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東電福島原発の汚染水海洋放出の決定に抗議し撤回を求める(令和3年4月13日)

海洋放出の方針決定

 政府は関係閣僚会議において、東京電力福島第一原子力発電所の汚染水について、海洋放出する方針を決定した。

 海洋放出の方針決定に強く抗議し、撤回を求める。

福島第一原発と汚染水貯蔵タンク(朝日新聞2019.3.19)

 汚染水はこれまで、福島第一原発構内に設置されたタンクに貯蔵され、陸上保管が続けられてきた。

 汚染水は日々大量に発生しているため貯蔵タンクは次々に増設されているが、構内のスペースの関係上、まもなく陸上保管は限界を迎えるといわれている。

 そこで考えられたのが汚染水の海洋放出だ。

 汚染水は地下水や冷却水が事故により溶け落ちた核燃料(デブリ)と触れることで発生し、様々な放射性物質を含んでいる。そのため、そのままでは海洋放出できないので、汚染水をALPSといわれる施設で処理し、トリチウム以外の放射性物質の濃度を基準値以下まで低下させ、さらにトリチウムを国の基準値(60,000Bq/L)の40分の1(1,500Bq/L)まで希釈し、海洋放出するというのである。

海洋放出の問題点

 しかし、その実態は問題だらけだ。

 汚染水をALPSで処理し、トリチウム以外の放射性物質の濃度を基準値以下まで低下させるというが、実際にはALPS処理済の汚染水にトリチウム以外の放射性物質が基準値以上の濃度で残っており、海洋放出の前提は根本的に破たんしている。

 海洋放出にあたりALPS処理済の汚染水を二次処理し、あらためてトリチウム以外の放射性物質の濃度を低下させるというが、二次処理の技術も完全とはいえない。

 仮にトリチウム以外の放射性物質の濃度を低下させたとしても、トリチウムを海洋放出していいのかという問題もある。

 海外の原発でもトリチウムを含む水を海洋放出しているというが、通常稼働している原発と前代未聞の事故を起こした原発を単純に比較することはできない。

 また、海洋放出にあたり、汚染水のトリチウムを国の基準値の40分の1まで希釈するというが、それはトリチウムについての値であって、汚染水に含まれる他の放射性物質の濃度はどうなのか、汚染水全体としての濃度はどうなのか、明確な説明はない。

水産漁業者の苦しみ

 福島県はじめ三陸沖の水産漁業者の被害も深刻だ。

海洋放出に反対する福島県漁連会長(KFB福島放送2021.4.7)

 政府は風評被害について対策をするというが、汚染水の海洋放出は水産漁業者にとって風評被害を越えた実害であり、ある種の暴力ともいえる。

 海洋放出は一度で終わらず、濃度の問題から20年から30年、40年と延々と続く。そもそもデブリの取り出しが完了しなければ汚染水はいつまでも発生するのであり、極端にいえば100年先でも汚染水が発生し海洋放出が行われている可能性もある。その間、水産漁業者の苦しみに終わりはない。

 いうまでもなく海は一つにつながっており、アジア太平洋諸国はもちろん世界中に被害をおよぼす可能性もある。

 被害は人間ばかりでない。海洋生物はじめ各種の動植物にも大きな影響を与えることも十分に考えられる。考え直すべきだ。

陸上保管の継続を

 汚染水はひとまず陸上保管を継続する他ない。大型タンクの設置やモルタル固化など、陸上保管のための様々な方途を真剣に検討し、最善の策を選ぼう。

 また、そもそも汚染水を発生させないよう、地下水の遮断や冷却方法の見直しなど根本的な対策も必要である。

 人間は全知全能の持ち主ではなく、人間の技術は自然を「アンダーコントロール」できるようなものではない。「原発事故は絶対に起きない」などと驕った人間に突きつけられた自然の猛威とそれによる原発事故。あれからわずか10年で再び「海洋放出は絶対安全だ」などという愚かしき「アンダーコントロール」の思想に立ち返ってはならない。

 海洋放出に反対することを非科学的という向きもあるが、それは違う。むしろ疑問が呈される技術を妄信し、批判の声に耳を傾けず海洋放出に突き進む姿勢こそ非科学的だ。

 人間の知や技術には限界があるという謙虚な人間観に基づきながら、少しでも安全な技術を追求し、無謀な道を回避しながら知見を深め、多くの人々の幸福に寄与するのが人間らしい科学のあり方ではないだろうか。

 あらためて汚染水の海洋放出の方針決定に抗議し、撤回を求める。