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平成30年10月29日 花瑛塾第15次沖縄派遣団⑥(ババハルさん慰霊など)

 花瑛塾第15次沖縄派遣団は29日、戦時中、沖縄戦を控えて日本軍の配備が進んでいた石垣島で亡くなった慰安婦のババハルさん(国籍など不明)が埋葬された地(石垣市川平)を訪れ、慰霊・追悼の祈りを捧げました。

 ババハルさんは石垣市川平に設置された慰安所で慰安婦として働かされていましたが、何らかの理由で亡くなりました。遺体は川平の海岸近くの畑に埋葬されましたが、墓もなく弔う人もいません。同地で亡くなった兵隊も同様に埋葬されたとはいえ、仲間の兵隊が復員にあたって遺骨を持ち帰るといったことがありました。しかしババハルさんは慰安婦にさせられ命を落とし、ただ土に埋められたきり弔う人も顧みる人もいません。彼女の無念や悔しさはいかばかりでしょうか。

ババハルさんが眠る石垣・川平の畑

 沖縄戦時、石垣島には10箇所前後の慰安所があったと推定されています。沖縄本島も入れれば、100以上の慰安所が設置され、日本人や朝鮮人の女性が慰安婦として働かされました。軍は工兵部隊を用いて慰安所を建設し、性病検査をおこなうなどしました。慰安所の管理は軍に委託された業者がおこなうなどしたそうです。

 沖縄戦時、石垣島では地上戦こそなかったものの、連日のように米英軍機による空襲がありました。しかし軍は機密保持を理由に慰安婦を防空壕に入れなかったため、彼女たちは空襲の際に樹の下にうずくまり身を隠していたといわれています。沖縄本島でも戦闘が始まると慰安婦は見捨てられ、戦場に取り残される例もありました。特に朝鮮人慰安婦たちは言葉もわからず土地勘もなく、泣きながら逃げまどう姿が目撃されています。

 普段の慰安婦の待遇は悪く、稼ぎからは沖縄までの交通費や生活費が差し引かれ、食事もままならず付近住民に食べ物をねだる姿も目撃されています。一方で日本人慰安婦は将校専用の慰安所で働かされ、朝鮮人慰安婦より多少はましな待遇にあるなど、出身地や民族での差別もありました。

 また石垣市では、新築したばかりの八重山高等女学校を軍が解体し、建築資材を供出させて慰安所を造った事例もあり、八重山高等女学校の女生徒はじめ地域住民は軍に不信感をもったともいわれています。

 なお、この日、その他に沖縄戦時の石垣島守備隊(独立混成第45旅団)司令部付近の慰安所跡(石垣市石垣)、海軍石垣島警備隊司令部付近の慰安所跡(同大川)、海軍第19震洋隊基地付近の慰安所跡(同川平)などを見学しました。現在は通常の民家などになっているため、画像などはありません。

 祖国を愛し、自国の歴史をわが歴史として感じ、過去の戦争について深い思いを持てばこそ、慰安婦とされた人々の苦労に思いを致し、国策のあやまちを反省し、これからの国の歩みに生かさなければならないと思います。