日本国憲法施行71年を迎えて

 昭和21年(1946)11月3日に公布された日本国憲法は、翌年5月3日に施行され、今日で憲法施行71年を迎える。

 いうまでもなく日本国憲法は憲法改正を認めるものであり、憲法公布・施行以来、様々な憲法改正論が提起されてきたが、施行71年、一字一句として憲法改正はなされず、既に大日本帝国憲法を超える命脈を保っている。

 確かに日本国憲法は、敗戦と占領という異常事態のなかで制定された憲法である。しかし、それのみを捉え、日本国憲法を安直に無効化・白紙化することはいかがなものだろうか。なぜならば、日本国憲法には、敗戦と占領という異常事態のなかで、歴史の底に流れる日本民族性を幾多の困難を掻い潜り表現した、父祖の血のにじむ努力が内在するといえるからである。

 例えば、日本国憲法第1章天皇条項において、天皇はどのように規定されているだろうか。そこでは、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。

 それでは、「象徴」とは何か。英語でいうならば、象徴とは、「サイン」ではなく「シンボル」である。サインは信号であり、人間の約束によって生み出されたものだ。赤信号は「止まれ」のサインだが、青信号が「止まれ」であってはならない理由は存在しない。

 しかし、シンボルは異なる。キリスト教における十字架は明確にキリスト教のシンボルであり、それは人間の約束によって成り立つものではない。つまり、シンボルは、特定の文化集団の歴史や伝統を背景にして成り立つものだ。

 そうすると、日本国憲法の天皇条項は、特定の文化集団の歴史や伝統を背景としたシンボルとしての天皇をいうものであり、歴史の底に流れる日本民族性を表現したものと考えられる。

 如上の指摘は、希代の神道神学者・上田賢治氏によるものだが、上田氏は、戦後一度として憲法が改正されない現実について、「批判することは易しいが、自国民の伝統と文化とに信を置くとすれば、筆者はその事実に、何らかの<真>を見出さねばならない」(上田賢治『神道神学論考』)ともいう。この精神こそ愛国的・民族主義的なものであり、神道信仰的誠実さを有するものではないだろうか。

 現在、憲法9条がGHQにより押しつけられたという「押しつけ憲法論」について、その事実性へ疑問が投げかけられている。また、現在、自衛隊の存在は多数の憲法学者が憲法13条を根拠とした合憲論を採っている。「押しつけ憲法論」が無効であり、自衛隊が合憲であり、さらに象徴天皇条項が神道神学的に肯定される時、大半の憲法改正論はその根拠を失うはずである。

 根拠なき改憲論、自国民と伝統と文化に「信」を置かず、自国の歴史に「真」を見ない改憲論、先人の決意と決断に憎悪を燃やすかのごとき改憲論は、あまりに無責任かつ非日本的であり、急進的な情勢変化を望む危険な思想ではないのだろうか。あらためて改憲論を問い直したい。

 他方、沖縄戦において沖縄に上陸した米軍は「ニミッツ布告」により大日本帝国憲法はじめ日本の法令を無効化し、米軍による軍政を敷いた。さらに終戦後、日本国憲法が公布・施行されて以降も沖縄には憲法は適用されず、憲法の適用は72年の返還を待つしかなかった。そして沖縄返還・憲法適用以降も、沖縄には過剰な基地負担がのしかかり、沖縄の民意も無視され続けている。憲法の定める平等や民主主義、地方自治の観点から問題はないのだろうか。日本国憲法の尊さを説く人々にも、今日という日に沖縄と「本土」という視点から日本国憲法を見つめ直して欲しい。

花瑛塾会報「神苑の決意」第19号を発行しました

 花瑛塾会報「神苑の決意」第19号(平成30年5月号)発行しました。読者の皆様のお手許には、近日中に届くと思います。

 1面「主張」は、4月27日に行われた南北首脳会談の評価と今後の米朝首脳会談への期待、そして朝鮮半島の悲劇についての日本の関与とこれからの日本の外交について論じています。

 その他、本号各記事の見出しや購読方法など、詳細については当サイト花瑛塾会報「神苑の決意」もしくは花瑛塾ONLINE STOREより御確認下さい。

 また花瑛塾会報「神苑の決意」は、ミニコミ誌を扱う「模索舎」(東京都新宿区)にも納品しており、バックナンバーなども置いていただいております。最新号(第18号)も納品済みですので、どうぞご購読下さい。

