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平成31年1月28日 花瑛塾第17次沖縄派遣団④(「魂魄の塔」慰霊参拝)

 花瑛塾第17次沖縄派遣団は28日、沖縄戦犠牲者慰霊碑「魂魄の塔」(糸満市米須)訪れました。

 米須一帯は沖縄戦の激戦地の一つでもあり、戦後も多くの犠牲者の遺骨が放置されていました。米須には、米軍の命令で真和志村の人々が移住していましたが、真和志村民がこれら犠牲者の遺骨を日米・軍民の別なく収骨し、納骨した自然窟が「魂魄の塔」の原型です。

 納骨した遺骨の数は3万5千体ともいわれ、遺骨は山になったそうです。そのため石垣を組んで現在の形になりました。なお当時、遺骨の収骨・納骨作業の先頭に立ったのは翁長雄志前沖縄県知事の父である翁長助静(じょせい)氏といわれ、「魂魄の塔」には助静氏の歌碑も建立されています。

 現在は「魂魄の塔」に納骨された遺骨は、戦没者中央納骨所(那覇市)を経て国立戦没者墓苑(糸満市摩文仁)へ納骨されていますが、「対馬丸」事件の遺族らが「魂魄の塔」内にまだ事件犠牲者の遺骨がある可能性を指摘するなど、沖縄戦の傷跡はいまだ生々しく残っています。