平成30年5月26日27日 花瑛塾行動隊街頭行動

 花瑛塾行動隊は26日および27日、沖縄県に過度に集中する基地負担や不利益の多い日米地位協定など、沖縄県に犠牲を強いることで成り立つ日米安保体制の問題点について、首相官邸・自民党本部・米大使館周辺などで訴えました。

 沖縄戦により米軍に占領された沖縄では、米軍が日本軍飛行場を利用、九州を中心に「本土」爆撃を繰り返しました。そして終戦直後、紆余曲折はあるものの、沖縄は米軍の重要な戦略拠点として位置づけられ、米軍基地が増強されていきました。さらに1950年代になると、キャンプ岐阜や富士など「本土」に駐留する海兵隊が沖縄に移転していきました。

 こうして米軍基地が集中した沖縄ですが、そのことは騒音などの基地負担だけではなく、米兵犯罪や事故なども沖縄に集中することにつながり、日米地位協定の不利益が沖縄にのしかかることになります。まさしく日米安保体制は、沖縄に犠牲を強いることで成立しているといえるでしょう。

 また米大使館周辺では、トランプ大統領により一時取り止められた6月12日にシンガポールで予定されている米朝首脳会談について、朝鮮半島と東アジアの平和のため、超大国であり北朝鮮問題に影響力と責任を有する米国がリーダーシップを発揮し、万難を排して米朝首脳会談を実現するよう求めました。

 その後、27日まで行われた安倍首相の訪ロと成果なき対ロ外交をうけて、ロシア大使館周辺にて北方地域に責任を有する日ロ両国が連携し、米国の介入を排除した上で、北方領土元島民の支援やアイヌなど北方先住民の権利擁護をはじめ、歴史に準拠しつつも北方地域の現状を根底から覆すことのない新しいアプローチの外交交渉の展開を呼びかけました。

米大使館前にて

平成30年5月27日 種子法緊急セミナー「遺伝子組み換え食品の脅威 モンサントから食の安全を守ろう!」(主催:浦安から日本を守る会)

 種子法緊急セミナー「遺伝子組み換え食品の脅威 モンサントから食の安全を守ろう!」(主催:浦安から日本を守る会)に参加しました。

 セミナーは、「食政策センター・ビジョン21」代表:安田節子氏を講師とし、多国籍種子企業の戦略や種子への特許許可の危険性など種子法(主要農作物種子法)廃止の問題点を解説いただきました。

 農水省によると、そもそも種子法は、米・麦・大豆など主要な農作物について、昭和27年(1952)に、戦後の食糧増産という国家的要請を背景に、国・都道府県が主導して、優良な種子の生産・普及を進める必要があるとの観点から制定されたものであり、優良な種子の安定的な生産と普及を国などの役割とし、種子に関する予算確保などを責任を持って担ってきました。

 種子法廃止によって種子が公共的なものから特許制度に基づく私的なものになれば、種子の多様性が揺らぎ、安定的な確保が危うくなる可能性も指摘されています。もちろん種子法廃止について、あまり心配ないといった意見もありますが、いずれにせよいまこそ日本の農業のこれまでについて、しっかりと批判的に検討するなかで、今後の農業のあるべき姿を描いていく必要があり、法律の廃止を拙速に決めるべきではありません。さらに戦前のいわゆる農本主義の思想や江戸時代から続く農に関連する為政者の思想、民衆の思想など振り返ることも大事ではないでしょうか。

花瑛塾会報「神苑の決意」第20号(6月号)発行しました

 花瑛塾会報「神苑の決意」第20号(平成30年6月号)発行しました。読者の皆様のお手許には、近日中に届くと思います。

 1面「主張」では、「神道の社会的防衛者」「神道弁護士」として、保守・右派思潮を中心に戦後思想界に大きな足跡を残した葦津珍彦の沖縄・安保・国防・米軍基地論を、現在進められている「南西シフト」といわれる自衛隊の先島諸島配備について関連させながら論じています。はたして保守・愛国者による米軍基地撤退論は、イコールで重武装・軍拡論に直結するのでしょうか。

 その他、本号各記事の見出しや購読方法など、詳細については当サイト花瑛塾会報「神苑の決意」もしくは花瑛塾ONLINE STOREより御確認下さい。

 また花瑛塾会報「神苑の決意」は、ミニコミ誌を扱う「模索舎」(東京都新宿区)にも納品しており、バックナンバーなども置いていただいております。最新号(第20号)も納品済みですので、どうぞご購読下さい。

