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「国旗損壊罪」新設のための刑法改正に反対する(令和3年1月30日)

「国旗損壊罪」新設に反対する

 先般、高市早苗議員ら自民党の保守系議員グループのメンバーが同党下村博文政調会長を訪れ、「国旗損壊罪」新設のための刑法改正案の国会提出を申し入れ、了承された。

「国旗損壊罪」新設について説明する高市議員らと下村政調会長

 高市議員らはこれをうけ、今後各党に呼びかけ議員立法として国会への共同提出を目指すとしている。

 「国旗損壊罪」新設の動きは、今回が初めてではない。

 平成24年の民主党政権下において、やはり高市議員ら野党時代の自民党の保守系議員グループが中心となり、「国旗損壊罪」新設のための刑法改正案が国会提出されている。しかし同改正案は衆議院の解散総選挙などもあり、審議されないまま廃案となった経緯がある。

 今回も「国旗損壊罪」の成立は、微妙な情勢である。

 公明党も含め与党内には「国旗損壊罪」への疑義が根強く、高市議員らがそもそも改正案を国会提出にまでこぎつけることができるかどうかも不透明である。また仮に改正案が国会に提出されても、現在のコロナ禍の情勢で審議に付されるかどうかも判然としない。前回同様、廃案になる可能性は相当に高い。

 しかし、そうであったとしても、「国旗損壊罪」新設の動きそのものが大変危うく、また愚かしい。

 花瑛塾として「国旗損壊罪」新設にきっぱりと反対する。

「国旗損壊罪」の内容

 今回の改正案の内容も平成24年の改正案と全く一緒である。

 高市議員は月刊誌『正論』平成30年10月号において、刑法で「外国国章損壊罪」が制定されていながら自国旗の損壊を罰する「国旗損壊罪」が制定されていないことを問題視し、「このアンバランスを是正する」と述べているが、まさにその通り「国旗損壊罪」新設のための改正案は、刑法第92条の

外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

という外国国章損壊罪に対応し、

日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。

との条文を新たに定めるというものである。

外国国章損壊罪と「国旗損壊罪」

 しかし外国国章損壊罪と自国旗の損壊を罰する「国旗損壊罪」は、対応関係にはない。

 なぜならば外国国章損壊罪は、刑法第4章「国交に関する罪」に属し、外国旗の損壊による当該国と日本の外交関係の悪化を避けるという保護法益がある。そういうこともあり、外国国章損壊罪には1項に引き続き2項として「前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない」と定めている。

 外国旗の損壊と自国旗の損壊は関連がなく、従ってバランスをとるようなものではない。両者は無関係なのである。

 それでは「国旗損壊罪」の保護法益は何であろうか。

 平成24年に改正案が国会提出された際も議論となったポイントだが、「国旗損壊罪」はこの点が明確ではない。

 高市議員は上掲『正論』で

立法者としての私の意図は(中略)「日本国の威信や尊厳を象徴する国旗に対して多くの国民が抱く愛情や誇りを、せめて外国国旗が保護されているのと同程度には守りたい」ということ

と述べているが、この言をもってしても結局のところ「国旗損壊罪」の保護法益は何なのか、一体誰のために何を守ろうとする罪状なのかはっきりしない。

 高市議員は上掲『正論』において、平成11年の国旗国歌法の制定の際に本当は国旗国歌への尊重義務を条文に加えたかったが、それでは当時の民主党の賛成を得られないため断念した経緯があるという。

 「国旗損壊罪」新設は、国旗国歌法の制定の不備の“リベンジ”とでもいいたいのか。

 国旗国歌法の制定にあたり、当時の小渕恵三首相が国旗国歌の強制は考えていないと国会で答弁しているが、「国旗損壊罪」は国旗尊重の強制であり、それは国旗国歌の強制への第一歩ともいえる。

