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令和元年5月25日 影山正治大人之命四十年祭(大東神社)

 大東神社(東京都青梅市)で斎行された影山正治大人之命四十年祭に参列しました。

 影山氏は昭和54年(1979)のこの日、「一死似て元号法制化の実現を熱祷しまつる」と残し、大東神社と隣接する大東農場内で自ら命を絶ったといわれています。今日は即位・改元として新元号「令和」のもとで初の年祭となり、意義深いものがあります。

大東神社社殿

 ところで、影山氏が命を絶った5月25日は、元弘3年(1336)に湊川の戦いで楠木正成・正季兄弟が足利方に討たれた日でもあります。大東神社にも楠木正成とその子正行の「櫻井の訣別」の場面をあらわした石造があります。

「櫻井の訣別」(大東神社)

 戦後神社界を代表する思想家・言論人である葦津珍彦氏は、楠公を日本史上の忠臣の典型とし、その行動様式を「絶対随順型」の忠臣の行動様式とします。一方で葦津氏は、日本史上には「その心は楠公の心なるも、その迹は足利」と称した真木和泉守や西郷隆盛、あるいは西郷を敬慕した頭山満のような「賊徒の汚名も悔いぬ」「名も要らぬ」という「法外の人─アウト・ロウ─浪人の道」という忠臣の行動様式もありえるとしました。

 楠公の精神と事跡に心から敬意を表するとともに、時に「名も要らぬ」浪人の道や法外の人─アウト・ロウの忠義を全うすることも覚悟しなければなりません。

影山正治大人之碑(大東神社)