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令和2年7月15日 靖国神社鎮霊社、招魂斎庭拝礼

 例年であればみたままつりの期間中である靖国神社を訪れ、同社を参拝するとともに、同社境内にある鎮霊社および元宮、そして招魂斎庭などを拝礼しました。

靖国神社大鳥居

 靖国神社は7月13日から16日まで「みたままつり」の期間とされ、祭儀や奉納行事、献灯の掲揚などが毎年行われていますが、今年は折からのコロナ禍でみたままつりの斎行が中止となり、奉納行事や献灯掲揚なども全て取り止めとなりました。ここまでの事態は、昭和22年からはじまる同社みたままつりの歴史上、初めてのことだと思います。

 花瑛塾としても例年、献灯をしており、まつりがおこなわれず、諸霊をお慰めできないことはやるせないかぎりですが、よい機会であるのでごく簡単にみたままつりの歴史を紹介します。

みたままつり前史

 靖国神社はいうまでもなく幕末維新以降、戊辰戦争や西南戦争での官軍の殉難者はじめ対外戦争で戦死した軍人軍属やこれに関連する殉難者などが祀られています。

靖国神社拝殿

 満州事変以降、戦線は拡大していき、昭和16年の対英米開戦にいたると、これまでとは比較にならないほどの夥しい戦没者が発生し、靖国神社としても合祀すべき戦没者の数は大変なものとなっていきました。

 そして昭和20年の終戦を迎えるが、靖国神社はいまだ満州事変や日中戦争の戦没者の合祀を終えておらず、太平洋戦争での膨大な戦没者合祀は僅かしかできていない状況でした。こうした状況下、陸海軍の解散も現実味を帯びるなか、政府と靖国神社は未合祀の戦没者を一括して合祀する「臨時大招魂祭」をおこなうこととしました。

 同時に、合祀の対象もこれまでの軍人軍属の戦死者だけでなく、「敵の戦闘行動に因り死没せる常人(戦災者、鉄道・船舶等に乗車船中遭難せるもの)」あるいは「大東亜戦争終結前後に於て憂国の為に自決或は死亡せるもの」など、広く戦争犠牲者全般の合祀という方向での検討がなされました。

 こうした合祀方針は東条英機がポツダム宣言受託直後の8月28日、靖国神社に戦死者はもちろん戦災者、そして戦争終結時の自決者も合祀すべきとの提言に基づくものと考えられますが、ともあれ陸軍省は合祀方針を幅広いものとしつつ、9月21日に以下の二種の提案をしています。

  1. 内閣主催のもと、靖国神社以外の地で一般戦災者も含む大合同慰霊祭を実施する。
  2. 軍の解体を控え、靖国神社において軍人軍属のみならず常人の戦災者や自決者も含めた大合祀祭を実施する。

 以上の陸軍の方針や提案に対し、海軍や宮内省から批判や意見が出ました。すなわち海軍は合祀対象の拡大については将来あらためて議論することとし、今回は合祀しない方がいいと注文をつけ、宮内省もやはり合祀対象の拡大には難色を示し、一般戦災者を含む慰霊祭をおこなうとするならば、それは靖国神社以外の地でおこなうべきだとしました。

 こうした意見のため陸軍の案の通りには進まず、結局この年11月19日から21日まで軍人軍属を対象とした「臨時大招魂祭」が靖国神社で実施されることになりました。しかし陸軍のいう合祀対象者の拡大、靖国神社での幅広い戦争犠牲者の慰霊、一般戦災者の慰霊は、その後思わぬかたちで実現することになります。

みたままつりの献灯もなく静かな境内
みたままつりの「前夜」

 昭和21年4月に結成された長野県の遺族会は、同年6月頃より上京して遺族の待遇改善を求める政府への建議、代議士への請願などに取り組んでいましたが、靖国神社の姿が昔とは大きくかわり寂しくなっていたため、靖国神社参拝団を結成しようとしていたところ、GHQに差し止められ、パンフレットなどを押収されることがありました。そこで遺族会は長野県内の女性たちを呼び寄せ、GHQ幹部臨席のもと靖国神社境内で地元の木曽ぶしや伊那ぶしを演舞し、理解を得ようとしました。

靖国神社鎮霊社(左)と元宮(右)

 そして7月14日および15日とGHQバンス少佐などを来賓とし、靖国神社境内で「奉納盆踊大会」が実施されました。大会は地元町会の協力もあり、大変な好評を得たといわれています。

 みたままつりはの神学的な基礎づけは、民俗学者の柳田国男がおこなったことはよく知られています。柳田は戦没者を天皇のために戦死した英霊として顕彰するというよりも、特に未婚のまま亡くなった青年の霊の鎮魂、慰霊を企図していたようです。この年の奉納盆踊り大会の開催前後から柳田と靖国神社主典の坂本定夫は接触しており、坂本からみたままつりについて相談をうけていたといわれています。

 ところで、実施当初のみたままつりで慰められるみたまが靖国神社祭神であることはいうまでもありませんが、それ以外の一般戦没者も含まれているかはっきりしないところもありました。

 そうしたことから昭和24年よりみたままつりに先立ち7月13日に「諸霊祭」が行われ、一般戦没者も含め全戦没者を慰霊するようになりました。そして昭和40年に同じく靖国神社祭神のみならず全ての戦争犠牲者を祀る鎮霊社が創建され、以降みたままつりに先立ち鎮霊社の例祭を行うことにより、諸霊祭にかえるようになりました。

 もちろん靖国神社においてみたままつりのように靖国神社祭神以外の一般戦没者を慰霊する祭祀は、極めてイレギュラーなものです。一方で靖国神社における祭儀、慰霊、追悼のあり方については、戦前や戦後間も無くも様々な見解があり、議論や論争もありました。実際に、軍主導で一般戦没者の靖国神社への合祀や慰霊祭の実施も検討されたことは述べた通りです。そして、それはかなわなかったが、戦後間も無く、民衆的な基盤を持つみたままつりとして実現したものであり、これからも大切に斎行されるべきまつりと考えます。

招魂祭(招魂式)が行われた招魂斎庭