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令和3年5月26日 御嶽神社、高山神社参拝

 栃木県足利市の両崖山の山頂に鎮座する御嶽神社、ならびに群馬県太田市に鎮座する高山神社を参拝しました。

両崖山 御嶽神社

 御嶽神社は、教派神道の一つである神習教の足利丸信支教会(丸信講)が幕末、木曾の御嶽山の御嶽神社を勧請し創建されました。

 神社といっても一般にイメージされるような大きな拝殿や本殿、社務所があってといったものとは異なり、山の祠のようなものですが、創建以来、足利丸信支教会を中心に地域の尊崇を集め、また山頂までハイキングコースとなっていることから、ハイカーなども参拝に訪れていました。

 両崖山一帯は今年3月、大規模な山火事に見舞われ、御嶽神社にもその火の手がまわりました。奇跡的に御嶽神社の本宮は無事でしたが、本宮左右の月読命と天神様を配祀するお宮は消失してしまいました。神社の周囲にも山中のあちこちにもまだ山火事の痕跡がありますが、それでも御嶽神社は今なお支教会の人々が祭祀を継続し、多くの人が参拝に訪れています。

本宮と山火事により燃えた木

 御嶽神社はゲームやアニメの「刀剣乱舞」のキャラクターともゆかりのある神社とのことで、若い人も参拝に訪れており、そうした崇敬の念をもとに遠からず再建再興されるものと思います。

 その後、足利市に隣接する群馬県太田市の高山神社を参拝しました。

再建された高山神社本殿

 高山神社の祭神は、江戸時代の尊皇思想家である高山彦九郎です。高山彦九郎は江戸時代にこの地に生まれ、全国を遊学しつつ様々な人々と交わりました。その事績から蒲生君平、林子平とともに「寛政の三奇人」とまで称されています。

 高山彦九郎は尊号一件という朝廷と幕府の政治的緊張を高めた事件により幕府に警戒され、最終的に自ら命を絶ちますが、明治時代に入り太田の人々を中心に高山神社創建の気運が高まり、明治12年に神社創建、鎮座祭が行われました。

 高山神社は平成26年の年末、市内の無職の男により放火され、本殿が全焼してしまいました。火災直後にも高山神社を参拝しましたが、まさに本殿は灰燼に帰し、見るも無残な状態でした。

 この日の高山神社参拝は、それから6年を経ての参拝ですが、残念ながら今なお往時のような姿での本殿再建の目安はたっていないようです。しかしそれでも旧本殿付近も少しずつ整備され、奇跡的に無事であった旧本殿の木材を使い、篤志家による奉献などもあり、規模を小さくした本殿が鎮座しております。

 高山神社には現在も参拝者が訪れている他、地域の児童や生徒、若者たちのスポーツのトレーニングの場となっているなど、今でも地域の尊崇を集め、また地域の絆の中心となっており、人々に親しまれていることから、こちらまたそうした尊崇の念をもとに、いつの日か往時のような立派な本殿が再建されるものと思います。

消失してしまった本殿跡