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米軍機が那覇市の東南東約290キロの海域に墜落─米軍は軍用機、化学兵器、核爆弾など、あらゆる「危険」を沖縄の海に捨ててきた─

 11月12日、米海軍FA18戦闘攻撃機1機が那覇市の東南東約290キロの海上で墜落した。墜落機搭乗員2名は緊急脱出し、米軍ヘリに救助され無事とのこと。漁船が墜落事故に巻き込まれるなどその他の人的被害も確認されていない。

 墜落現場は空域と海域が米軍に提供されている沖縄近海の訓練区域「マイク・マイク」とされる。事故当時、自衛隊と米軍が共同巡航訓練を行っており、墜落機は米空母「ロナルド・レーガン」から発艦した機体だった。

墜落現場略図(「琉球新報」より)

 「琉球新報」によると、沖縄県内で発生した米軍機の墜落事故は沖縄の日本復帰以降、計50件に上るとのこと。さらに県内では6月、嘉手納基地所属のF15戦闘機が那覇沖に墜落した事故が発生したばかりであり、16年12月にはMV22オスプレイ(普天間飛行場所属機)が名護市安部の海岸に墜落した他、17年にはCH53Eの不時着・炎上や部品落下など米軍機の事故やトラブルが相次いでいる。

 墜落機搭乗員はじめ、人的被害がなかったのが唯一の救いだが、一歩間違えれば多数の犠牲者が発生していたかもしれないありえない事故である。事故原因はいまのところ不明であるが、米空母「ロナルド・レーガン」の整備兵の疲労が事故の遠因ともいわれている。また自衛隊との共同巡航訓練中の事故とのことだが、おそらく自衛隊が米空母の護衛をしながら共同巡航していたものと考えられ、はからずもこの事故によって自衛隊と米軍の一体化が明るみとなったとの指摘もある。

 機体は水没したため引き揚げ・回収は不可能といわれ、このまま機体の残骸が沖縄近海に放置されることになる。これにともなう海洋汚染や漁業への被害も懸念される。墜落機は爆弾を実装していたのだろうか。安全面での心配もある。

 沖縄戦後、米軍は沖縄洋上に多数の危険物品を投棄してきた。ジャーナリストで「沖縄タイムス」特約通信員のジョン・ミッチェル氏は、著書『追跡 日米地位協定と基地公害 「太平洋のゴミ捨て場」と呼ばれて』(岩波書店、2018年)において、米軍が過去、大量の化学兵器(毒ガスなど)を沖縄洋上の海中に投棄した事実や、沖縄近海の海中に米軍の核兵器が打ち捨てられている事実を指摘している。

 1969年、沖縄・知花弾薬庫でサリン爆弾の定期補修中に漏出事故が発生し、多数の米兵が負傷した。米軍は事故を隠ぺいしたが、報道により事実が明るみとなると地域住民の化学兵器の撤去要求が高まり、1971年から「レッドハット作戦」といわれる化学兵器撤去計画が実施された。しかし作戦を担った米陸軍荷役担当者は、撤去・移送のため化学兵器を入れた金属容器を積載した船が沖縄沿岸を出発し、数時間後、沖縄洋上でその金属容器を海中に投棄したと証言している。この頃の米軍の科学者たちは、化学兵器は海中に投棄すれば危険性が希釈されると考えていたようである。

レッドハット作戦で知花弾薬庫にある毒ガスを移送するトラック(沖縄県公文書館【0000108844 /037625】)

 また1959年、那覇米空軍基地に配備されていた「ナイキ・ハーキュリーズ」といわれる核ミサイルが海に誤発射された。幸い核ミサイルそのものは不発であったが、一つ間違えれば那覇沖で核爆発が起きていたという恐るべき事故であった。さらに1965年、横須賀に航行中の米空母から核爆弾を搭載した軍用機が転落し、水没する事故が発生した。これまで事故は陸地から800kmの地点で発生したとされていたが、米海軍の文書には琉球諸島の東130kmの地点で事故が発生したと記されていた。那覇沖に発射された核ミサイルと空母から転落した核爆弾という2つの核兵器は、いまでも沖縄の海域に沈んでいる。

 今回の墜落機はじめ、米軍は沖縄の海に化学兵器や核爆弾などを捨て、海と人の命を危険にさらし、汚染させてきたのである。米軍基地返還地の土壌汚染など、陸地の汚染・危険はいうまでもない。日米地位協定の抜本的な見直しや沖縄駐留米軍の大幅な縮小など、事態の根本的な解決に向けて動き出さねばならない。