 このように人々の思想良心の自由や表現言論の自由に大きく踏み込む危険のある法律を、曖昧でいい加減な説明のもと数の力でごり押しさせるようなことはあってはならない。

立法事実は何か

 また「国旗損壊罪」新設には、立法事実の面からも問題がある。

『正論』に掲載された高市議員の論考

 高市議員は上掲『正論』で、自国旗損壊の事例として、平成21年に鹿児島県内で開催された当時の民主党の集会において、2流(2枚)の国旗を切り貼りして急造された民主党旗が掲揚された事例と、平成15年に韓国で開催された「慰安婦」の集会で大きく×印が記された日本国旗の前で民主党議員が演説した事例をあげる。

 前者の民主党の集会で国旗が切り貼りされたことは、民主党側も事実関係を認め謝罪している。国旗を切り貼りするなど当然あってはならず、私たちとしても不適切と考えるし、不愉快である。しかし、これは「国旗損壊罪」にいう「日本国に対して侮辱を加える目的」による行為とはいえない。

 また後者の韓国で民主党議員が大きく×印が記された日本国旗の前で演説したという事例の詳細は不明であるが、よしそれが事実であったとしても、日本国旗に×印を記したことは韓国における韓国市民の行動であり、当然「国旗損壊罪」とは無関係である。

 このように国旗損壊の具体的な事例が存在しないのであれば、「法律を制定する場合の基礎を形成し、それを支えている─背景となる社会的・経済的─事実」といわれる立法事実もないと考える他ない。

 この点においても「国旗損壊罪」新設を認めることはできない。

ジョンソン事件と米国旗

 高市議員は上掲『正論』で「適用違憲の判例あり」と予防線を張りながらではあるが、米国は法律で米国旗(星条旗)への冒涜行為を禁じ、他方で外国旗への侮辱行為は禁じていないなどと、あたかも「国旗損壊罪」を国際的な常識かのようにいう。

 しかし、まさに高市議員が張った予防線通り、米国の最高裁は1989年のジョンソン事件において、反レーガンを訴える政治デモの際に米国旗を焼却したジョンソンが国旗への冒涜行為を禁じるテキサス州法をもとに有罪判決をうけたことについて、国旗焼却は合衆国憲法修正第1条が認める表現の自由の範囲内であるとし、テキサス州法の適用を違憲としている。

 たしかに一枚の布きれという意味での米国旗は、ジョンソンの手により火をつけられ、滅したかもしれないが、ジョンソン事件への対応は米国が自由と民主主義の国であることをあらためて国内外に示し、米国の統合を強めたものであり、そうした米国を象徴する存在としての米国旗は、それまで以上にその色味を増し、美しく輝き、不滅のものとなったといえる。

上塗りされ重ね塗りされ輝く国旗

 日本の国旗も同様である。

 昭和62年の沖縄海邦国体では、沖縄の読谷村に住む男が国旗を焼却する事件が発生した。男は事件について、沖縄戦をはじめ沖縄における国旗の歴史的意味を説いたが、そうした男の主張は裁判においても汲まれ、一審判決でも情状として酌量されたほどであった。

 事件により国旗は焼却され、滅したものの、事件を通じて多くの国民が沖縄戦の悲劇や沖縄における国旗の問題に気づかされ、それにより国旗には沖縄の悲しみや苦しみ、怒り、国旗に対する複雑な思いといった新たな色味が加えられた。国旗は事件により焼却されることにより、より歴史的な深みと重みのある国旗になったのではないだろうか。

 国旗は法律で保護された無機質で人工的なものではなく、否定的感情や肯定的感情の別なく多くの人々から率直な思いをぶつけられることにより、いわば絵画でいう上塗りや重ね塗りを施され、そうすることでその色味は重厚なものとなり、存在感を増し、陰影を富ませ、血を通わせ、象徴性を高めていく。今後、国旗が仮に冒涜行為に遭難したとしても、国旗はそれを上塗り重ね塗りの歴史的材料とし、日本の統合を示す輝きを増すであろう。

 かくて法律論的な意味においても、如上の花瑛塾の思想からしても、「国旗損壊罪」新設を認めることはできない。

 ましてこのコロナ禍である。政治家たちは罰則をもうけて国旗の損壊を取り締まる前に、国民・市民の暮らしを損壊する自らの政治を律したらどうか。

 「国旗損壊罪」新設に反対する。