未分類

【8.6広島/8.9長崎 花瑛塾アピール】日米が連携し「核なき日本」「核なき米国」「核なき世界」を実現しよう─戦後神社界の反核・原水爆禁止の思想に学ぶ─

 広島・長崎原爆投下より74年を迎えようとしている。

 昭和20年(1945)8月6日8時15分、米国は広島市上空に原子爆弾を投下し、15万人もの無辜の民の生命を奪った。続いて9日にも米国は長崎に原爆を投下し、7万3千人もの市民を殺害した。被害をうけたのは日本人ばかりではなく、勤労動員などで広島に連れてこられた朝鮮半島出身者や捕虜として広島に収容されていた米兵なども大きな被害をうけた。また、これにより現在に至るまで多くの人が原爆症といわれる放射線障害に苦しめられた。

 米国による原爆投下は、非戦闘員の殺害を目的とした戦争犯罪である。原爆投下に先立つ3月10日の東京大空襲では、あえて非戦闘員を狙い住宅地が密集する東京の下町地区を目標に定める「選別爆撃」を行った。原爆投下や空襲といった米国の戦争犯罪は到底許されず、厳しく糾弾されるべきものである。

核廃絶と原爆犠牲者の慰霊・追悼

 一方で、今を生きる私たちにとって重要なことは、米国の非道をひたすら追求し、謝罪要求に終始することのみではないはずだ。まず何よりも、何の咎もなく核の業火に焼かれた犠牲者の無念を晴らし、苦しむ御霊をお慰めするために、被爆国である日本と核の実戦使用国であり大量保有国である米国が連携して「核なき日本」「核なき米国」「核なき世界」を実現するべきだ。それはまた、私たち自身が核の恐怖から逃れ、平和で豊かな世界を生きるために必要なことでもある。

原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドーム

 米国オバマ前大統領は伊勢・志摩サミットの帰路、広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花し、核の恐怖と核軍縮の取り組みについてスピーチをした。原爆投下後、米国大統領の広島訪問や慰霊碑への献花は初めてであり、世界史に刻まれるべき出来事だ。大統領の献花とスピーチにより、犠牲者の苦しむ御霊はいささかなりとも鎮められたに違いない。トランプ大統領はもちろん、次代の米国大統領も被爆地を訪れ、犠牲者の御霊をお慰めするべきである。

 オバマ前大統領は広島でのスピーチで「核保有国は、勇気をもって恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求しなくてはいけない」と述べた。世界有数の核保有国である米国は、原爆投下の反省に立ち、スピーチの内容通り、全ての核保有国に先立ち核廃絶に取り組むべきだ。

 しかし、現在のトランプ政権は未臨界核実験を実施したり、限定核使用の新指針を発表するなど、核廃絶に全く逆行している。日本もまた被爆国として核廃絶に向けてあらゆる行動をするべきだが、日本政府は国連核兵器禁止条約に不賛同の意思を示すなど、核廃絶の熱意を疑わざるをえない。先の参院選挙でも核武装の検討を公然と主張する候補者が立候補し、当選までしたことは憂慮すべきことだ。

 先の大戦の終戦の詔書には

敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。()()くむは、朕何を()てか億兆の赤子()()し、皇祖()皇宗)神霊()()せむや。

とあり、日本が核廃絶に取り組むべきことは、国家的使命ともいえることはしっかりと認識しなければならない。

葦津珍彦の反核武装論に学ぶ

 戦後神社界・神道界を代表する言論人である葦津珍彦氏は、その論文「まづ核なき武装へ―終戦大詔の悲願継承せよ―」において、核兵器の残虐性と軍事情勢の変化から日本核武装論へ疑問を呈すと共に、核兵器を許さず平和を希求する終戦の詔の強い意志を継承し、日本の核なき防衛と世界的な核廃絶を訴えている。さらに葦津氏は、世界的な核廃絶の先導役に日本がなるべきだとも論じ、それは非核保有国の共感を結集させるものであり、日本の世界史的使命であるとする。

長崎の平和祈念式典:web論座2018年8月9日より

 現在、北朝鮮や中国の「脅威」なるものが一部において叫ばれ、こうした「脅威」を前に日本と国際世論がどのような動向を示そうが、何ら現実的な有効性を持たないと嘲笑されるかもしれない。しかし葦津氏は、同論文において、第一次世界大戦で使用された毒ガス兵器が第二次世界大戦では少なくとも公然と乱用されることのなかった事実を指摘し、国際世論と国際的取り決めの重みを示し、核廃絶においても国際世論と国際的取り決めの有効性を主張しているが、これは充分説得力がある。日本政府はただちに核軍縮政策を転換し、世界的な核廃絶に立ち上がるべきである。

