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平成30年12月15日 花瑛塾第16次沖縄派遣団⑨(辺野古新基地・北部訓練場)

 花瑛塾第16次沖縄派遣団は15日、昨日に引き続き有志による抗議船に乗船し、新基地建設のため土砂投入が行われている辺野古沖・大浦湾へ出港して抗議活動を行いました。

抗議船での抗議の様子(大浦湾K9護岸付近)

 14日、政府は辺野古沖N3護岸へ土砂投入を開始しました。歴史的暴挙・歴史的愚行であり、心からの怒りを込めて糾弾します。一方で、土砂投入によって自然や生物に対して取り返しのつかないダメージを与えてしまいましたが、新基地建設全体としてはまったく進展しておらず、土砂投入は政府による「諦めムード」の醸成のためのパフォーマンスに他なりません。

 岩屋毅防衛大臣は土砂投入の開始について「辺野古新基地建設は日米同盟のためではなく日本国民のため」との趣旨の発言をしました。しかしそれは事実でしょうか。昭和41年(1966)の時点において、米軍は現在の辺野古新基地にそっくりな辺野古沖滑走路建設計画を有していました。普天間飛行場の「移設」の名の下、米軍の整理・統合・強化を実現しようとしているのが96年SACO合意に他ならず、辺野古新基地建設は日本国民のためではなく米軍のためにあるのです。そもそも沖縄県民を泣かせて何が「国民のため」なのでしょうか。

昭和41年の米軍の辺野古沖滑走路計画

 新基地の建設期間について、沖縄県は今後13年もの年月がかかるとの試算を行っています。防衛省も新基地の建設期間について、明言を避けています。つまり竣工まで相当な年月がかかると予測されるのであり、まだまだ新基地建設を撤回させることは可能です。今後とも不撓不屈の精神で抗議を続けていきます。

 またこの日、米海兵隊演習場北部訓練場でも各ヘリパッドを結ぶ進入路の舗装・拡幅工事などヘリパッド関連工事が再開したため、昨日に引き続き抗議活動を行いました。

北部訓練場での抗議行動

 辺野古新基地と北部訓練場はリンクしており、今後オスプレイなどを用いて辺野古・高江・伊江島など沖縄北部を中心に激しい米海兵隊の演習が行われることになります。

 そもそも米海兵隊は日本「本土」に配備されていましたが、50年代の「本土」での反対運動の高まりもあって沖縄に移転していきました。さらにいま、沖縄内部で米軍基地が沖縄中南部から北部へと移転・集中しようとしています。50年代の移転によって基地負担は「本土」において不可視のものとなり、さらに今後の基地の移転・集中によって沖縄内部でも不可視のものとなります。

 しかし基地負担は消滅したわけではなく、沖縄北部にこれまで以上にのしかかるのであり、「本土」の人々はこれに対して応える歴史的責任があるのではないでしょうか。

 防衛省は住民の民意を無視するばかりか、自然を破壊して他国軍に国土を提供していますが、それのどこが「防衛」なのでしょうか。これはむしろ政府・防衛省による沖縄への「攻撃」「侵略」といえます。沖縄戦で日本軍がどれほど住民を圧迫したのか。自国の歴史を顧みることなく防衛政策を進めてはなりません。