未分類

平成30年11月25日 花瑛塾第16次沖縄派遣団②(沖縄愛楽園)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は25日、ハンセン病患者の療養施設「沖縄愛楽園」(名護市)を訪問・見学しました。

 戦前、ハンセン病は国力を低下させる「国辱病」とされ、患者の強制収容・隔離が行われ、妊娠中の患者の強制堕胎なども行われたそうです。愛楽園もそうした施設の一つであり、当初は「臨時国立らい療養施所国頭愛楽園」と称されました。

沖縄愛楽園交流会館

 特に沖縄戦時、軍はハンセン病を極度に警戒し、患者の強制収容・隔離を進め、隔離した患者を「祖国浄化の戦士」などと評し、徴兵になぞらえるなどしました。施設側も戦争遂行のため「無らいの島をつくってみたい」と意気揚々と患者の強制収容・隔離に協力するなどしました。

 愛楽園の定員は450人程度でしたが、強制収容・隔離が進み、913人もの患者が隔離され、食糧不足なども発生したそうです。こうした施設は宮古島にもあり(「宮古南静園」)、同じく強制収容・隔離が進み、患者は苦しめられたといわれています。与那国島においても日本軍はハンセン病患者を収容し、台湾のハンセン病患者療養施設「楽生園」に連行したという証言もあります。

 こうした隔離政策はつい最近まで続き、平成13(2001)にようやく裁判所が隔離政策について違憲判決を出したそうですが、壮絶な差別や偏見に満ちた患者への取り扱いを知り、居た堪れない思いになりました。

 その後、同園内にある沖縄愛楽園交流会館で開催されたギャラリートーク「沖縄島北部の慰安所」を拝聴しました。

 沖縄戦時、沖縄島だけで100ヵ所以上の慰安所が作られ、北部にも多数の慰安所がありました。沖縄全体では約140ヵ所もの慰安所があり、今後の調査によってはさらに増えると考えられます。

 「慰安婦」とさせられた女性たちは、沖縄の女性と朝鮮の女性が多く、少数ながら本土の女性もいました。ほとんどの女性が意に反して「慰安婦」にさせられました。慰安所での収入は大半が業者にピンハネされ、生活環境も相当に劣悪で、「慰安婦」とされた女性たちが慰安所の近所の住民に食糧をねだる姿も目撃されています。

ギャラリートークの様子

 さらに米軍占領後、北部の慰安所で「慰安婦」にさせられていた女性の一部は、米兵相手の「慰安婦」にさせられるなど、軍の暴力に翻弄され続けました。