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令和2年3月15日、16日 花瑛塾第24次沖縄派遣団②(沖縄戦関連史跡見学など)

 花瑛塾第24次沖縄派遣団は15日ならびに16日、沖縄戦時、天皇皇后両陛下の御真影(写真)を避難、安置した名護市大湿帯にある「御真影奉護壕」や、日本軍沖縄守備隊の高射砲部隊の陣地とされた南城市のミーグスク跡、また南城市役所で開催されている『南城市の沖縄戦 資料編』刊行パネル展など、沖縄戦関連の史跡や展示を見学しました。

名護市大湿帯の御真影奉護壕の入口

 戦前、各学校には歴代天皇や昭和天皇・皇后の御真影、あるいは詔勅などが下賜され、奉安殿といわれる特別の施設に安置されていましたが、沖縄戦で空襲や艦砲射撃が激しくなると、御真影などはまとめて沖縄北部へ避難され、学校の校長らが管理していました。さらに戦況が悪化すると、名護市源河の大湿帯の壕に安置されました。

 米軍の上陸と北部への侵攻が進むと、最終的に御真影の奉護が難しくなり、日本軍沖縄守備隊の壊滅の報をうけ、最終的に奉焼されたといわれています。

 大湿帯の御真影奉護壕については、NHKが内部を撮影し当時の状況を解説した動画が公開されています。以下よりご視聴下さい。

戦跡を歩く 沖縄県名護市 御真影奉護壕 (NHK戦争証言アーカイブスより)

 その後、第一尚氏以前の三山時代に沖縄南部の東半分を支配したといわれる島添大里按司の大里城(グスク)跡、そして大里城の城壁の外に設けられた井戸であるチチンガー、大里城の西の端に位置するカニマン御嶽など、南城市の史跡、文化財を見学しました。

大里城跡

 なお大里城も沖縄戦で大きな被害にあったといわれています。