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令和3年5月29日 ウィシュマさんを偲ぶ会(築地本願寺)

 名古屋の入管施設で今年3月に亡くなったスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんを偲ぶ会が築地本願寺でいとなまれました。

 日本が好きで日本語を学びたいと思い来日したウィシュマさんを、暴力的で差別的な日本の入管行政が死に至らしめたと思うと本当にやるせない思いです。

 ウィシュマさんに対し日本人として心より謝り、哀悼の意を表すため、ウィシュマさんを偲ぶ会に参列し、献花をしました。

ウィシュマさんの遺影と献花台

 ウィシュマさんは平成29年、母国スリランカで語学学校を開きたいという夢をもって留学生として来日、日本語学校で学んでいました。

 しかしウィシュマさんは次第に学校を欠席しがちになり、除籍処分となってしまいました。ウィシュマさんはその間、同居していた男性から暴力(DV)をうけており、おそらくその関連で学校を欠席しがちになったのではないかといわれています。

 学校を除籍となったウィシュマさんは在留資格を喪失し、オーバーステイ状態になりました。そして昨年8月、同居男性のDVに耐えかね、みずから交番に出向いたそうです。当然、オーバーステイであるため入管に送られますが、この時点でウィシュマさんは入管施設を一種のシェルターのような保護施設だと認識していたともいわれています。

 ウィシュマさんが交番に出向き、入管に送られるなかで、警察も入管庁もウィシュマさんがDV被害者であることを把握していました。そうした場合、当局はDV防止法に基づき、在留資格の確保も含め必要な保護措置をとらねばなりませんが、実際には保護措置などは充分に行われていなかったようです。

 入管に収容された当初、ウィシュマさんはスリランカへの帰国を希望しましたが、DVをふるっていた同居男性から帰国するならば家族に危害を加えるといった趣旨の脅迫めいた手紙が送られてきたことや、日本で身元を引き受ける支援者が見つかったことなどから日本に残ることを希望するようになりました。

 ところがウィシュマさんが日本に残ることを希望し始めると、入管の態度は急変し、帰国を強要するなど非常に高圧的になったそうです。

 ウィシュマさんは精神的に追い詰められ、今年1月ごろより体調を崩し、嘔吐を繰り返すようになりました。入管がウィシュマさんを外部の病院の診察をうけさせたところ、ウィシュマさんを診察した医師は入院や点滴の必要性を認め、カルテにもその旨記しましたが、入管は点滴など適切な医療をしようとはしませんでした。

 ウィシュマさんは次第に自力での歩行や食事も困難になり、体重も15キロ以上減少していきます。そして今年3月6日、息を引き取りました。享年わずか33歳でした。

 ウィシュマさんのご遺体は変わり果てた姿となっており、ご遺族はご遺体を見てもウィシュマさんだとわからないほどであったといいます。髪が抜けていたのでしょうか、ご遺体にはかつらがかぶされていたそうです。ご遺族の希望によりテレビでご遺体の一部が放映されましたが、ウィシュマさんの生前の写真からは想像できないほどぼろぼろの状態でした。

偲ぶ会の会場入口

 入管庁が公表したウィシュマさんの死についての中間報告は、いくつかの点で事実を隠しているかのような記述が見られ、実態を正確に調査し報告公表していない疑義があります。関係者らは、ウィシュマさんが入管において収容されていた居室備え付けの監視カメラの映像の開示を求めていますが、法務省・入管庁は本人の名誉や尊厳、また保安上の理由などから開示を拒んでいます。

 しかし既に開示されている入管収容者を撮影した同種映像もあり、保安上の理由で開示を拒むのは適切な対応とはいえません。そうした対応をとる法務省・入管庁こそ、ウィシュマさんの名誉や尊厳を冒涜しているといわねばなりません。

 今国会での入管法改正案はひとまず廃案となりましたが、ウィシュマさんを死に至らしめた名古屋の入管施設の職員たち、そしてウィシュマさんを死に至らしめた日本の入管行政の暴力性や外国人への差別蔑視という大きな背景や構造は、何もかわらず今でも健在です。

 真にウィシュマさんを弔うためには、何よりもウィシュマさんの死の真相を究明することが必要であり、そこに犯罪行為があるのならば、関係者を処罰する必要があります。

 その上で日本への来日滞在を希望する人が安心して暮らせるような「保護」を軸とする入管行政へ移行し、二度とウィシュマさんのような犠牲を出さないことが求められているのではないでしょうか。

献花には大勢の人が訪れた