 模索舎Webサイト「神苑の決意」紹介ページ(第12号、平成29年10月号)

http://www.mosakusha.com/newitems/2017/09/12_15.html

 なお、これまでの花瑛塾会報「神苑の決意」より、琉球・沖縄関連記事と花瑛塾行動隊の街頭行動関連記事を選りすぐり、再編集した『花瑛塾会報「神苑の決意」創刊号~第19号「やまとぅ問題」選集①』および同『行動記録選集①』も「模索舎」(東京都新宿区)でも販売中です。詳しくは以下の模索舎storeよりご確認下さい。

http://www.mosakusha.com/newitems/2018/05/19_7.html

http://www.mosakusha.com/newitems/2018/05/119.html

 

平成30年5月19日20日 花瑛塾行動隊街頭行動

 花瑛塾行動隊は19日および20日、首相官邸・自民党本部・防衛省周辺にて、森友・加計問題など安倍政権の疑惑や日米地位協定など日米安保体制の問題を訴えました。

 加計学園の獣医学部新設問題については、安倍首相が加計学園の獣医学部新設構想について、加計学園理事長・加計孝太郎氏から聞いたことはないとし、国家戦略特区での検討過程において知ったと発言していましたが、既に3年前には加計理事長が獣医学部新設構想を安倍首相に説明し、安倍首相が「いいね」などと応じていたことが明るみとなっています。

 この問題は、安倍首相の虚偽説明にとどまりません。その後、獣医学部の新設は全て加計学園にとって有利に進んでいます。そこにおいて、安倍首相と加計理事長が食事やゴルフを頻繁に行い、互いにその経費を支払い合うといった事実もあり、獣医学部新設に関する贈収賄・利益供与案件にも発展していきます。こうした政権の体質は絶対に許しがたく、森友学園問題とともに国民無視・国政私物化・国家財政横領の安倍政権を糾弾する必要があります。

 またアメリカ大使館周辺にて、在沖アメリカ軍基地問題を訴えました。アメリカは日米安保体制の一方の当事者であり、日本政府から基地を提供され、使用する立場にあります。辺野古新基地など日本政府の基地建設の進め方や基地周辺住民の負担に無関心であってはなりません。

防衛省本省前にて

神道界・神社界と沖縄─昭和30年代沖縄「島ぐるみ闘争」に呼応した葦津珍彦と青年神道家たち

 「神社界の弁護士」「神道の社会的防衛者」を自任する葦津珍彦は、神社本庁の機関紙であり神社界を代表するメディアたる「神社新報」の主筆を務め、同紙にて多くの記事や論考を執筆した。

葦津珍彦と沖縄「島ぐるみ闘争」

 葦津は「神社新報」紙上において、「時局展望」なるコラムを長期間にわたって連載していた。葦津は昭和30年代、その「時局展望」(昭和31年[1956]6月30日付「神社新報」)において、「沖縄の同胞は起ち上がった 祖先の墓地はゴルフ場に」との記事を執筆し、この頃沖縄で発表された米軍基地に関する「プライス勧告」と、プライス勧告に抵抗するため沖縄で展開された「島ぐるみ闘争」について触れている。

 葦津は、沖縄では既に4万エーカーの土地が米軍基地として接収され、5万戸25万人の人々が土地を失ったとし、さらにこのたびの「プライス勧告」によって米軍基地の新規接収・拡大が認められ、その接収地の地代を一括払い、つまり事実上の買い上げ(固定化)が目指されていることについて、「アメリカ人の土地利用は、余りにも乱暴で贅沢すぎる」「島民としては到底きかれない勧告である」と米軍の横暴に憤り、沖縄の人々の過酷な状況へ思いを寄せている。

 なかでも葦津は神道家として、沖縄における伝統的祖先祭祀の要である「墓」に着目し、これらの墓が接収され改葬する間も無くブルトーザーで潰されていくことに深い同情を寄せている。そして墓が潰され、「痛恨の情、禁じがたい島民の目の前には、広々としたゴルフリンクやテニスコートや娯楽用のドライヴ・ウエーまでが造られて行く」と沖縄の現状を告発している。

葦津珍彦

 また葦津は、記事執筆の10年前に沖縄で戦われた熾烈な沖縄戦を紹介し、日本軍が沖縄の人々を過酷な状況に追いやったことに触れつつ、「この島の人たちは、文字どほり死力を尽くして米軍と戦ひ抜いた人々のみである。それだけにあまい考へはない。抵抗の決意は、沈痛にして強固である」とし、「島ぐるみ闘争」へ敬意を表す。

