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令和3年1月16日 「児玉家之墓」墓参

 児玉誉士夫氏の命日を明日に控え、児玉氏の眠る「児玉家之墓」(池上本門寺)をお参りしました。

「児玉家之墓」 近くには児玉氏と交友のあった大野伴睦氏や町井久之氏の墓もある

 「昭和の怪物」との異名をとる児玉氏は、右翼の大立者として日本の政財界の闇に息をひそめ暗躍した利権右翼のようにいわれたり、ロッキード事件に関連して脱税で起訴されたことから、米国と気脈を通じ米国の意を呈した右翼のようなイメージを持たれています。

 しかし児玉氏は戦前から右翼運動に挺身し、天皇直訴事件やクーデター事件に関連して逮捕投獄されるなど、筋金入りの右翼人であることに間違いありません。戦時中は軍に協力し、軍需物資の買い付けや特殊任務の遂行などに尽力しました。

 またロッキード事件についても、健康を害し裁判に出廷し自身の言葉で主張を述べることができなかったため、周囲に「早く元通りの体になって裁判に出て疑惑を晴らしたい」と語るなど、表には出ずに埋もれてしまった児玉氏の弁解や事件の真相があったと思われます。

 ロッキード事件をめぐる児玉氏の裁判は、児玉氏の逝去に伴い判決が出ないまま公訴棄却となっており、児玉氏の有罪は確定していません。そうである以上、児玉氏には推定無罪の原則が適用されるべきです。

 ロッキード事件によって米国の意を呈した右翼のようにいわれることについても、児玉氏は早い時期より戦後の右翼の「親米反共」路線以外の路線を模索し、ポツダム体制からの脱却を訴えるなど、体制側について現状維持に腐心するような人物ではありませんでした。

戦時中、深く交わった軍人の大西瀧次郎(中央右)と児玉氏(同左)

 最も影響をうけた本はと聞かれ北一輝の著書『支那革命外史』をあげるほどの児玉氏は、二・二六事件に関連した北一輝の処刑によって日本の革命的な右翼運動は終焉したのであり、戦後の右翼運動は全く別のものであって指導原理を欠いていると、戦後の右翼運動にも厳しい眼を向けています。

 その上で、これからは職業的な愛国運動は必要なく、働く人、一般大衆のなかから自然に勃興し、働きながら国を思うような右翼運動が必要なんだと訴えるなど、非常に穏健で現代的な運動論の持ち主でもありました。

 児玉氏の思想や行動は、先入観や偏見を排し、あらためて掘り下げ、掘り起こし、今に活かしていく必要があるのではないでしょうか。