とは

 そうしたなか、今回の沖縄県知事選挙における若者世代の投票行動や、デニー知事と事実上の一騎打ちを選挙戦で戦った佐喜真淳氏の落選の原因などを分析した記事を発表している人物が、普天間飛行場・辺野古新基地問題について、「辺野古二段階返還論」なる主張をおこなっている。

 この人物の主張する「辺野古二段階返還論」とは何か。それはごく簡単にいうと、「まずは辺野古新基地を建設し、96年SACO合意に基づいて普天間飛行場の返還を実現させ、その上で辺野古新基地の返還を待つ」というものである。

 そうはいっても、辺野古新基地は耐用年数200年といわれる恒久的な軍事施設であり、辺野古新基地の返還は難しいという反論が予想される。それについてこの人物は「耐用年数200年というが、戦後の73年間も含め、これからさらに日米関係が200年も続くとは思われない」とする。「あのフィリピンですら対米関係を見直し、米軍基地を撤退させた。フィリピンと米国の関係は100年も続かなかったではないか」と。

 つまり96年SACO合意に基づいて普天間飛行場を辺野古新基地に移設し[普天間飛行場の返還]、その上でいつかそのうち日米関係が見直される時期がくるのを待つ[辺野古新基地の返還]という「二つの返還」(二段階返還論)を目指すというものである。

 この「二段階返還論」の論理の核心は、あくまで普天間飛行場の辺野古「移設」論であり、政府のいう「辺野古唯一論」とかわるところはないが、「いつか辺野古が返ってくる可能性がある」と付け加えることにより、辺野古「移設」を「一時的」なもののように粉飾し、辺野古「移設」論の問題点をあやふやにし、結局は辺野古「移設」を推進するものである。

 「二段階返還論」は、これまで積み重ねられてきた辺野古新基地建設反対論を無視し、一方的に沖縄に基地負担を押しつける「暴論」である。沖縄県民、そして日本中で、あるいは世界で辺野古新基地に反対する声が高まっているが、なぜ多くの人々が反対しているのかという視点は完全に抜け落ち、人々の声に向き合うことなく「辺野古もそのうち返ってくるから」と安易な認識で新基地建設を容認・推進するものである。

 「二段階返還論」の問題点

 以下、「二段階返還論」の問題点(あるいは「二段階返還論」が依拠する「辺野古唯一論」の問題点)を詳述する。

 (1)辺野古新基地が完成しても、ただちに普天間飛行場が返還されるわけではない

 現在、沖縄県による埋立承認の撤回により、埋立のための土砂が投入寸前であった辺野古新基地建設は休工状態にあるが、万一、安倍政権が工事を再開させ、10年後~20年後に新基地が完成したとしても、ただちに普天間飛行場が返還されるわけではない。

 普天間飛行場の返還について、日米両政府は2013年4月に「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」に合意している。そこでは辺野古での新基地建設のほか、長い滑走路を持つ民間空港の使用[緊急時における那覇空港の使用]などの条件が記載されている。当然、これら返還基準が満たさなければ、普天間飛行場の返還はない。普天間飛行場の返還条件についてしっかりと確認することなく、「普天間飛行場が返ってくるのだから」「辺野古もいつか返ってくるのだから」と安易に新基地をつくれば、取り返しのつかないことになる恐れがある。

 (2)沖縄を意思決定から排除した96年SACO合意の危険性についての認識不足

 この人物は、96年SACO合意に基づき普天間飛行場の辺野古移設をすすめるというが、そもそもこのSACO合意に沖縄の意思は何ら反映されていない。沖縄が意思決定から排除された日米両政府の勝手な合意がSACO合意であり、沖縄にとっては一方的かつ非民主的なものである。すくなくとも沖日米による公開された民主的な議論という適正な手続きが存在すれば、普天間飛行場の閉鎖・返還のために本当に「代替施設」「移設」が必要なのか、必要だとしてもそれは辺野古でなければならないのかという議論がおこなわれたはずであり、問題がここまでこじれることはなかったはずだ。

 それではSACO合意とはなにか。それは「キャンプ・バトラー」ともいわれる沖縄全体の海兵隊基地を中心とする米軍機能の再編・強化を目指すものだ。SACO合意に基づく那覇軍港の浦添への移設は老朽化した施設の更新であり、高江でのヘリパッド建設はオスプレイの使用を可能とするものであり、辺野古新基地は1960年代以来の米軍の悲願であった陸海空一体となった大規模新基地の獲得である。SACO合意は、全ては沖縄における米軍機能の再編・強化につながっている。もちろんその裏には、沖縄県民の基地負担の増加が存在するわけであり、非民主的なSACOを絶対視し、「移設だ」「返還だ」として議論をすすめることは危険である。

 (3)辺野古新基地は普天間飛行場の「移設先」「代替施設」ではない

 普天間飛行場は文字通り米海兵隊の飛行場であるが、辺野古新基地には2本のV字滑走路の他、MV-22オスプレイが配備されるヘリポートや強襲揚陸艦接岸用の軍港、辺野古弾薬庫と連動するであろう弾薬搭載エリアなど、普天間飛行場にはない様々な新機能が予定されている。まさしく辺野古は「新基地」なのであり、基地機能を強化するものだ。

 辺野古新基地を飛び立ったオスプレイは、ヘリパッドが新設された北部訓練場で訓練を繰り返したり、パラシュート降下訓練がおこなわれる伊江島に飛び立つこともあるだろう。また隣接するキャンプ・ハンセンの地上部隊が辺野古新基地に進入し、陸海空一体の運用がおこなわれる可能性もある。沖縄島中北部の基地負担はこれまで以上になるのであり、単純に普天間飛行場の「移設先」「代替施設」として辺野古新基地をとらえても、沖縄の基地負担の軽減にはつながらない。

