平成31年2月18日[戦争遺跡見学]旧陸軍騎兵旅団司令部・連隊兵舎跡(千葉・習志野、船橋)

 京成大久保駅付近(千葉県習志野市・船橋市)にあった旧帝国陸軍騎兵第1旅団および第2旅団の司令部や同旅団隷下連隊の兵舎跡などを見学しました。

栗林中将が揮毫した石碑

 帝国陸軍騎兵旅団は日露戦争で活躍した秋山好古大将が旅団長をつとめ、奉天会戦などで活躍しました。また昭和20年(1945)2月19日に米軍が上陸して始まる硫黄島の戦いで指揮をとった栗林忠道中将も旅団長を務めました。そのためか旅団司令部跡に隣接する神社には栗林中将が揮毫した石碑などが残っています。

 習志野は明治以降、これら騎兵旅団などの軍事施設が多数置かれ「軍郷」として発展しましたが、その裏面には習志野学校など毒ガス戦の研究と訓練の施設が置かれたり、関東大震災時には朝鮮・中国人の虐殺と関連する外国人収容所が置かれたという歴史もあります。

騎兵第13連隊発祥の地の石碑(左)と司馬遼太郎の石碑(右)

平成31年2月13日 旧米陸軍朝霞キャンプ「キャンプ・ドレイク」返還地見学

 旧米陸軍朝霞キャンプ「キャンプ・ドレイク」返還地(東京都練馬区、埼玉県朝霞市・同和光市・同新座市)を見学しました。

 同地には戦時中、陸軍被服支廠がありましたが、終戦と占領により米軍に接収され、朝鮮戦争やベトナム戦争において、米国の戦略上重要な役割を果たしました。例えば朝鮮戦争において、米陸軍はまず横浜に上陸し、キャンプ・ドレイクで配属などの手続きを行い、そこから長崎のキャンプ・マウアーを経て戦線に送られたといわれています(青木深「日本『本土』における米軍基地の分布と変遷─占領期からベトナム戦争終結まで」)。

キャンプ・ドレイク返還地にある米国製の消火栓

 現在、キャンプ・ドレイクは全面的に返還され、市民の競技場や公園、文教施設などになっており、米軍基地を思わせるようなものはありません。しかし返還地をよく見ると、米国製の消火栓や英語らしき文字が見える何らかの遺構が確認できます。また周辺には「コンバット」の文字が見える飲食店跡があるなど、返還地やその周辺にはわずかに「アメリカ」が残っています。

「コンバット」の文字が残る飲食店跡

平成31年2月11日 紀元祭・神武天皇御陵遥拝式参列

 紀元節のこの日、紀元祭・神武天皇御陵遥拝式に参列しました。

社殿での紀元祭に続いて斎行された神武天皇御陵遥拝式

 紀元節とは、明治初期から終戦直後までの祝祭日であり、神武天皇即位を祝うものです。『日本書紀』には神武天皇即位について「辛酉年春正月庚辰朔天皇即帝位於橿原宮」とあり、明治6年の太政官布告によって2月11日が神武天皇即位の日「紀元節」とされましたが、終戦後の昭和23年、GHQの意向もあり「国民の祝日に関する法律」の制定によって廃止されました。

 ところが昭和41年、2月11日が「建国記念の日」として祝日となり、「建国をしのぶ日」とされました。しかし紀元節は神武天皇即位の日であっても、日本建国の日とすることは難しいのではないでしょうか。つまり日本の建国はあくまでも瓊々杵尊の天孫降臨によるものであり、それは神武天皇即位以前のはるか遠い昔の出来事であるはずです。あえていうならば神武天皇即位とは「建国中興」であり、紀元節の佳き日に神武天皇即位のお祝いを通じて、天孫降臨による日本の建国と、神武天皇即位による建国中興の大業をしのぶという意味での「建国記念の日」と認識し直す必要があるのではないでしょうか。

 実際、紀元節制定に尽力した大国隆正や玉松操あるいは岩倉具視といった幕末・維新期の国学者や神道家、政治家も紀元節を建国の日とはしておらず、そのことは『日本書紀』以降の古代の文献や北畠親房らの中世の思想書・歴史書などにもあきらかです。

 他方、歴史学の立場からは、神武天皇即位紀元は讖緯説に基づくものであり、推古天皇9年辛酉正月朔日から辛酉革命の起きる1260年ほど前倒しして設定されたともいわれております。そうすると推古天皇9年辛酉自体が聖徳太子など当時の人々にとって革命の年と考えられていたともいえるのであり、実際に十七条憲法の制定や隋との外交関係の確立など、推古天皇9年辛酉の年とその前後は国家の大変革の時期でもありました。

