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【東日本大震災10年】東日本大震災犠牲者慰霊追悼(福島県いわき市、千葉県旭市)

 東日本大震災から10年の年月が経ちました。震災による死者、行方不明者、避難生活などで亡くなった関連死の死者はあわせると約2万2200人、そして今なお約4万人以上の人が避難生活を送っています。

 まさしく未曾有の大震災より10年のこの日、大きな揺れと津波に見舞われた福島県いわき市平豊間地区、同市薄磯地区、そして千葉県旭市飯岡地区に建つ慰霊碑や記念碑を訪れ、震災関連犠牲者を慰霊追悼するとともに、被災や復興について学習しました。

8.5メートルの津波が襲ってきた豊間の海と浜辺

 福島県いわき市平豊間では震度6強の地震に見舞われた後、およそ三階建ての建物に相当する高さ8.5メートルの大津波に襲われ、住民85人が死亡または行方不明となり、約400戸の家屋が流失しました。

 豊間の浜辺の近くには「豊間地区東日本大震災慰霊碑」が建ち犠牲者を弔うとともに、例年慰霊碑の前で住民による追悼式などがおこなわれています。

豊間の「豊間地区東日本大震災慰霊碑」

 また豊間の隣のいわき市薄磯はいわき市内で一番大きな被害を出しました。薄磯では豊間と並ぶ8.1メートルの大津波が襲来し、265世帯の家屋のほとんどが流出、122人が亡くなったといわれています。

 そうしたなかで薄磯には「東日本大震災慰霊碑」が建ち犠牲者を弔っています。また慰霊碑の横の寺院では追悼の法要なども営まれています。

薄磯の「東日本大震災慰霊碑」

 また薄磯にある「いわき震災伝承みらい館」を訪れ、被災の状況や復興の歩みの展示を見学しました。東日本大震災当日、豊間中学校は卒業式であったため、卒業生たちの記念の寄せ書きが残る黒板が保存、展示されていたのが印象的でした。思い出深い卒業の日に襲ってきた大地震と津波。卒業生たちはこの日をどう過ごしたのか、それぞれの10年前の今日という日に思いを馳せました。

「いわき震災伝承みらい館」に展示されている豊間中学校卒業生の寄せ書きが残る黒板

 地震による津波は三陸沖や福島、茨城ばかりでなく、千葉の外房・九十九里浜一帯にも襲来し、犠牲者を出しました。なかでも千葉県旭市飯岡は海抜約7.6メートルもの津波に見舞われ、10人以上の犠牲者が出た他、300棟以上の建物が全壊するなど多大な被害を出しました。「東日本大震災旭市飯岡津波被災の碑」はそうした津波と犠牲を記録する記念碑であり、記念碑を通じ心中にて犠牲者を慰霊追悼しました。

飯岡の「東日本大震災旭市飯岡津波被災の碑」

【東日本大震災9年】東日本大震災慰霊碑(福島県いわき市豊間地区)

【東日本大震災8年】東日本大震災慰霊之塔(宮城県仙台市若林区荒浜)