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森まさこ法相は「検察官が最初に逃げた」ことがウソだと知っていたはずだ

森法相の「検察官が最初に逃げた」発言

 森まさこ法相は9日の参院予算委員会において、小西ひろゆき議員の質問に対する答弁のなかで、「東日本大震災発生時、検察官が市民に先立って最初に逃げた」、「その際に勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」との趣旨の発言をした。

 この発言について森法相は11日、衆院法務委員会で山尾しおり議員に「それは事実か」と問われ「事実だ」と答えたが、山尾議員に「本当にそうしたことがあったのか」と追求されると、「何が最初かというところもある」、「個人的な見解を述べた」などと答弁がぐらつきはじめ、その日の午後の参院予算委員会において石橋みちひろ議員らの追及にあうと答弁を修正し、撤回した。

 当然、この日の衆院法務委員会や参院予算委員会は審議ストップ、休憩、散会と荒れ模様となり、翌12日、森法相は首相官邸において安倍首相より厳重注意をうけるにいたった。

「検察官が最初に逃げた」は事実なのか

 そもそも森法相のいう「検察官が最初に逃げた」、「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」との発言は客観的な事実に基づくものなのだろうか。

「逃げた」発言について追及される森法相:朝日新聞デジタル版2020.3.11より

 森法相が「検察官が最初に逃げた」と表現する事態は、福島地検いわき支部の避難についてのことのようだ。

 確かに地検いわき支部は震災発生から数日後の16日、地検郡山支部へ移動・移転している。しかし、これは福島地裁いわき支部が甚大な被害をうけたことによる地裁郡山支部への一時移動・移転に伴う処置であり、同地裁からの要請も踏まえたものである。そして24日には地検いわき支部は地検郡山支部からいわきに戻っている。震災直後、誰も避難をしていないなかで何もかも放り出して真っ先に検察官が個人的に安全なところに「逃亡」したというような事態ではない。

 「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」についてはどうだろうか。

 地検いわき支部は震災後の15日、12人の勾留中の者を釈放したといわれている。しかし、それは検察官が逃げるために邪魔だから釈放したのではなく、勾留を続けていても甚大な被害のなかで捜査が続けられず、起訴の見込みも立たないため、刑訴法第208条に基づき釈放したそうだ。なお、釈放は地検いわき支部だけでなく、福島地検本庁や郡山支部でも行われたそうである。

 釈放したことについての批判はあるかもしれないが、少なくとも森法相のいうように「理由なく釈放して逃げた」との表現は当たらないといえる。

森法相は「検察官が最初に逃げた」ことがウソだと知っていたはずだ

 花瑛塾は既にTwitterで12日に指摘したとおり、森法相は震災の年の平成23年(2011)10月27日、当時野党議員として参院法務委員会に出席し、平岡秀夫法相(当時)に次のように発言している。

震災後、いわき市の福島地検いわき支部、それから地裁いわき支部も、ちょっと時を異にしておりますが、十五日、十六日に次々と庁舎を閉めて、十六日には郡山の方に移動してしまったということがあったんです。そして、それに先立ち、地検では勾留をしていた被疑者を全員釈放する、処分しないで釈放するということがあり、その中には女性の家に押し入って手錠をはめて性的犯罪を犯すという、そういう容疑者もおりましたし、釈放されたうちの被疑者がまた再犯を起こしたということも起こりました。

 これに対し平岡法相は

福島地検いわき支部の移転の状況というのは、この支部管内において死者、行方不明者が多数に上り、建物等にも甚大な被害が及ぶとともに、水道などのライフラインも途絶えた状況にあって、さらに余震も相次ぐという状況の中で、このいわき市内の支部庁舎に関係者を呼び出して取調べを行うことが事実上困難になるというようなことで、いわき市内の庁舎での執務遂行が大きな支障が生じるようになったということが大きな避難の原因であったというふうに思います。  
そのような状況の中で、福島地裁の方から地裁のいわき支部の執務場所を変更したい旨の申出を受け、協議をしたようでございますけれども、地裁いわき支部の執務場所の変更に合わせて地検のいわき支部の執務場所を一時的に変更をしたというふうに報告を受けているところでございます。

 と答えている。

 つまり森法相は震災発生の年の10月、地検いわき支部の移動・移転について質問し、当時の法相に「検察官が最初に逃げた、ということではない」旨を指摘されているのである。また、森法相自身の質問も「地裁いわき支部と連動して地検いわき支部が閉庁し、郡山に移動・移転した」との趣旨のものであり、「検察官が最初に逃げた」のではないことは森法相自身が当時から認識していたともいえる。

 森法相は「検察官が最初に逃げた」、「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」ということが、そもそもウソ・デマであることをわかっていながら先日の参院予算委員会で小西議員に対しその旨の発言をしたのではないかと思わざるをえない。

 また、森法相が平成23年の国会質疑でいうように、釈放された勾留中の者のなかに強制わいせつ容疑の被疑者がいたことは当時報道もされたようだが、その被疑者が釈放中に性犯罪を繰り返したのではなく、窃盗容疑の被疑者が釈放中に建造物侵入の疑いで再逮捕されたとのことである。この点も森法相の発言は誤解を招くといわざるをえない。

検察官定年延長の根拠が「検察官が最初に逃げた」?

 そもそも森法相の「検察官が最初に逃げた」発言は、9日の参院予算委員会において、検察官の定年延長を認める解釈変更をする理由としてあげた「社会情勢の変化」の一つの事例の紹介としてなされたものである。

問題の核心にいる定年延長された黒川検事長:文春オンライン2020.3.6

 しかし、それがウソ・デマであるならば、検察官が定年延長すべき「社会情勢の変化」もなかったことになる。検察官定年延長の根拠がないことをみずから暴露する発言であるとともに、あまりにもふざけた発言といわざるをえない。

 同時に、森法相は、黒川検事長を定年延長とする以前から「そもそも検察官の定年延長の検討をしていた」と述べ、その理由として「社会情勢の変化」すなわち「検察官が最初に逃げた」との発言をしたわけであるが、以前から行っていたという検察官の定年延長の検討は、黒川検事長の定年延長にあわせて後付け的に「以前からやっていた、ことにする」というようにつじつま合わせのものではないかと疑われている。

 本当に以前から社会情勢の変化、すなわち「検察官が最初に逃げた」という理由で法務省内で検察官の定年延長の検討をしていたとするならば、さすがに検察官や裁判官出身者が多数の法務省の官僚も「それは事実ではない」と指摘したであろう。検察官の定年延長の議論を以前から行っていたことにしなければならないため、思いつきのその場のウソで「検察官が最初に逃げた」といったからボロが出たのではないのか。

 いずれにせよ森法相は法務大臣に値しない人物である。さらに検察官の定年延長の根拠もなくなった。森法相の更迭、そして黒川検事長の定年延長の撤回、検察官全体の定年延長の議論の慎重さを求めるものである。