 こうした葦津氏の反核武装論は、「神社新報」紙上で葦津氏が連載していたコラム「時局展望」においても「米軍事政策の転換に際して 神道人と原水爆国防論」との記事でも主張されている。そこでは葦津氏は

日本が将来に於て、万一にも自ら原爆を使用したならば終戦の詔書は、その道義的権威を失ひ、民族の存亡を賭した悲史の教訓はその意味を失はねばならない。終戦の詔書に明示せられし原爆拒否の道義的宣言は、断じて弱者の悲鳴ではない。

目的のために手段を誤ってはならない。終戦の大詔は、この道義の大原則を明示せられてゐる。犯罪的手段を選ぶほどならば、目的の放棄も亦やむを得ぬ、この悲痛なる道念あってこそ、地上に道義は保たれるのである。

ときっぱり日本の核武装を否定している。なお、この葦津氏がいう「目的のために手段を誤ってはならない」という指摘は、違憲の安保法制や米軍との一体化を進める自衛隊はじめ現代の日本の防衛政策にも通じる指摘といえよう。また神社本庁も昭和30年(1955)の「世界宗教会議」にて原水爆禁止の議案を提出しているが、愛国者として終戦の詔書にも反する日本核武装論などあってはならず、むしろ積極的に「核なき日本」「核なき米国」「核なき世界」の実現のために努力することこそ、愛国的立場であることをしっかりと確認したい。

 そしてオバマ前大統領が

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになった。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうる。(略)広島が、こうした現実を教えてくれる。

とスピーチにて述べたように、科学技術の進歩が人類へもたらす惨禍といったより高次な問題も考えていくべきだ。つまり原子力発電所の即時全面廃炉など、原子力政策の転換も核軍縮政策と同時に進めていくべきである。

等閑視された「沖縄と核」

 昭和47年(1972)の「沖縄返還」にいたるまでの返還交渉は「核抜き、本土並み」が標語であり、実際に沖縄に配備中の戦略核などが撤去されたが、一方で有事の際には沖縄への核の持ち込みを認める密約が存在したことは有名な話である。

昭和20年8月9日、読谷飛行場に緊急着陸後、離陸するB-29:沖縄県公文書館所蔵

 そもそも米軍統治下の沖縄には、最大で1300発ともいわれる大量の核兵器が配備されていた。当初、米軍は伊江島で「LABS(ラブス)」といわれる核爆弾の投下訓練を開始したが、その後に本土に配備中であった核弾頭を搭載できるロケット砲「オネスト・ジョン」を沖縄に移設させ、さらにソ連による沖縄への核攻撃を防ぐため、迎撃用の核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」を配備し、60年代以降には広島型原爆の70倍もの威力の核弾頭を搭載した核ミサイル「メースB」を配備するなど、沖縄を「核の島」としていった。

 米軍による沖縄への核配備は県民には知らされておらず、被爆国日本としても許されざることだ。さらにソ連の沖縄への核攻撃を米軍が恐れたように、沖縄への核配備は沖縄が核攻撃を受ける可能性を高め、何らかの事故によって放射能汚染などの被害をもたらすこともありえる。NHKの取材によれば、実際に核弾頭を搭載した核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が暴発し、爆発こそしなかったが那覇沖に着弾する事故が発生し、キューバ危機の際には「メースB」発射基地は「デフコン2」といわれる核戦争の臨戦態勢にあったといわれている。

 こうした沖縄への核の配備を日本政府は事実上容認し続けた。その上で沖縄返還時における核密約が存在する。日米は沖縄県民の思いや安全を顧みることなく、「沖縄と核」について無関心であり、等閑視し続けたともいえる。沖縄戦時には、米軍に占領・拡張された沖縄の読谷飛行場に、長崎に原爆を投下したB-29ボックスカーが原爆投下直後に立ち寄り、燃料補給などをした事実があるように、「沖縄と核」の問題は根深い。その上で、いまなお日米が核廃絶に取り組まず、むしろ逆行していることは指摘した通りだ。

 日米が手を携えて広島と長崎、そして沖縄に向き合い、「核なき日本」「核なき米国」「核なき世界」を実現するよう、両政府に求める。