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令和元年の終わりに

お代替わりと自然災害、被災者

 早いもので今年も間も無く暮れようとしています。

 今年一年を振り返りますと、何といっても上皇陛下の退位と、それに伴う天皇陛下の即位、そして改元など、平成から令和へのお代替わり(「御代替わり」は歴史的には「みよがわり」ではなく「おだいがわり」と読まれてきたそうです)が思い起こされます。この一年、お代替わりに関する様々な儀式や行事が目白押しでしたが、恙なく執り行われましたこと、まことによろこばしい限りでした。

 昭和から平成へのお代替わりにおいては、「天皇決戦」なるスローガンを掲げた過激派が爆弾闘争を繰り広げたといわれていますが、このたびのお代替わりにおいては、そうしたテロ・ゲリラが起きることもなく、まさに隔世の感をおぼえます。

 一方で、今年立て続けに発生した豪雨や台風といった自然災害を考慮し、即位礼の祝賀御列の儀(いわゆる祝賀パレード)が延期となりました。

 30年前のお代替わりにおいて吹き荒れた過激派の爆弾闘争も、お代替わりそのものには何らの影響を与えることもできませんでしたが、このたびのお代替わりにおいては、自然の猛威を前にしてそうはいきませんでした。

 お代替わりをとめたのは、「天皇決戦」「大喪の礼粉砕」「即位の礼粉砕」「天皇制打倒」を呼号した過激派の爆弾闘争ではなく、自然災害であった──この事実は、私たちの国、私たちの社会が、これから真に立ち向かうべきものは何かをよくあらわしているように思います。

ブルーシートに覆われた屋根が目立つ館山・布良:毎日新聞2019年10月31日

 また、被災者たちは、つい最近まで避難所暮らしを余儀なくされ、今なお多くの人が仮設住宅に住んでいます。台風により破損した家の屋根をブルーシートで覆った状態で年を越す被災者も少なくありません。

 昨年12月23日、天皇陛下として最後の天皇誕生日に際し、上皇陛下はこれまでのご生涯と象徴天皇としてのつとめを振り返るお言葉を述べられましたが、そこで上皇陛下は

この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

と述べています。天皇陛下も先日、台風19号により大きな被害をうけた宮城県や福島県の被災地を訪れ、被災者を見舞われましたが、今年一年がお代替わりの年として記憶される一方で、私たちも上皇陛下や天皇陛下が常に寄り添われている被災者の身の上に思いを致し、国民とともにある象徴天皇の意味を考え、その意義を発揚していく必要があるのではないでしょうか。

「粉飾決算」としてのアベノミクス

 この寒空の下、路上・野外で年の瀬を過ごすことを余儀なくされた路上生活者・野宿者が多数います。また、困窮や病に苦しんでいたり、障害を持つなかで、明日どうなるかわからない不安定な状況で年を越す人も多くいます。

アベノミクスの「偽装」:朝日新聞2019年2月7日

 先ほど述べた台風などの被災者への支援も充分ではありませんが、こうした社会的な弱者への行政による福祉もあまりに不充分なのが現実です。厳しい経済状況のなかで、行政は福祉への予算措置を真っ先に削減しており、被災者や社会的弱者への手当ては行き届いていません。

 一方で安倍政権は「アベノミクス」なる経済政策により過去最長の好景気が続いていると吹聴しています。それが事実であれば、なぜ福祉の予算が削減されているのでしょうか。なぜ福祉を受けられない社会的弱者がいるのでしょうか。なぜそれだけ好景気でいながら、社会全体にそんな余裕がないのでしょうか。

 今年早々には毎月勤労統計の不正が発覚しました。安倍首相が「アベノミクスの成果」と言い張る名目GDPの上昇にも、データの水増しが指摘されています。いわばアベノミクスとは不正なデータ操作によるところの「粉飾決算」であり、「過去最長の好景気」は実際は架空・偽装だという可能性があります。

 実際に実質賃金は上昇しておらず、デフレ脱却も実現していません。さらに秋元司議員の汚職事件で話題となったアベノミクスの成長戦略の柱であるIRですが、その本質は単なるカジノ・賭博・博打であり、アベノミクスの成長戦略の内実は、非常にお寒いものがあります。

民主主義の腐敗を養分とする安倍政権

 今年の春に開催された「桜を見る会」で、安倍首相は「平成を名残惜しむか八重桜」「新しき御代寿ぎて八重桜」との俳句を詠みました。新しい元号となった「令和」について、「俺が命名したんだ」「俺の時代なんだ」とでも言いたげな俳句ですが、実際にこれまで元号は漢籍を典拠としたところ、安倍首相から万葉集に限定して元号案を作成するよう中西進氏に指示があったそうであり、まさに「俺が命名したんだ」「俺の時代なんだ」と思うほどの「元号私物化」が行われていました。

