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令和3年1月7日 「葦津家之墓」墓参

 戦前、神道家や実業家として活躍した葦津耕次郎、およびその子で戦後神社界を代表する言論人である珍彦らの眠る「葦津家之墓」を墓参しました。

 耕次郎は明治11年、筥崎宮の神職である父磯夫と母とらの次男として福岡県箱崎の地に生まれ、筥崎宮に奉職し神明奉仕に励み、後には鉱山業や社寺建築業を営む実業家として活躍する一方、朝鮮神宮御祭神論争など神道や神社の見地から時の政治や社会問題に意見するなどし、昭和15年に亡くなりました。

 珍彦は明治42年、そんな父耕次郎と母ナニハ(なには)の長男として生まれ、耕次郎の事業を継いで社寺建築業を営みながら、戦前は戦争に向かう時の政治を厳しく批判、戦後は神社本庁の設立に尽力し、活発な言論活動を展開し、平成4年に亡くなりました。

 耕次郎と珍彦は、戦前より居を構えた鎌倉の地に、耕次郎の妻ナニハ、珍彦の妻テル(照子)に眠っています。

 この日は昭和天皇が崩御された日ですが、珍彦には思想の科学に寄せた「国民統合の象徴」などたくさんの天皇論があり、昭和天皇崩御後に文芸春秋に寄せた「悲史の帝」は大変有名です。また耕次郎にも明治天皇を中心に天皇にかかわる様々な逸話や語録があり、この日に葦津家のお墓をお参りできたことはよかったです。

 なお「耕次郎の妻」、あるいは「珍彦の妻」として、どうしても従属的なかたちで主体性のない存在として紹介されがちなナニハやテルなど葦津家の女性たちにもそれぞれの天皇への思いがあったはずであり、そうしたことも知ることができればよいなと思いました。

令和2年6月9日 「葦津家之墓」墓参