 他方、この頃、キプロスで流血の事態となった反英運動と比較し、沖縄の戦いは左右すべての組織が党派色を出さず、米国人個人を恨むものではないことを徹底していることを評価し、そうした「静かなる抵抗」の根底にある祖国復帰の念を取り上げた上で、「十年前に、女も子供も手榴弾をもって死守抵抗した同胞たちが、今や再び起ち上がった。だが今度は身に寸鉄をおびずして、ただ精神のみによる抵抗を決意してゐる」「かつての戦争では、沖縄の同胞を救援し得なかった日本政府も、今度こそは義務を果たすべきである。日本国民の人権を保護することは日本政府の当然の義務である」と結ぶ。

葦津珍彦と瀬長亀次郎

 葦津の沖縄への関心はこれに留まるものではない。それから1年半後、葦津は再び「時局展望」(昭和33年1月25日付「神社新報」)において沖縄関連の記事を執筆している。記事の見出しは「那覇市長選で反米派勝つ 試験される米国の自由精神」。沖縄人民党瀬長亀次郎と那覇市長選挙について紹介する。

 昭和31年、沖縄人民党瀬長亀次郎が那覇市長となると、米軍は琉球銀行を通じて経済面で瀬長市政を妨害したばかりか、瀬長追放のための様々な策動を行い、ついに瀬長を失脚せしめた。そして昭和33年、後継市長を選ぶ選挙が行われると、米軍は露骨に反瀬長候補である社会大衆党平良辰雄を支持したのであったが、那覇市民は瀬長後継候補である兼次佐一を選び、兼次が市長に就任したのであった。

 葦津はこれについて「アメリカ人の心理作戦は、どこまでも可笑しい。選挙選のさなかに琉球銀行の総裁に声明させた。『もしも平良氏が、兼次氏を破って当選すれば、銀行は平良市長を援けてやる用意がある』といふのである。これは全くの逆効果をまねいた。(略)那覇市民の意志は、極めてはっきりと示された」とする。

 その上で葦津は瀬長市政を支え、その後継候補である兼次を市長に選出した那覇市民について、「米国に追従する市長ならば、却って市政は有利になるだらう。市民にも、それが分からないのではない。しかし市民は“合理的な計算”に反して兼次氏を勝たせたのである」として、米軍の横暴に抵抗し、米軍支配から脱却しようとする那覇市民そして沖縄県民の怒りはついに「合理的計算」を凌駕する域に達し、米軍を追いつめつつあるというのである。

瀬長亀次郎・兼次佐一を那覇市長に選出した沖縄県民の怒りについて論じる葦津珍彦

 葦津はいう、「アメリカは、最後の決断を、せまられてゐる。沖縄の市民は、あくまでも抵抗する決意を、世界の前に重ねて表明したのである」「アメリカは、暴力的な流血政策をとらないかぎり、もはや市民を服従させる手段を見出し得ないところまで追ひこまれて来た」「われわれは、アメリカの自由を尊ぶ伝統の良識が、施政権返還へ大きくふみきることを、切に期待するものである」と。

 こうした葦津の分析は適確であり、その言には沖縄県民が置かれた悲痛な境遇への深い思いやりと心からの敬意が込められている。米軍はけして沖縄の怒りを抑えきることはできないし、米国が自由と民主主義の国である以上、沖縄の民意を尊重しなければならない─この葦津の主張は、現在においてなお意味を持つものである。

沖縄と青年神道家

 神道界の沖縄への強い関心や思い入れは、葦津一人に限られるものではない。

 青年神道家の全国組織である神道青年全国協議会は昭和30年、その機関紙において「沖縄が米軍政下におかれ全島基地化が進行し10年、我々は我々の矢面に立ち犠牲となった沖縄にどれだけのことができたか」「不当の苦悩を負はされ、呻吟の日々を送る同胞七十万に対して手をつかねてゐて何の祖国復興、道義の恢復であらうか」「土地収用にからむ沖縄の人権問題に関しても、米国人の一弁護士からの指摘によって、初めて本土でこれを取り上げるといった不見識は、速やかに清算されねばならない」と述べ、米軍による土地の強奪と基地建設の強行に苦しめられている沖縄に思いを寄せている。

 また沖縄では昭和31年、先ほど紹介したプライス勧告に抵抗する「島ぐるみ闘争」が燃え上がるが、神道青年全国協議会はこの沖縄の闘いに呼応し、日本政府や米軍への要請・要請を行うことを決議している。さらに先だってお亡くなりになった翁長雄志前沖縄県知事の父で当時旧真和志市長であった翁長助静(じょせい)氏を招いて沖縄の現状を伺ったと当時の「神社新報」が報じている。

