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沖縄タイムス1面コラム「大弦小弦」に取り上げられました

 6月24日の沖縄タイムス1面コラム「大弦小弦」(記者:阿部岳氏)に花瑛塾々長仲村之菊のコメントが取り上げられました。

 コラムの内容は、前日23日の「慰霊の日」に関連し、沖縄に配備されている陸上自衛隊第15旅団などの自衛隊員が制服を着用した上で、沖縄戦の日本軍沖縄守備隊牛島満司令官らが祀られている「黎明之塔」を訪れ、牛島司令官らの自決時間にあわせて集団で参拝していることを取り上げ、「自衛隊は日本軍の後継者なのか、違うのか」と問うものです。

 花瑛塾は日々、身を挺して国の防衛に励む自衛隊員に心からの敬意を表するものですが、沖縄の陸自トップ以下隊員が制服を着用し集団で沖縄戦時の日本軍司令官らを祀る慰霊碑を参拝することに対しては、強い違和感を覚えます。まして「慰霊の日」は牛島司令官らの自決の日でもあり、いくら自衛隊員らが「私的参拝」と強弁しようとも、日本軍司令官らの自決の日の自決の時間に参拝することは、歴史的にも政治的にも思想的にも大きな意味があります。

 自衛隊はそもそも、日本軍とは一線を画す実力組織として設置されたのであり、その活動も旧軍のようなものではけしてなかったはずです。例えば沖縄では、自衛隊は不発弾処理や離島の緊急患者の輸送など民生支援を中心に職務に励みました。日本軍は住民を守らなかったが、自衛隊は住民のために職務に励んだ─だからこそ当初は自衛隊アレルギーのあった沖縄で、自衛隊は一定の理解と信頼を得たのではないでしょうか。

 自衛隊が日本軍の後継者であろうとし、制服を着用し沖縄戦時の日本軍司令官らを祀る慰霊碑への集団での参拝をあらためないのであれば、自衛隊は沖縄戦での日本軍による住民殺害や戦争犯罪についてどう受け止めているのか説明する必要があり、日本軍の後継者として謝罪する必要すらあるのではないでしょうか。