 天孫降臨による日本建国、神武天皇即位による建国中興、そして推古天皇9年辛酉という国家大変革という建国とその中興に関する様々な歴史と事情を学び、私たちはこれからの建国中興と大変革へ歴史をつむいでいくべきではないでしょうか。

平成31年2月7日 「北方領土の日」に関する街頭行動

「北方領土の日」にあたって

 本日2月7日は政府が定める「北方領土の日」です。花瑛塾行動隊は首相官邸・外務省・自民党本部・ロシア大使館・アメリカ大使館など各所で北方領土問題に関する街頭行動を展開しました。

「北方領土の日」根室管内住民大会で着用を見合わすことになった「島を返せ」のタスキを着用

 政府・自民党はこれまで、国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島の北方四島の返還を旧ソ連・ロシアに要求してきましたが、安倍政権は、これまでの北方四島の返還要求をうやむやにし、色丹島・歯舞諸島の二島返還要求に切り替えようとしています。

 戦後70年以上、北方領土問題がまったく進展しなかったことを振り返れば、これまでの交渉のあり方を見直し、新たなアプローチで交渉をやり直すことは、けして悪いことではありません。しかし、そうであれば、これまでの四島返還論とは一体何だったのか、なぜうまくいかなかったのか、真剣な総括が必要です。

 また今年の「北方領土の日」根室管内住民大会では、「島を返せ」のタスキの着用が見送られたそうです。外務大臣ですらも北方四島が日本固有の領土であり、旧ソ連・ロシアにより不法に占拠されているとの認識を示すことに消極的です。今後、国後島・択捉島の二島の返還はどうするつもりなのか、わが国にとって北方領土の位置づけとは何なのか、国民への明確な説明が必要なのではないでしょうか。

「外交の安倍」が功に焦ったか

 そもそも、ロシアの主張を聞く限り、ロシアは北方領土の不法占拠を認めず、戦争の結果、正当に得た領土かのような主張をしています。また二島返還といっても、色丹島・歯舞諸島の主権が返還されるかも不透明であり、日本にとって利のある北方領土交渉なのか、大いに疑問です。

外務省前

 これまで安倍首相とプーチン大統領の日ロ首脳会談は25回行われてきましたが、結果的にプーチン大統領は、日本側の主張と大きく異なる日ソ共同宣言に基づく二島返還による平和条約締結を提案してきました。このプーチン大統領の提案に安易にのってしまったのが安倍首相です。

 安倍首相は自分のことを「外交の安倍」などといって得意になっているようですが、第二次安倍政権の6年間で目立った外交的成果はあがっていません。日ロ首脳会談も何度も開催され、安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」などと呼び、多額の経済的援助をしてきたが、領土問題に関し何らの進展もありませんでした。こうした状況下、安倍首相が「点数かせぎ」のために功を焦って二島返還に舵をきったとすれば、日本とロシアの将来、なかでも北方領土元島民や現在北方領土に住んでいるロシアの人々に、大きな禍根を残すことになります。

 もちろん日ロ首脳同士が親密であることを否定するわけではありません。また日ロの平和と友好は大事であり、経済協力も重要でしょう。特に北方地域に責任を持つ国家として、先住民族や北方領土元島民の権利擁護や支援、水産資源の維持や環境保護などは両国が協力し積極的にやっていく必要があります。けれども領土交渉は領土交渉であり、あくまで歴史と国際法に根拠をもった原則的な領土交渉こそ、ロシアの不当性を明瞭にするのであり、そこにおいて交渉が成立するのではないでしょうか。

 安倍首相はこれまでの対ロ外交を根本的に見直す必要があります。

旧ソ連の対日参戦とアメリカの教唆

 昭和20年(1945)8月9日、旧ソ連はわが国との中立条約の有効期間内にも関わらず対日参戦し、満州・朝鮮・南樺太・千島列島を攻撃、占拠しました。爾来、70年以上の長きに渡り、不法に占拠されています。旧ソ連の対日参戦が国際法違反の侵略行為であることは明白であり、さらに戦闘において旧ソ連が行った殺人・強盗・放火・略奪など数々の蛮行は許しがたく、私たち花瑛塾はこれを厳しく糾弾します。