沖縄関連の記事が多数掲載されている昭和30年代の「神社新報」

 現在、「米軍基地はもともとは何もないところに建設されたのだ」といったデマが流布されたり、「中国の脅威に対抗するためには沖縄に米軍基地があるのは仕方ない」といった言説が、「保守」の側から発信され、「保守」こそが米軍基地建設の推進役となり、沖縄への基地負担の増加や固定化を担っている。また沖縄戦の歴史修正が進み、日本軍による沖縄住民への迫害が否定され、沖縄住民が率先して沖縄を「救援」にきた軍に「協力」したという言説すら、「保守」の側からなされている。

 昭和30年代の神道家たちは、沖縄への深い思いと敬意があった。沖縄戦と基地問題に対してしっかりとした認識があった。日本政府の冷酷な沖縄への仕打ちを理解せず、心を寄せられない人々が「保守」などと名乗る現状に、葦津や当時の青年神道家の沖縄論をもって抗していきたい。

平成30年5月16日 Naked Loftトークイベント「やまとぅ問題を斬る!沖縄への視点/沖縄からの視点」Vol.1

 Naked Loft(ネイキッドロフト)にて「やまとぅ問題を斬る!沖縄への視点/沖縄からの視点」Vol.1が開催されました。

 香山リカ氏(精神科医)、安田浩一氏(ジャーナリスト)、山口祐二郎(憂国我道会会長、フリーライター)の3名の登壇者の他、当塾より塾長・木川と副長・仲村が登壇し、日本の独立、米国との関係、米軍基地の存在、あるいは基地問題に関する様々なデマやメディアとの関係などの議論をした他、来場いただいた参加者との質疑応答を行いました。

 議題も多く約3時間にわたり様々な議論が行われましたが、特に香山氏より今秋に迫る沖縄県知事選挙の情勢と「本土」による沖縄への差別的な視線について、安田氏よりメディアにおける沖縄観の実状や琉球政府副主席・瀬長浩の本土復帰論について、山口氏より横田基地オスプレイ配備など東京都の基地問題と日本の主権の問題について、それぞれ言及がありました。

 会場は満席の大盛況でした。なかにはわざわざ沖縄からお越しいただいた参加者の方もいました。お忙しいところ当日ご来場いただいた全ての皆様と関係者の皆様、また登壇者の皆様に御礼申し上げます。

トークイベント「やまとぅ問題を斬る!沖縄への視点/沖縄からの視点」Vol.1

 きたる5月16日(水曜日)、ネイキッドロフト(新宿区百人町)にて、花瑛塾メンバーも登壇するトークイベントが開催されます。以下、御紹介します。

「やまとぅ問題を斬る!沖縄への視点/沖縄からの視点」Vol.1

【Naked Loft】ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1丁目5-1百人町ビル)

Wednesday, May 16, 2018

OPEN 18:30 / START 19:30

予約¥1500 / 当日¥2000(飲食代別)

なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか?!
なぜ沖縄に関するデマや偏見が溢れているのか?!
基地や差別を沖縄に押し付けている「やまとぅ(=日本本土)」を問い直す。

●第1部
・日本は独立国家なのか?
・米軍基地は何の為にあるのか?
・米軍基地の存在によるデメリット
・日本政府、アメリカ政府に望むこと
・自身、個人として何をおこなうべきなのか

●第2部
・メディアの在り方、役割
・米軍基地いらない=極左などと呼ばれてしまう理由
・ニュース女子の問題について
・インターネットの情報は真実なのか?
・結論として、今後どのような米軍基地のあり方を考えるか

●第3部
質疑応答など

【登壇者】
香山リカ(精神科医)
木川智(花瑛塾 塾長)
仲村之菊(花瑛塾 副長)
安田浩一(ジャーナリスト)
山口祐二郎(憂国我道会会長、フリーライター)

※あいうえお順にて掲載
※動画撮影、録音禁止

 御予約および詳細の確認は、以下よりお願いします。

「やまとぅ問題を斬る!沖縄への視点/沖縄からの視点」Vol.1

平成30年5月15日 五・一五事件 木堂・犬養毅元首相墓参

 五・一五事件より86年の今日、事件実行犯の三上卓ら軍人に殺害された木堂・犬養毅元首相の墓所(青山霊園)を参り、慰霊・追悼しました。

 犬養は冷徹なリアリストであり、徹底した「帝国」の宰相でしたが、一方で中国革命を支援し中国人革命家と結ぶ豪傑肌の亜細亜主義者でもありました。また第3次桂太郎内閣を倒閣した、実力派の政治家でもありました。

 大正元年(1912)に成立した第3次桂太郎内閣は、第1次護憲運動の活発化により内閣総辞職に至ります。いわゆる大正政変です。第1次および第2次桂内閣は長期政権であったが、第3次桂内閣はわずか62日間の短命政権で終わりました。

