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令和2年8月4日 李登輝台湾元総統弔問記帳(台北駐日経済文化代表処)

 台湾の李登輝元総統の逝去にともない、台北駐日経済文化代表処にて弔問記帳をしました。

弔問記帳を受け付けている台北駐日経済文化代表処

 李氏は国民党独裁下の台湾において初の台湾出身の人物として副総統に就任し、蒋経国総統没後は総統として蒋氏の晩年から胎動していた民主化路線を継承し、台湾の民主化に尽力しました。

 李氏は日本統治時代の台湾に生まれ、台北高校卒業後は京都帝国大に学び、学徒出陣により陸軍少尉となるなど、李氏の言葉によれば青年時代は「日本人」として生き、流暢な日本語をしゃべり、たびたび日本を訪問し各界の人士と交流したことから、「親日」などといわれますが、李氏はそう簡単に「親日」などといえるような人物とは思えません。

 国民党時代は蒋氏の忠実な腹心として実務をこなし、総統就任後は中国やアメリカ、そして日本など台湾を取りまく難しい国際情勢の荒波のなかで台湾のための政治をおこなってきたのが李氏であり、私たちは彼を「親日」などといってわかりやすく理解する前に、彼が指導した台湾の置かれた難しい国際情勢と、台湾をそこに追いやった日本の責任、そしてそこにおける「親日」の意味を考えていく必要があるのではないでしょうか。

大勢の弔問客

 そもそも台湾では戦後、「犬去りて、豚来る」といわれました。すなわち日本(犬)による台湾の植民地統治も、その後の国民党(豚)による独裁統治も、どちらも台湾の自由と民主主義を奪ったのであり、台湾の人々から唾棄されたのです。そうしたなかで台湾の自由と民主主義の実現に尽力したのが李氏であり、私たちは李氏の「親日」に“甘え”ることなく、過去の日本の台湾統治の歴史をよく学び、その負の歴史を直視し、その上で現在危機に瀕する日本の自由と民主主義を守っていくことこそが李氏を真に忍び、李氏の事績を顕彰していくことと考えます。