 一方で、ソ連の対日参戦の背景には、アメリカによる教唆が存在することは見過ごせません。

 第二次世界大戦中のヤルタ会談において、アメリカ大統領ルーズベルトは、ソ連書記長スターリンに対日参戦を促し、その見返りとして日本領であった千島列島と南樺太の領有を認めました。さらにアメリカは、ソ連軍に対し、北方領土上陸作戦に必要な上陸用舟艇や掃海艇などの軍艦145隻を貸与し、アラスカにて、ソ連軍将校と兵士1万2千人に訓練を施していたことが明るみとなっています。

 ソ連による対日参戦と領土侵略は許されませんが、それを唆したアメリカも同罪であり、戦後の日本外交がソ連の領土侵略への反感をもとに、反ソ連・対米協調路線に極端に舵を切ったことは、まさしく錯乱・矛盾の極みといわざるをえません。

アメリカ大使館前

戦後の対ソ・対ロ領土交渉の問題点

 わが国は戦後、旧ソ連と領土返還・国交回復交渉を行い、昭和31年(1956)の日ソ共同宣言を締結しました。これにより日ソ国交は回復し、わが国は国際社会へ復帰しました。その上で領土交渉が進む予定でしたが、難航し現在に至ります。

 領土交渉におけるわが国の主張は、国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島の四島は、北海道の一部であるから返還せよという主張ですが、色丹島・歯舞諸島は北海道の一部だとしても、国後島・択捉島は千島列島の一部であり、二島についてわが国はサンフランシスコ条約で主権を放棄しています。このようなわが国の主張は不当であり、その意味においてロシア・旧ソ連の反発も無理はないといえます。

ロシア大使館前

 いま、わが国とロシアとの間で確認すべきことは、以下、大きく四つあります。

 第一に、旧ソ連の対日参戦は国際法違反の侵略行為であり、これによる領土占拠の無効を確認すること。

 第二に、旧ソ連の対日参戦は第二次世界大戦の基本方針である「領土不拡大」に反し、これを追認するサンフランシスコ条約の領土条項の無効を確認すること。

 第三に、過去のわが国の不当な領土の主張の撤回。

 第四に、旧ソ連の対日参戦を教唆したのはアメリカであり、日ソ・日ロ領土交渉に際し、陰に陽に介入をし続け、わが国と日ソ・日ロの友好を妨害し続けたのもアメリカであって、今後の日ロ領土交渉へのアメリカの妨害の排除を確認すること。

 これらの点を踏まえた上で、国際法上もっとも適法であった状況、すなわち昭和20年8月8日の状態へ国境線をロールバックし、日本の主権を確認した上で、74年という歴史の重みを踏まえ、そこにおいて新たに築かれた人々の暮らしや文化を理解し、現在の北方地域の現状を根底から覆すことのない、新たな領土交渉のあり方を模索する必要があるのではないでしょうか。

日ロ新外交の確立と展開を

 江戸幕府と帝政ロシアの日露和親条約以来、樺太・千島交換条約、ポーツマス条約と国際法にのっとり国境線は幾度も変更されました。日ロともに、国境線の変更をためらう理由はありません。特に日露和親条約における樺太島雑居地化などは、わが国とロシアの先人の偉大な知恵といえます。こうした先人の知恵に学び、過去の経緯に執拗に拘らず、大胆な領土交渉をしていくべきではないでしょうか。

 同時に、領土交渉とは切り離した上で、北方領土元島民の故郷への自由な往来や交流、北方地域の先住民たるアイヌの人々の権利擁護を日ロ両国で支援するなど、国家に翻弄された元島民や先住民のために、北方地域に責任を持つ国家である日ロが連携すべき点は多々あるはずです。

花瑛塾メンバーは過去、ロシア・旧ソ連により不法に占拠されている南樺太(サハリン)で行われた日本人犠牲者慰霊祭を祭員として奉仕している

 これまでの北方領土交渉の問題点を真剣に総括した上で、原則的かつ柔軟な日ロ新外交の確立と展開を訴えます。

KAEI SEMINAR「沖縄はうちなんちゅのもの─本土からやまとんちゅが出来ること─」開催しました

 2月1日、3回目の KAEI SEMINAR を開催しました。

 今回の講師は当塾仲村之菊、テーマは「沖縄はうちなんちゅのもの─本土からやまとんちゅが出来ること─」でした。

 講師は、これまで約2年半に渡り沖縄で活動を続け、多くの沖縄の人々と交流してきました。そのなかで講師が沖縄の人々から伺った基地や暮らし、政治や本土への思いなど、沖縄の人々の多様で複雑ながら率直な声の紹介がありました。