今年の桜を見る会で挨拶する安倍首相:毎日新聞2019年12月26日

 桜を見る会と私物化といえば、この桜を見る会そのものの私物化、公的行事や公金の私物化が国会で厳しく追及されました。しかし「桜」の追及から身をかわし、国会・予算委員会から逃げ続けました。参院規則で開催しなければならない予算委員会すら開催しないという、恐るべき国会軽視が堂々と横行しています。

 先日のNHKスペシャルで麻生副首相・財務相が「この政権は強いんだ」と言い放ったそうですが、国会からも逃げ、記者からも逃げ、公金で支持者・後援者・有権者を買収し、批判には一切耳を傾けなくていいのであれば、それは強い政権が維持できるでしょう。間違いなく安倍政権は強い政権であり、図太い政権です。

 安倍政権は強く、図太く、国会から逃げ、マスメディアから逃げ、国民から逃げ続け、そして民主主義を腐敗させていきました。そうした民主主義の腐敗を養分とし、長期政権が維持されていったのです。そこに元号私物化、公的行事私物化、外交私物化、国有地私物化という国政私物化・国家私物化というさらなる強烈な腐敗が常態化していきました。

 どれだけ安倍政権を批判しても何も届かず、何もかわらず、攻撃は最大の防御とばかりに恣意的に解散権を行使し、野党をなぎ倒し、何年にもわたって絶対多数の政権を維持し続ければ、国民・有権者が政治的関心を失うのも当然のことです。何もかわらないのだから怒りも湧かないし、期待を持つこともないでしょう。もちろん、政治的関心を失った国民・有権者が選挙権を行使するわけはなく、安倍一強は維持され続けます。

 そうであれば、この大情況を変革するのは簡単な話なのかもしれません。民主主義に血を通わし、民主主義の腐敗を断ち切り、彼らに養分を与えないこと。すなわち国会やメディアがしっかりと政権を批判、追及し、人々が声をあげていくことです。何事もなければ、来年早々の通常国会では「桜」の追及が再開されます。この通常国会ばかりは安倍首相でも逃げることはできません。実際に今年、「桜」に関する予算委員会質疑一つで情勢は大きくかわりました。民主主義が機能すれば、この政権はあっという間にぐらつくのであり、来年にはその機会が待ち受けています。

 もちろん、通常国会の冒頭で安倍首相が衆議院を解散する可能性はあります。こうした恣意的な解散権の行使そのものが民主主義の腐敗の象徴ですが、野党がしっかりと連携し、きちんとした政権構想を打ち出し、国民・有権者の声を反映する態勢を確立すれば、解散総選挙でも勝利の余地はあります。少なくとも負けない戦いはできるでしょう。そうした時、国民・有権者は「政治はかわるのだ」という実体験に基づき、政治的当事者としての感覚を取り戻すことになり、また一つ民主主義に血を通わし、安倍政権の養分を断つことができるでしょう。

千万人と雖も我往かん

 神道言論人葦津珍彦は「一票の無力さの実感」という小論で

日本国では、いつも選挙が行われており、国民は一票を投ずる。国民たれもが投票権をもっており、主権者だといわれている。だが投票をするたびに、その一票の無意味さを痛感させられる。その一票が国の意思を定めえたとの実感がない。これは保守とか革新というのではなく、自分の意思、精神というものを多少でも明瞭に見つめている人には、共通の心理なのではあるまいか。

と述べています。まさに現代の政治状況に通じるような一節ですが、葦津はけして自身の一票を数千万人の有権者のうちの一票、すなわち自身の意思と祖国の意思の関わりは数千万分の一のものと考え、国の行く末に無気力・無関心であってはならないとします。中国の孟子からヨーロッパのルソーまで、天意と表現するか一般意思と表現するかは別として、祖国の意思と自身の意思は全的に直通しており、そこにおいて祖国への忠誠があり得ると葦津はいうのです。

 孟子はそれを「千万人と雖も我往かん」とも表現しますが、まさしくそうした精神こそが現在の安倍政権のぐらつきを生み出していったものだと思います。高江ヘリパッド建設による北部訓練場の一部返還式典から3年の月日が経ちますが、あのころ権力の絶頂の高みから沖縄に襲いかかっていた菅官房長官など、今や記者会見の場でも記者の追及に右往左往し、「ポンコツ」扱いされています。人々が自身の意思に確信をもって政権に立ち向かう時、状況は必ず変化していきます。

 来年もまた「千万人と雖も我往かん」の矜持をもって、戦っていきたいと思います。引き続きのご支援とご協力、ご指導ご鞭撻、叱咤激励をよろしくお願い申し上げます。