 模索舎Webサイト「神苑の決意」紹介ページ(第12号、平成29年10月号)

http://www.mosakusha.com/newitems/2017/09/12_15.html

平成30年4月28日 花瑛塾行動隊街頭行動(いわゆる「主権回復の日」について)

 花瑛塾行動隊は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効による占領統治の終了、いわゆる「主権回復の日」の今日、都内各所にて「主権回復」の意味を問いました。

 確かにGHQによる占領統治は一刻も早く終わるべきであり、国家の独立が待たれましたが、この主権回復によって沖縄県や鹿児島県奄美諸島は日本から切り離され、米軍の施政権下となりました。またサンフランシスコ講和条約の調印・発効は、旧日米安保条約と現在の日米地位協定の原型となる日米行政協定の締結・発効と軌を一にするものであり、さらに講和そのものが「単独講和」「部分講和」と呼ばれる西側諸国との講和であり、ソ連や中国、そして朝鮮半島との講和はなされませんでした。

 これにより沖縄では「銃剣とブルトーザー」によりアメリカ軍基地が拡張され、いわゆる島ぐるみ闘争や復帰運動が激しく展開されます。折からの朝鮮戦争により「本土」でもアメリカ軍基地は拡大していきますが、それはある時期より沖縄に移転され、沖縄がその基地負担を負うことになっていきます。「本土」では「ジラード事件」などアメリカ兵の犯罪に対し厳しい処分ができない日米合意が問題視されますが、基地が集中する沖縄ではそれは日常的な問題でもありました。そして「単独講和」はイコールで日本が西側陣営に加わることであり、これによりソ連や中国といった東側諸国の脅威が異常に煽られ、戦後外交はもちろん市民的感覚まで「西側陣営化」していき、畢竟、沖縄の過剰な基地負担への無神経がはじまる原因ともなります。

 2年前の今日、沖縄県では元アメリカ海兵隊員がうるま市の女性を殺害し遺体を遺棄する痛ましい事件が発生しました。こうした沖縄の基地負担・被害の遠因もこの「主権回復」にあるはずであり、私たちの「戦後」の再考が必要ではないでしょうか。

「戦後」を担い続けた自民党本部前にて訴える

在日青年学徒義勇軍韓国動乱参戦記念碑・忠魂碑参拝

 長らく休戦状態にある朝鮮戦争の「終戦」や朝鮮半島の非核化が取りざたされる歴史的な南北首脳会談を明日に控え、朝鮮戦争に出征した在日韓国人を慰霊する在日青年学徒義勇軍韓国動乱参戦記念碑および忠魂碑(東京都港区:韓国中央会館前)を訪れました。

 朝鮮戦争勃発後、在日韓国人青年の一部が朝鮮半島に渡り、義勇兵として朝鮮戦争に参加しました。記念碑はその事実を伝えるものであり、忠魂碑はこれにより戦死した135人の義勇兵の名を刻んでいます。記念碑は1989年に、忠魂碑は2014年に建立されました。

 どのような理由があろうとも戦争を肯定することはできませんが、彼ら在日韓国人義勇兵にとって、死を覚悟してでも戦わねばならぬものであったのだと思います。そしてそれは、北朝鮮側の人々も同様であり、さらに戦争に関与したアメリカ軍はじめ国連軍を形成した各国の兵士、あるいは中国軍兵士や掃海作業に挺身した日本人も同様です。

 その意味において、この戦争のどちらが正義ということではなく、南北朝鮮はじめ全ての朝鮮戦争戦没者の慰霊のために、また戦争の被害にあって傷つき命を落とした罪のない一般市民の無念にこたえるために、朝鮮戦争の終結と平和、そして非核化を実現する必要があります。過去の朝鮮半島支配や朝鮮特需、あるいは在日アメリカ軍基地が朝鮮半島への出撃拠点となるなど朝鮮戦争と深い関係のある日本人として、記念碑・忠魂碑の前で明日の南北首脳会談の成功を祈念しました。

 なお、昭和25年の「神社新報」社説は、朝鮮戦争について

朝鮮半島の変乱は(中略)直接に日本人の生死に関する一大事ともなり、人類平和の安否を決すべき重大事である。占領下の日本人は、固より政治的外交的には無力であつて、紛争解決のためには何もできないであらう。だが宗教的な思想的な分野に於て個人の魂に訴へ、魂の力を通じて平和への貢献をなすべき道は残されてゐるはづである。敢て局面の重大性を指摘して、宗教人思想人の奮発を祈る次第である。