 また講師が沖縄で活動するにあたり、自分自身が沖縄に対立と分断を呼び込み、持ち込む存在とならないよう気をつけていることなどを伺った他、沖縄の人々が基地をめぐって賛成派・反対派などと別れさせられ、対立させられている現状への憂慮などを伺いました。

平成31年1月28日 花瑛塾第17次沖縄派遣団④(「魂魄の塔」慰霊参拝)

 花瑛塾第17次沖縄派遣団は28日、沖縄戦犠牲者慰霊碑「魂魄の塔」(糸満市米須)訪れました。

 米須一帯は沖縄戦の激戦地の一つでもあり、戦後も多くの犠牲者の遺骨が放置されていました。米須には、米軍の命令で真和志村の人々が移住していましたが、真和志村民がこれら犠牲者の遺骨を日米・軍民の別なく収骨し、納骨した自然窟が「魂魄の塔」の原型です。

 納骨した遺骨の数は3万5千体ともいわれ、遺骨は山になったそうです。そのため石垣を組んで現在の形になりました。なお当時、遺骨の収骨・納骨作業の先頭に立ったのは翁長雄志前沖縄県知事の父である翁長助静(じょせい)氏といわれ、「魂魄の塔」には助静氏の歌碑も建立されています。

 現在は「魂魄の塔」に納骨された遺骨は、戦没者中央納骨所(那覇市)を経て国立戦没者墓苑(糸満市摩文仁)へ納骨されていますが、「対馬丸」事件の遺族らが「魂魄の塔」内にまだ事件犠牲者の遺骨がある可能性を指摘するなど、沖縄戦の傷跡はいまだ生々しく残っています。

平成31年1月27日 花瑛塾第17次沖縄派遣団③(伊波リンダさん)

 花瑛塾第17次沖縄派遣団は27日、沖縄の写真家である伊波リンダさんとお会いし、写真を通して見た沖縄の魅力などをお聞きしました。

伊波リンダさん(左)と

 伊波さんは同じく沖縄の写真家である東松照明に師事し、これまで「どこでもない場所」「I am」「Design of Okinawa」などの写真展(個展)を開催しています。

 また前日の農作業・畜産業の1日体験に続き、台風により赤土が流出してしまった小川の復旧作業を行いました。この小川は川底まで普段はかなりの深さがありますが、流出した赤土が沈殿し数センチほどの水深となってしまいました。

平成31年1月26日 花瑛塾第17次沖縄派遣団②(農業・畜産業体験)

 花瑛塾第17次沖縄派遣団は26日、やんばる(沖縄島北部)の農家のご好意により、島ラッキョウなどの畑作業やヒ―ジャー(山羊)の飼育など、農業・畜産業の1日体験をしました。

 沖縄では農業や畜産業が盛んですが、特にやんばるでは農業はパインアップルやマンゴー、あるいは菊の栽培が行われ、畜産業ではアグー豚などの豚や牛、鶏、そしてヒ―ジャー(山羊)の牧畜が行われています。

 しかし他の都道府県同様、少子高齢化による後継者不足や海外産品の輸入により、沖縄の農業・畜産業を取り巻く環境は年々厳しさを増しています。今回、やんばるの農業・畜産業を1日体験し、第一次産業のすばらしさに触れながら、自然や生き物を相手にする大変さや苦労を実体験しました。

 なお、ヒ―ジャーの牧畜は本土では比較的珍しいかもしれませんが、沖縄では15世紀には大陸からヒ―ジャーが伝わり(現在の種とは異なる)、現在に至るまで沖縄各地で大事に育てられています。

平成31年1月25日 花瑛塾第17次沖縄派遣団①(シアタードーナツ・オキナワ 映画鑑賞&シネマトーク)

 花瑛塾第17次沖縄派遣団は25日、沖縄県護国神社(那覇市)を参拝後、カフェシアター「シアタードーナツ・オキナワ」(沖縄市コザ)で開催された映画『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』の上映会に参加しました。

 シアタードーナツ・オキナワでは、県産品映画を中心に様々な映画が日々上映されています。最近では『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』の他、『神宮 希林 わたしの神様』『人生フルーツ』などが上映されています。カフェスペースも併設され、映画を鑑賞しながら飲食を楽しむこともできます。

