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11・25「楯の会」事件から48年(中)葦津珍彦が見た三島由紀夫と「楯の会」事件

葦津の「楯の会」事件への関心

 昭和45年11月25日に発生した三島由紀夫以下「楯の会」隊士による「楯の会」事件は、発生直後から様々に批評された。当時の佐藤栄作首相は「狂気乱心の沙汰」と一刀両断のもとに評し、中曽根康弘防衛庁長官も「迷惑千万」と断じた。そうした評価はいまなお一部で続いているものと思われる。しかし事件発生直後から多くの人が三島の文学作品を買い求め、都内の書店から三島の作品は姿を消した。また三島の憲法改正と決起の呼びかけに多くの自衛隊員が怒号を飛ばし、あるいは嘲笑したが、一部隊員に深刻な影響を与えたともいわれている。

 戦後神社界を代表する思想家・言論人である葦津珍彦も、「楯の会」事件に衝撃をうけ、事件の分析を試みている。葦津は、早くも事件直後の11月30日に「三島由紀夫自刃す 沈黙せる国民心理への影響」との記事を執筆している。続いて同年12月5日には「三島事件の教訓」との論考を執筆している。三島の葬儀や事件の公判の様子などもリポートしており、葦津の事件への強い関心がうかがわれる。

三島とサイレント・マジョリティ

 葦津「三島事件の教訓」によると、葦津は事件前後に佐藤が国会で臨時国会の施政演説を行っていたことをとらえ、もし三島の呼びかけに自衛隊員が呼応していれば、実際に国会が制圧されていたかもしれないとし、事件について三島の狂気乱心といった見方を否定している。葦津はある種の「軍事作戦」としても「楯の会」事件の深刻さを認めた上で、「狂気乱心の沙汰」との佐藤の事件評を「鈍感」と非難する。また三島の決起の呼びかけに怒号でこたえた自衛隊員を、中曽根が「自衛隊には民主平和の憲法思想が定着している」などと評したことについて、「三島自刃後の下士官・兵の感想を聞いてみよ」と応答し、三島自刃にショックをうけ、深い感銘をうけた自衛隊員の声を紹介している。

 そして葦津は、

(中曽根─引用者註)長官のみならず、憲法定着論者は、現憲法に対する三島由紀夫の憤りが、社会のどこにもっとも深く大きな、共感の波紋を投げかけてゐるかを、克明に調べてみたらいい。それは経済繁栄でブタのやうに肥えた経済人でもなければ、社会的地位の高い老年者でもない。敗戦屈辱後の日本に生れ、しかも光栄ある伝統の復活をもとめてゐるわかい二十年代の青年なのだ。しかもそのわか者の数は少なくない。この明白瞭然たる事実をはっきりと知っておくがいい。(「三島事件の教訓」)

と指摘し、自刃をともなった三島の呼びかけは、憲法定着論などとは無縁に、確実に人々を揺さぶっているとするのである。

 しかし葦津は、事件を無批判で礼賛しているわけではない。例えば三島が憲法改正という政治目標をかかげ、その実現のための主体として自衛隊を選んだ政治戦略について、葦津氏は批判をしている。

かれは、現憲法によってもっとも屈辱を強ひられてゐるのは、自衛隊の武士であると信じたがそれはちがふだらう。現憲法によって屈辱を強ひられ、これに反撥の念をもってゐるのは、日本民族の沈黙せる土着大衆(流行語で云へばサイレント・マジョリティ)なのだ。(同)

憲法の問題を解決すべき主体は現憲法以前から現存し、そして伝統の精神に屈辱を強ひられ、この憲法に違和感をもちつづけてゐる民族大衆である。かれが決起を期待すべきは、この黙々たる国民大衆の中にこそある。(同)

東大全共闘と語る三島由紀夫(東大駒場キャンパス:1969年)

 葦津はこのように「楯の会」事件が、あるいは三島が、自衛隊への呼びかけを政治戦略とした点については批判し、事実として「サイレント・マジョリティ」は、三島の武士的行動に感動していると指摘する。

 また批判とは異なるが、葦津は、伝統的な武士の作法にのっとった最期とはまったく異なる三島の日常の言動や行動の著名人的な華やかさがあだとなり、誰も決起に応じなかったのではないかとも分析している。「楯の会」を結成した頃の三島の宣伝や行動は、ウルトラ・モダンな印象をあたえ、日本的な古武士の重厚・沈黙・果断という気風とは大きく異なり、そうした印象が三島の決起工作を挫折させる要因ともなったとする。

 葦津「三島事件の教訓」における「楯の会」事件についての分析や批判は、事件直後に記されたものということもあり、様々な情報や資料、他の事件評などを総合した深まりあるものとはいえないが、事件を小馬鹿にするような態度は微塵もなく、むしろ畏敬の念に基づいた誠実さが感じられる。

 そして三島らの武士的行動は、憲法定着論を吹き飛ばし、自衛隊員よりも国民・民族大衆に、あるいは自衛隊員においては、自衛隊員以前の国民・民族大衆としての各人の個性に影響を与えているという分析は、非常に冷静であり、なおかつするどいものがあるといえる。

 前回は三島の憲法改正や自衛隊治安出動の狙い、あるいは沖縄返還と自衛隊沖縄配備に関する分析の冷徹さと正確さを指摘したが、葦津もまた三島の行動に激しい衝撃をうけながらも、三島同様に冷静に、かつ正確に三島と「楯の会」事件を分析していることは、非常に興味深い。

 ところで葦津は事件以前から三島の文学作品について関心を抱き、それを神道家の立場から批評しつつ、さらに「忠誠と反逆」の論理を展開している。次回は葦津の三島文学論について論じたい。

(つづく)