と占領下の現状での無力を噛みしめながらも神道家・宗教家として何ができるか、悲痛な筆致で記しています。実際、朝鮮戦争当時、神道青年会はアメリカによる朝鮮戦争への日本人義勇兵計画に対し、アメリカの国会に反対の意志を通告しています。

 こうした当時の神道家の苦しい胸中や平和を希求する精神は、あくまで対話を求める外交努力を続けた韓国・文在寅大統領に対し、これまでひたすら「圧力」を叫びながらいまさら臆面もなく絡みつき「手柄」を得ようとする「外交の安倍」には無縁のものといえるでしょう。

 元「大日本帝国」軍人としてBC級戦犯となった朝鮮人もいれば、傷痍軍人として苦しんだ元「大日本帝国」軍人の朝鮮人もいます。これらの人々に、日本政府はあまりに冷酷でした。愛国者としても考える問題であり、朝鮮半島問題に日本は主体的であるべきです。

在日学徒義勇軍「忠魂碑」と「記念碑」

戦後日本政治史と沖縄の保守政治

 昨年3月、長らく日本政治史・日米外交史などを研究された河野康子氏が多大な業績を残し法政大学を定年退職された。

 特に河野氏は、米軍統治下にあった沖縄県をめぐる自民党の政策や意思決定などの政治動向や沖日米交渉を分析された。例えば河野氏「池田・ケネディ会談再考―国旗掲揚と施政権返還要求の凍結―」(『法学志林』第111巻第2号、2013年11月)では、池田勇人内閣における沖縄に関する外交交渉について分析している。

 つまり1961年6月、池田勇人首相はアメリカを訪れ日米首脳会談を行ったが、そこでは沖縄の学校などにおける日本国旗の掲揚が認められるものの、同時に池田首相は沖縄の施政権返還を要求することなく、日米共同声明がそれに触れることもなかった。前年の岸信介首相の訪米において出された共同声明においても施政権返還は触れられず、沖縄側では厳しい評価がされたが、つまるところ池田首相の沖縄外交は、国旗掲揚をアメリカに認めさせることにより施政権返還要求を自制するものであったということを考究するのである(ただし、池田内閣が沖縄問題について何もしなかったわけではなく、沖縄に関する日米協議委員会が設置されるなどもしている)。

 こうした河野氏の業績については、河野氏定年退職記念号『法学志林』第115巻第1・2号合併号(2018年3月)に業績目録と回顧や論文などが寄せられている。

 特に『法学志林』同号では、河野氏に指導教員として指導された平良好利氏が「沖縄政治における「保守」と「革新」」という論文を寄稿し、沖縄の保守/革新の拮抗と政策的接近という「本土」とは異なる独特な政治状況について、米軍統治という歴史的経緯を踏まえて分析している。

 「本土」ではいわゆる革新勢力が力を失い、全体的として保守化しているように見えるが、沖縄では保革がともに健在であり、例えば知事選挙では保革が交互に選挙に勝利し、県議会選挙では勢力が拮抗している。沖縄には琉球民主党や沖縄自民党、社会大衆党や沖縄人民党など保革の各種政党が興亡し、そこに米軍や「本土」の政治勢力、そして琉球政府などが関わり合う複雑な政治力学が存在するが、実際は沖縄では保革のイデオロギー的対立は少なく、どの党も「日本復帰」では一致していた。アメリカ軍基地についても、どの党も基本的には少なくとも「縮小」という点では一致している。そうすると保革は政策的に接近しており、どちらも「中道性」があったのであり、そのために「島ぐるみ闘争」なども行い得たことが沖縄政治の特徴といえる。

 戦後沖縄政治史における保守・革新については、その他にも櫻澤誠氏が『沖縄の復帰運動と保革対立―沖縄地域社会の変容―』(有志舎、2012年)や『沖縄の保守勢力と「島ぐるみ」の系譜―政治結合・基地認識・経済構想―』(有志舎、2016年)などで相当な密度の研究をされている。そのなかでは沖縄の教員の政治行動、あるいは軍用地問題や米軍関連の事故の補償などで沖縄の保守と革新の相違、また経済政策(沖縄の「自立経済」の問題)における保革の対立と近接性などが論じられている。

