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令和2年4月6日 阿波丸事件慰霊碑(増上寺)

 芝の増上寺の境内に建つ阿波丸事件慰霊碑を訪れ、犠牲者を慰霊・追悼しました。

阿波丸事件慰霊碑

 阿波丸事件とは、先の大戦中の昭和20年4月1日、シンガポールから日本に向けて航行していた貨客船「阿波丸」が台湾海峡で米軍潜水艦による攻撃で撃沈され、2千人以上の乗船者が死亡した事件です。米軍潜水艦により学童疎開船「対馬丸」が撃沈された対馬丸事件ほど知られてはいませんが、大変痛ましい事件といわねばなりません。

 一方、阿波丸事件は痛ましい事件というばかりか、深刻な国際法上の問題のある事件でした。すなわち阿波丸は戦時下にあって、日米が捕虜や拘束された民間人のための物資を運搬するための船舶であり、阿波丸の安全航行は日米が協定し保障されていました。

 しかし昭和20年4月0日、台湾海峡付近を航行中、阿波丸は米軍潜水艦により撃沈され、乗船者ほぼ全員が亡くなったのです。

 日本側は事件直後より、戦時国際法違反として米側に抗議し、米側も責任を認め、終戦後に賠償などを実施する意思を示しました。そして終戦となりますが、マッカーサーが賠償について難色を示し、結局米国が占領中、日本に対し多大な支援、援助をしたことへの「感謝」として、日本側が賠償請求権を放棄することが国会で決議されました。

増上寺

 この決議は民自党と民主党が共同して発議されたものでしたが、共産党や社会党などは反対し、大きな論戦となりました。

 阿波丸事件は結局、日本側が犠牲者へ見舞金を支払い、船主の日本郵船にも損害を補填し決着しました。米国の戦時国際法違反の追及は当然必要ですが、そればかりか阿波丸事件について日本側が賠償請求権を放棄しつつ、他方で日本側が戦争被害者に見舞金を支払い、損害を補填した実例からは、現在、日本政府がサンフランシスコ条約で日本側が請求権を放棄したことを理由に補償、賠償をしようとしない東京大空襲などの被害者やその遺族への見舞金、損害補填などの道にもつながってくることにもなります。

 阿波丸事件の犠牲者を悼み、その死を無駄にしないように、今なお終わらない戦時賠償について考えていく必要があります。