歳の瀬になると毎年、路上生活者や日雇い労働者をはじめ不安定な生活を余儀なくされている方々を支える越冬闘争や越年越冬活動といった言葉が聞こえてきます。
今年も早いもので歳の瀬を迎え、越冬闘争や路上生活者などへの支援の声が聞こえ始めました。不安定な生活を余儀なくされている方々にとって、この日本で冬を越すことは凍死や病死や餓死、あるいは理不尽な暴力による落命と隣り合わせの「闘争」なのです。
「自助」が求められる昨今ですが、自助をするために何より必要なのが共助であり公助です。社会的なサポートがあってこそ、人間は自らを助けることができます。
まして不安定な生活を余儀なくされている方々は、自ら進んでそうした生活を求めたわけではありません。
長年、大阪・西成のあいりん地区で労働者の支援活動などをする本田哲郎神父は、社会的弱者や困窮者に対する聖書の「小さき者」という訳を「小さくされた者」と訳しています。社会的弱者や困窮者はもともと小さいのではなく、弱い立場に追いやられ、困窮を強いられ、小さくされたのだということです。
この小さくされた者が再び立ち上がるためには、小さくされた者を小さくした社会の側がサポートする必要があるのは当然のことです。
そうした見地から、東京・山谷の労働者の皆さんの今年の越冬闘争の初日の今日、昨年に引き続きささやかながら食品や生活物資を支援しました。
寄付などは誰にも言わずに影で行うものだと教えられ、今までそうしてきた私たちですが、社会問題や人々の関心を喚起し、支援の機運を醸成するためにも、今回あえて発信する次第です。