 大正2年の帝国議会において、誕生したばかりの桂内閣は、政友会・尾崎行雄や国民党・犬養毅らの総攻撃を受け、内閣不信任案を突きつけられます。桂は不信任案の採決を避けるため、議会の停止を命じますが、これに反発する国民の声が高まり、桂は解散・総選挙を目論むものの、さらに国民の怒りに火に油を注ぐことになり、議会の停止を繰り返し、内閣総辞職に至ります。

 安易な比較や同定をするわけではありませんが、こうした経緯を見ると、どことなく桂内閣と安倍内閣が似通っているように思います。現在、国民的に高まっている疑惑追及・憲法尊重の要求は、いわば第1次護憲運動とでもいえるでしょうか。

 もちろん、大正時代初頭の桂内閣と現代の安倍内閣では、時代状況も政治条件も異なる。当時は陸軍の2個師団増設要求が高まり、さらに桂太郎による新党結成構想も現実味を帯び、元老政治も存在しました。しかし、軍備拡大を目指し、お手軽な「愛国」を掲げ、議会軽視を繰り返す安倍内閣は、やはりどことなく似ているように思えます。

 こうした第3次桂太郎内閣を倒閣した犬養の実力や当時の護憲運動などに学ぶ必要があるのではないでしょうか。

 さらに事件は軍人だけではなく、橘孝三郎率いる農民決死隊が参加し、変電所襲撃などを敢行しました。こうした橘孝三郎や、橘の精神的支柱であった権藤成卿の「土」「社稷」の思想などは、現在においても顧みるべきものがあります。

 墓前にて犠牲者を悼み、その上で犬養の亜細亜主義や橘や権藤らの「資本」「帝国」に抗する思想を追想しました。

『花瑛塾会報「神苑の決意」創刊号~第19号「やまとぅ問題」選集①』および同『行動記録選集①』発行しました

 このたび、『花瑛塾会報「神苑の決意」創刊号~第19号「やまとぅ問題」選集①』および同『行動記録選集①』を発行しました。

 これまでの花瑛塾会報「神苑の決意」より、琉球・沖縄関連記事と花瑛塾行動隊の街頭行動関連記事を選りすぐり、再編集したものです。

 『「やまとぅ問題」選集①』はA5サイズ78ページ、『行動記録選集①』は同じくA5サイズ55ページ、それぞれ1冊1千円(送料別)となっています。

 お買い求めは、当サイトONLINE STORE  https://kaeizyuku.shop/ もしくはお問い合わせフォームからお申し込み下さい。

 また、ミニコミ誌を取り扱う「模索舎」(東京都新宿区)でも販売中です。詳しくは以下の模索舎storeよりご確認下さい。

http://www.mosakusha.com/newitems/2018/05/19_7.html

http://www.mosakusha.com/newitems/2018/05/119.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成30年5月12日 在日韓人歴史資料館 第107回土曜セミナー「朝鮮総動員体制はどうつくられていったのか」(講師:庵逧由香氏)

 在日韓人歴史資料館 第107回土曜セミナーに参加しました。今回の講師は庵逧由香氏(立命館大)、テーマは「朝鮮総動員体制はどうつくられていったのか」でした。

 第1次世界大戦以降の総力戦体制のなかで、「大日本帝国」の一部を構成した朝鮮において計画的・政策的に行われた総動員体制について、労働力以外の動員対象や動員計画の状況などを伺いました。

 朝鮮総動員体制は日本への朝鮮人の労働力動員が注目されますが、朝鮮南部の挑戦人を朝鮮北部に動員するといった朝鮮内での労働力動員も多かったそうです。また、総動員は労働力のみならず戦争に必要な物・人・金など全ての物が計画的・政策的に動員されました。

 特に精神的動員として、創氏改名や「皇国臣民の誓詞」など「皇国臣民」化政策や朝鮮半島各戸で編成された「隣組」のような組織である「愛国班」などは、大変衝撃的な内容でした。

 朝鮮は「大日本帝国」の面積の3分の1、人口の4分の1を占め、「帝国」を構成していました。そして、その「帝国」の戦争のため徹底的な動員を迫られた朝鮮近代史に思いを致すとともに、保守・愛国者こそ朝鮮半島の悲劇と痛苦に無関心であってはならないと感じました。

 なお、このセミナーは原則として毎月第1土曜日14時より在日韓人歴史資料館にて開催されています。次回第108回セミナーは「在日朝鮮人留学生の民族運動」(講師:小野容照氏)です。事前予約が必要なので、御確認下さい。