 また櫻澤氏の指摘で注目したいのは、沖縄県教職員会が1950年代の沖縄県護国神社再建運動に大きく関わっている歴史である。戦後の沖縄では、戦争犠牲者への援護法による物的援護と慰霊祭祀による精神的援護が行われたが、それは犠牲者の靖国神社合祀を意味した。そしてこの一連の動きは、「本土」への沖縄の帰属や「本土」と沖縄の紐帯を確認する作業ともなった。

 軍隊(究極的には日本軍)の視点による沖縄戦という「軍隊の論理」と、これに抗するかたちで立ち上がった住民の視点による沖縄戦という「住民の論理」があるとすれば、援護法・靖国神社合祀、そして沖縄県護国神社再建など、沖縄県民側も「軍隊の論理」を積極的に展開していったことも事実である。少なくとも「住民の論理」でこれを語りきることは困難である。「軍隊の論理」の展開はむしろ自然の流れであり、そうした「軍隊の論理」と「住民の論理」の混在が沖縄の特徴でもあった。そこに関与していたのが沖縄県教職員会でもあった。教職員会は他にも「日の丸掲揚運動」なども展開している。60年代以降になると教職員会は急速に革新化するが、教職員会はじめ沖縄の保守と革新は、ここにおいて未分化であったのである。

 沖縄の保守と革新の対立の意味やその接近の意味を理解することは、現在の沖縄の政治状況を理解する上で重要な前提となる。そして他方で広がっていく言説空間上の保革の距離も踏まえなければならない。沖縄の保守政治研究は近年比較的活発でもある。河野氏の業績を回顧しつつ、ご一読を。

平成30年4月23日 靖国神社参拝

 春季例大祭が執り行われている靖国神社(東京都千代田区)を参拝しました。靖国神社春季例大祭は毎年4月21日から3日間行われ、秋の例大祭とともに靖国神社にとってももっとも重要な祭祀となっています。

 境内には多くの参拝者とともに、江戸の町火消しの伝統を継承する一般社団法人「江戸消防記念会」の人々が独特の鮮やかな半纏をまとい参拝していました。同会は例年、靖国神社春季例大祭に参拝するとともに、成田山新勝寺など寺社仏閣への参拝を行っているそうです。

 靖国神社については様々な意見・見解があります。例えば近代日本の民衆宗教や宗教行政、いわゆる国家神道の問題などを研究した村上重良が昭和36年に日本共産党機関紙「アカハタ」に靖国神社国家護持を提起したことについて、神社本庁「神社新報」が一定の共鳴を示す記事を掲載するなどしており、現在においても考える価値は大といえます。

南北首脳会談・米朝首脳会談による朝鮮戦争の「終結」と今次日米首脳会談を振り返る

 韓国・文在寅大統領と北朝鮮・金正恩委員長による南北首脳会談がいよいよ来週27日に板門店で行われる。既に会談実施に向けた実務者の協議も始まり、両首脳の握手の様子などを生中継するといった発表もなされている。

 金委員長は先月下旬に中国を訪れ、習近平主席と会談した。さらに5月下旬から6月上旬に金委員長とアメリカ・トランプ大統領による歴史的な米朝首脳会談も予定されており、米朝首脳会談後には習主席の訪朝や金委員長とロシア・プーチン大統領の首脳会談なども行われる見通しとなっている。この数か月で朝鮮半島情勢、ひいては東北アジア情勢が大きく展開することが予想される。

 こうした東北アジアの情勢の急展開に取り残された安倍首相は17日、慌てふためきアメリカを訪れ、トランプ大統領との首脳会談を行った。これまで「圧力」を叫び北朝鮮による日本人拉致事件など忘れ去り「脅威」を煽り立てた安倍首相は、いまになり盗人猛々しく拉致事件の解決をいいはじめ、トランプ大統領に米朝首脳会談において拉致事件について言及することを約束させた。