 (4)二度と元に戻らない自然環境

 いうまでもなく、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる辺野古新基地は、サンゴ礁やジュゴンの餌場の破壊など、大規模な環境破壊を伴うものである。また埋め立てのために投入される土砂は西日本各地で採掘されるものであり、辺野古沖の海洋生物などの生態系を破壊する恐れがある。また新基地建設により、土砂や工事資材を積んだ工事車両が10年以上にわたり多数行き交うことになり、これによる環境負荷も見過ごせない。

 もちろん、こうして破壊された環境は二度と元に戻ることはない。また米軍の基地使用のあり方は、日米地位協定によって事実上米軍の自由である。返還された米軍基地跡からは、不法投棄されたと思われる危険物質なども確認されており、そうして意味での環境破壊も考えられる。海を埋立て、世界最強の軍隊のための軍事基地をつくるのである。「一度建設して、しばらくしたら元に戻そう」というような甘いものではないことは、少し考えればわかるはずである。

 (5)「辺野古唯一論」の破綻と差別性

 「二段階返還論」は、とりもなおさず政府のいう普天間飛行場の「移設先」「代替施設」としての「辺野古唯一論」に依拠するものである。しかしこの辺野古唯一論は既に破綻している。

 森本元防衛大臣や中谷元防衛大臣は、普天間飛行場の「移設先」は、九州や西日本でも可能としている。安倍総理自身、「移設先」について「本土では理解が得られない」と発言するなど、辺野古には「移設先」「代替施設」としての地理的優位性や軍事的要請は存在しない。つまり「辺野古唯一論」は、「本土」には新たな米軍基地は置けないという政治的判断に基づくものなのだ。

 また「二段階返還論」は、そもそも普天間飛行場の閉鎖・返還に関して、「代替施設が本当に必要なのか」という検討をしていない。既に高速輸送船の導入や海兵隊の運用の変更によって普天間飛行場は代替施設を建設しないでも閉鎖・返還できるという見立てもあり、これに基づいてワシントンでロビー活動を展開しているシンクタンクもある。もちろん、沖縄戦において強制的に占拠・建設された普天間飛行場は国際法に違反するものであり、無条件の閉鎖・返還という主張も根強く存在する。

 「二段階返還論」は政府のいう「辺野古唯一論」に依拠することにより、沖縄に基地を押しつけ、「本土」の基地負担を回避するものである。自らは絶対安全圏にいて応分の負担を拒否しながら、沖縄には「そのうち返ってくるから」と基地を押しつけるのは、あまりに傲慢である。そして、これまで積み上げられてきた代替施設や「移設」に関する議論、あるいは「本土引き取り運動」といった動向を踏まえることなく「本土」の高みから「二段階返還論」などとぶちあげて沖縄の基地負担を当然視する姿には、沖縄が置かれた構造的差別とそこに関与する「本土」という自己反省が感じられない。

 「二段階返還論」を取消し、沖縄について向き合い直すことを呼びかける

 その他、辺野古新基地建設には、政府・沖縄防衛局による違法工事や沖縄県への高圧的な姿勢、県の指導をかいくぐるばかりの態度といった問題もあれば、政府による基地建設費用の負担、公有水面埋立法に対する法解釈などの問題もある。また「二段階返還論」は「いつか日米関係が見直されるはずだ」という根拠のあやふやさの問題があるが、それらについて言及せずとも、これまで挙げた点だけでも辺野古新基地建設は普天間飛行場の「移設」などではなく、あくまで新基地建設であることがわかるはずだ。

 辺野古新基地は、完成しても普天間飛行場が返還されるか確実ではなく、さらに普天間飛行場が返還されたとしても、それ以上の危険と基地負担を沖縄に押しつけるものである。そして建設をめぐる様々な手続きにおいて適正さや公正さを欠くものであり、「いつかそのうち返ってくるから、とりあえず建設しよう」などという雑な感覚で議論するようなものではない。沖縄は、ありとあらゆる面から辺野古新基地の問題点を「告発」をしているのである。その「告発」をしっかりと受け止めて、答えを出していく必要がある。

 「二段階返還論」をいう人物は、SNS上で「何度も辺野古に行った」などとも発言している。その発言が虚言とまではいわないが、辺野古に何度もいった人物の口から「二段階返還論」が出てくるのは不思議で仕方がない。一体、この人物は辺野古に行って何を見て、何を感じ、何を考えたというのだろうか。辺野古区民は20年以上、国家に翻弄され続けている。最近では新基地の容認条件である個別補償が行われない可能性も出始め、「それならば反対」という区民の声もある。地域の人々の苦しみやこれまでの議論の積み重ねも全て飛び越えた「二段階返還論」は、「ただの思いつき」ともいえない悪質なものも感じる。

 「二段階返還論」をいう人物は、沖縄戦の戦跡を何度も訪れたことがあるそうだ。曲りなりにも沖縄戦の傷跡や悲しみに向き合う姿勢はあるのだろう。沖縄基地問題は沖縄戦にまっすぐにつながる。沖縄戦について向き合う姿勢があるのならば、基地問題についてももう一度しっかり向き合うことも可能だろう。またこの人物は故翁長雄志氏を「保守」「愛国者」といって褒めそやしている。ならば翁長氏が辺野古新基地建設についてどのような主張をしていたのか、先刻承知のはずであり、それを思い出せば自身の主張の問題点を検討することもできるだろう。いますぐ「二段階返還論」を取消し、沖縄について向き合い直すべきだ。