昭和20年3月10日の東京大空襲より75年を迎えるなか、空襲襲犠牲者の遺骨が安置されている東京都慰霊堂や空襲後に犠牲者の遺体が仮埋葬された上野公園、そして隅田公園に建つ慰霊碑、また足下で犠牲者の遺体が火葬されたといわれる上野公園の西郷隆盛像を訪れ、犠牲者を慰霊・追悼しました。
東京大空襲ではおびただしい数の市民が犠牲となり、しばらくのあいだ街のあちこちに犠牲者の遺体が無残な姿で野ざらしとなっている状況でした。こうした遺体は上野公園や隅田公園、錦糸公園などに仮埋葬され、終戦後に掘り起こされ遺骨が東京都慰霊堂に安置されたといわれています。また、上野公園の西郷隆盛像の周辺では、犠牲者の遺体の火葬がおこなわれたといわれています。
こうした遺体の仮埋葬は戦時下にあって丁重かつ正確におこなわれたとはいえず、遺体の状況もあって一人一人を埋葬したというよりも、まさしく「処理」という言葉がふさわしいような扱いであったといわれています。そのため仮埋葬した遺体の数もアバウトであり、そもそも仮埋葬した場所もはっきりしておらず、空襲犠牲者の数も正確なところはわからず、今なおどこか仮埋葬の地で眠っている犠牲者の遺体もあると考えられています。
また、米軍による東京を狙った大規模空襲は下町地区が主な空襲対象となった3月10日ばかりではなく、それ以降も東京各地が狙われました。例えば翌月の4月13日夜から14日未明にかけては、城北地区が襲われました。
現在の板橋区や豊島区ではたくさんの犠牲者が出たため、供養のためのお地蔵が建立されるなどした他、現在の南池袋公園には多くの遺体が仮埋葬されたといわれています。
日本政府は、軍人軍属への補償や援護が累計数十兆円におよぶにも関わらず、東京大空襲はじめ空襲犠牲者に対する補償・救済を頑なに拒否しています。サンフランシスコ条約で国家として米国に補償・賠償を求める請求権は保護しており、日本政府に空襲被害者を救済する義務はないが、一方で空襲被害者は個人として米国を訴える個人請求権は残っており、個人として米国を訴えろというのが日本政府のスタンスです。あまりに酷な対応といわざるをえません。
他方、いわゆる「徴用工」訴訟において、韓国人元徴用工の人たちは当時の新日鉄などの企業に対し、不法行為に対する個人請求権に基づき慰謝料を請求し、それが認められたのであることから、こうした日本政府の主張は、徴用工訴訟における韓国人元徴用工の人たちの主張や韓国の裁判所の見解に似通った構造を持ちます。
徴用工訴訟については韓国に対しあらゆる罵声を浴びせ、その主張や歴史的背景に向き合おうとしない日本政府が、一方で空襲被害者に対しては自分たちが罵声を浴びせた徴用工訴訟での韓国側の論理と同様の主張をおこなうのでは辻褄があいません。日本政府は一体何を守り、誰を守りたいのでしょうか。