トランプ大統領の別荘「マールアラーゴ」(アメリカ・フロリダ州パームビーチ)にて会談する日米首脳【中日新聞2018.4.18夕刊】

 そもそも米朝首脳会談は、韓国をはじめとする外交当局者の対話の試みと米朝首脳の決断により急転直下で決まったことであり、誰も予想していなかった。誰も予想していなかった米朝首脳会談の実現を見越した上で、トランプ大統領に拉致事件の解決を頼み込むことが、安倍首相のかねてからの狙いであったのだろうか。「危機」「脅威」「国難」と得意気に煽り立てた昨年、安倍首相は「そのうち米朝首脳会談が行われるので、その際にアメリカに拉致事件の解決を依頼しよう」と考えていたのだろうか。絶対に否である。安倍首相の対北朝鮮外交がいかにもその場しのぎの場当たり的なものだということが、今回の日米首脳会談で明るみとなった。安倍首相はトランプ大統領との共同会見において、いまだ臆面もなく「圧力」の言葉を発するが、既にアメリカはアメリカCIAポンペオ長官が訪朝し金委員長と会談を行うなど、対話を開始している。

 南北首脳会談・米朝首脳会談が順調に進めば、朝鮮半島の非核化とともに休戦状態にある朝鮮戦争の「終戦」が宣言され、「朝鮮戦争終結」が現実味を帯びるといわれている。これは日本にとっても無関係な話ではない。終戦と占領統治により一時期大規模なアメリカ軍を中心とする連合軍が日本を駐留したが、その数は徐々に減少していった。しかし、朝鮮戦争によりアメリカは日本の軍事基地化を進め、在日アメリカ軍基地の数は占領終結後よりも朝鮮戦争前後の方が増加さえした。また朝鮮戦争に出征するアメリカ陸軍兵は、まず横浜に上陸し、キャンプ・ドレイク(埼玉)で配属手続きを行い、キャンプ・マウアー(長崎)を経て朝鮮へと向かった(青木深「日本「本土」における米軍基地の分布と変遷―占領期からベトナム戦争終結まで―」<『同時代史研究』第4号、2011年>)。三沢・横田・立川といった航空基地も使用され、多くの米軍航空機が朝鮮と日本を往来した。朝鮮戦争中、延べ数百万人ともいわれるアメリカ兵が日本を行き交ったといわれている。自衛隊の前身となる警察予備隊も朝鮮戦争によって発足し、さらに日本は朝鮮戦争で使用されるアメリカの兵器を製造することによって経済的に復興していった。大規模軍需工場は当然のことながら、地方都市の町工場ですらアメリカ軍が使用する親子爆弾を製造していたという証言の紹介も存在する(新津新生『朝鮮戦争と長野県民』信州現代史研究所、2003年)。

 このような歴史的経緯を有する朝鮮戦争があるいは「終結」するという一大転換点も目前にし、安倍首相は何らの独自のメッセージを打ち出すこともできなければ国際情勢にタッチすることもできていない。朝鮮戦争「終結」により在韓米軍はどうなるのか、在日米軍はどうなるのか、日本の「国連軍」施設はどうなるのか。東北アジア情勢をどのように主導していくのか、日朝関係をどのようにしていくのか。日本の過去の清算をどのように行うのか。考えるべきことは山積しているが、安倍首相に特段の意思表示は存在しない。

 日米共同会見でそうしたように、安倍首相は帰国後「拉致事件についてアメリカに約束させた」と得意気に言い放つだろうが、今回の日米首脳会談の話題の中心は貿易問題であり、実質的には日米経済交渉であった。そこにおいてもトランプ大統領にTPP不参加を明言され、FTAなど2国間交渉を進めたいと翻弄された。アメリカが設定する鉄鋼・アルミ製品の関税引き下げも叶わなかった。一体、安倍首相は今回の日米首脳会談で何を得て、何を失ったのだろうか。そしてこれまで繰り返してきた対北朝鮮強硬論によって何を得て、何を失ったのだろうか。

 東北アジア情勢はもちろんまだまだ油断ならない。トランプ大統領も場合によっては米朝首脳会談を行わないとも発言している。まさに一寸先は闇である。しかしその闇に光を灯す努力を怠ってはならない。安倍首相はそのような努力をしたことがあるのか。強く問いただしたい。

 またアメリカ自身も朝鮮戦争「終結」により、あるいは東北アジア情勢の変遷により、在韓・在日アメリカ軍の現状と今後について検討・説明する必要もあり、花瑛塾はアメリカ大使館周辺でその旨訴えるとともに、自民党本部周辺にて自民党自身が安倍外交を問い直すべき旨訴えた。

アメリカ大使館周辺

中国・王毅外交部長来日と日中外相会談など日中対話の進展について

 花瑛塾行動隊は16日、昨日15日の中国・王毅外交部長の来日と日中外相会談・日中ハイレベル経済対話・首相表敬訪問などの外交交渉の進展を受けて、日中両政府に歴史を参照した冷静かつ前向きな対話の継続と東アジア平和外交の確立など、日中新外交の構築を訴えました。

東シナ海海域における日中漁業協定の設定図 北緯27度以南水域が尖閣諸島付近水域であり、「小渕書簡」が適用される【東京新聞より】

 特に尖閣諸島については中国が領有権を主張し、中国公船が接続水域や領海に侵入するなど、挑発行為や違法行為が頻発しています。尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも日本領であり、なおかつ日本は尖閣諸島を揺るぎなく実効支配をしており、中国はただちに挑発行為・違法行為をやめるべきです。

 しかし、尖閣諸島をめぐっては、過去、日中間で様々な外交交渉が繰り広げられ、対立や衝突を避けるメカニズムが構築されてきたことも事実です。

 例えば、1997年に締結された日中漁業協定(2000年発効)では、両国の排他的経済水域(EEZ)の主張と設定が重なる水域について、相互に自由な漁船の操業を認め、両国政府は自国の漁船の取り締まりは行えるが、相手国の漁船は取り締まることはできないとされています。さらに日中漁業協定では例外とされた尖閣諸島付近水域においては、同時に当時の小渕外相による中国・徐敦信特命全権大使への書簡で、相手国の漁船に関して自国の関係法令を適用しないことが取り決められ(小渕書簡)、事実上の自由操業が認められています。

 また、日本政府によるいわゆる「琉球処分」によって日清関係は緊張し、アメリカ前大統領グラントは琉球諸島について沖縄本島以北を日本、先島諸島以南を琉球とする分島の提案をし、明治13年から日清両政府による琉球分島交渉が行われたこともあります。交渉は最終的には物別れとなりましたが、日本側が分島に一時期乗り気であったことは事実であり、交渉が実現していれば先島諸島の西端に位置する尖閣諸島は、当然中国領となっていました。

 こうした過去の経緯を知ると、日中双方が衝突回避の際どい外交努力をしたのであり、さらに歴史が少しかわっていれば、尖閣諸島は日本領でなかった可能性もあるということがわかります。そうすると、日中国交正常化交渉において鄧小平氏が尖閣諸島の「棚上げ」を明言し、日中双方がそれを確認・合意したことは、偉大な知恵であったということができます。双方が尖閣諸島に触れなければ、日本の実効支配は貫徹され、同時に中国側もメンツが保てるわけであり、互いに平和的に利を得ることができたわけです。

 こうした先人の偉大な知恵をかなぐり捨て、声高に尖閣諸島の領有権を叫び、中国に対し挑発的な言動を主張する「浅知恵」は、過去を踏まえないという意味で「保守」の思想とは真逆なものであり、それは現状打開を目指す急進派の革新思想とさえいます。

 いまこそ日中両政府は先人の知恵を学び、歴史を参照し、平和的な外交交渉を進展させ、首脳対談の実現に向けて努力するべきであることを、外務省周辺や王毅外交部長が安倍首相を表敬した際にあわせ首相官邸周辺などで訴えました。

王毅外交部長と日本側の懇談夕食会が行われるホテルに至る道路を封鎖する機動隊

シリア・アサド政権による化学兵器使用と米英仏のシリア攻撃について

 14日、アメリカ・トランプ大統領はシリア・アサド政権による化学兵器の使用を理由として、イギリス・フランス軍とともにアメリカ軍がシリアへミサイル攻撃を行ったと報道された。

 アサド大統領はこれまでも反体制派に化学兵器をも使用した熾烈な攻撃を行っていると報じられており、シリア国内と見られる場所で市民が負傷している様子が公開され、世界的な注目とアサド大統領への非難が高まっていた。

 他方、ロシアはこれまでアサド政権を支援し、反政府勢力への爆撃を行うなどしてきた。今回のアメリカなどの軍事行動に対しても強い非難を行い、国連での非難決議の採択を目指している(採択には至らず)。

 アサド大統領による化学兵器の使用をはじめとした軍事行動、そしてそれによる市民の被害は、到底看過するべきものではない。シリア内戦は長期に渡り、罪のない人々が苦しみ続けており、さらにIS(いわゆるイスラム国)などテロ組織が関連した状態であるならば、国際社会が協調して事態打開のために対応するべきである。

 しかし、アメリカなどによる今回の攻撃は、国連決議を経たものではなく、国際法上の手続きにも正当性が疑問視されている。また、そもそもアサド大統領による化学兵器の使用が事実なのか、確実な根拠は存在していない。それとともに、ここまでシリア情勢を悪化させた背景には、米ロの中東情勢の思惑の違いという大国同士の利害衝突という面も存在する。

 過去の化学兵器の使用といえば、アメリカ軍によるベトナム戦争における枯葉剤の使用があげられる。さらに化学兵器の使用は日本も無関係ではなく、沖縄では1963年以降、知花弾薬庫にマスタードガスやVXガスなど1万4000tもの化学兵器が搬入・配備されたという事実もある。69年には毒ガス漏れ事故が起こり、多数の負傷者も発生した。そればかりかアメリカ政府は当初、事故の隠ぺいをはかり、事故が新聞報道で明るみとなった後も情報を統制しようとした。

 アサド大統領の化学兵器使用が事実だとすれば言語道断ではあるが、大国もまた化学兵器に関し相応の無法を行ってきたのであり、人々の苦しみなど考えることもなく自国の権益のためある時は武装勢力を支援し、ある時は既存の政府を支援するなど、無軌道な政策を展開してきたのである。そして日本は、こうした国際情勢に何らの影響力を行使することなく、基本的にはアメリカの政策を支持し、シリア難民の受け入れを事実上拒否するなどしてきたのである。

 アサド政権もアメリカもロシアも日本も自国の都合を考えるばかりであり、そこにおいて傷つき苦しむのは罪のない民衆である。そのことは沖縄やシリアの民衆が受けてきた苦しみが証明している。私たちに何ができるか、この国になにをさせるべきか、あらためてよく考えたい。

イラク自衛隊日報問題と安保関連法について

 これまで不存在とされたイラク特措法に基づく自衛隊派遣部隊の日報が「発見」され、話題となっている。

 イラク特措法において、自衛隊の派遣先は「非戦闘地域」という限定があったが、実際に自衛隊宿営地サマワはじめイラク各地で自衛隊は相当な危険な状況にあったことが明るみとなっている。

イラクに派遣された自衛隊員(サマワ近郊にて)【西日本新聞2018年4月13日23時36分配信記事より】

 例えば、当時の陸幕長・先崎一氏は、自衛隊イラク派遣部隊先遣隊は「棺」を準備していたと証言している。また部隊は拳銃や小銃の他、機関銃・無反動砲・対戦車弾といった火力を装備しイラクに派遣されたと防衛省側が国会答弁で明確にしており、事前に近接戦闘を想定した至近距離での射撃訓練を行っていたと陸自文書に明記されている。

 サマワの宿営地には現地の武装勢力によって迫撃砲が計11回23発も撃ち込まれ、イラク・ルメイサでは自衛隊が群衆に包囲され、付近で銃撃戦が始まり、自衛隊員は死を覚悟するとともに、銃の引き金に指をかけるところまでいった。空自の輸送機はバクダッド上空で対空ミサイルの照準が当てられた際のアラームが何度も鳴ったともいわれている。

 こうしたところからイラク自衛隊派遣は「非戦闘地域」という限定から逸脱したものであり、自衛隊は「戦闘地域」において、何らかの戦闘的事象に直面していたと考えられる。実際に今回「発見」された日報には「戦闘」との文言が存在しているとも報道されている。

 2015年の安保関連法では、重要影響事態法や国際平和支援法においてアメリカ軍などへの支援を地理的制約なく、また非戦闘地域といった限定もなく実施できるとされ、自衛隊の海外派遣・海外活動が拡大された。「非戦闘地域」という限定があってもこのように危険ななかで、制約なく海外派遣・活動が拡大すれば、自衛隊員に負傷者が出ること、そして自衛隊員が海外で武力を行使することは、事の成り行きの必然である。

 自衛隊イラク派遣の責任を隠ぺいするため、そして安保関連法制定のために南スーダンPKO日報とともに自衛隊イラク派遣日報を隠ぺいしたのではないのか。徹底的に調査する必要がある。