シアタードーナツ・オキナワ
http://theater-donut.okinawa/index.html

 上映会後はシネマトークにゲストとしてお招きいただき、シアタードーナツ・オキナワ代表の宮島真一さんとお話をしました。特に上映作品の主人公である瀬長亀次郎と那覇市長選挙や島ぐるみ闘争についての戦後神道界・神社界を代表する言論人である葦津珍彦の論評を紹介し、左右を超える思想や交流などをお話ししました。

シネマトーク(右側が宮島さん)

第25回安倍・プーチン日ロ首脳会談開催される─歴史と国際法に根拠をもった原則的な領土交渉を─

日ロ首脳会談開催される

 ロシアを訪問中の安倍総理は22日、モスクワにてプーチン大統領と首脳会談を行った。安倍総理とプーチン大統領の首脳会談は、今回で25回目となる。

共同記者発表を行う日ロ首脳(AFPBB News 2019.1.23)

 首脳会談は3時間におよび、両首脳は平和条約締結に向けた交渉の本格化と、その一環として両国の貿易額を現在の1.5倍、300億ドルに引き上げることなどで一致した。会談後の日ロ共同記者発表では、プーチン大統領は「双方が受け入れ可能な解決策を見いだすための条件を形成するため、今後も長く綿密な作業が必要だと強調したい」と述べ、安倍総理は「交渉をさらに前進させるよう指示した」などと述べた。

進展のなかった首脳会談

 今回の首脳会談を一言で総括するならば、「目立った進展はなかった」といわざるをえない。

 ロシア・ラブロフ外相はここのところ「北方領土という呼称をあらためよ」、「第二次世界大戦の結果として北方領土がロシア領となったことを認めよ」など、日本の北方領土問題に関する主張を真っ向から否定する発言をしていた。首脳会談が始まる前から「ハードル」を思い切り上げられていた。

 今回、プーチン大統領からそこまで直截な発言はなかったが、かといって北方領土問題に関する目新しい発言もなく、共同記者発表も「平和条約を締結させよう」というこれまでの発言を超えるものではなかった。上げられたハードルが下がったことにより、何か進展があったかのように思いがちだが、結局は「何もなかった」ということである。

 安倍総理は北方四島の返還要求を取り下げ、色丹島・歯舞諸島の二島返還で事実上決着をつける意向と見られているが、こうしたプーチン大統領の発言を見ていると、平和条約の締結などありえるのか疑わしい。万一平和条約が締結され二島が「返還」されたとしても、ロシアの主権を認めるような、「返還」とはいえない「返還」になるのではないだろうか。

 そもそも二島返還で決着するというのならば、これまでの四島返還要求は一体何だったのか。プーチン大統領のいう日ソ共同宣言に基づく決着であれば、63年前の昭和31年(1956)において既に解決していた話である。

 もちろん二島返還で平和条約が締結されれば、国後島・択捉島はじめ他の不法占拠された北方領土の返還は望めない。それでいいのだろうか。

功に焦った自称「外交の安倍」

 自称「外交の安倍」こと安倍総理は、これまで特になかった外交的成果を得たいがため、功を焦ってロシアの主張に安易に乗ってしまった。そこにこそシンガポールで開催された第23回安倍・プーチン日ロ首脳会談以降の北方領土交渉の失敗の本質がある。このままでは、ただ北方領土を切り売りするだけで終わってしまう。

 私たちは地理的・歴史的・国際法的に見て、領土返還要求は北海道の一部である色丹島・歯舞諸島の二島返還か、千島列島全島返還(および南樺太)かのいずれしかありえず、そもそも日本側の四島返還論が無理筋であり、その意味でロシアの反発は無理もないものと考える。その点において四島返還要求を取り下げることはありえるだろう。また一般論としても、交渉が難航した場合、これまでの方針を見直して新たなアプローチを模索することは間違ってはいない。

 しかし、そうであればこれまでの四島返還論という既存の外交方針は妥当であったのか総括する必要がある。そして事実上四島返還を諦めながら、国内的にはあくまで四島返還を要求し続けるといった「ペテン」は許容できない。

 安倍総理は今日まで25回もプーチン大統領と首脳会談を重ね、ウラジミールなどと呼び、多額の経済的援助をしてきたが、それは全く無駄であり、領土交渉にはつながらないことが証明された。

 もちろん日ロ首脳同士が親密であることを否定するわけではない。日ロの平和と友好は大事であり、経済協力も重要だ。特に北方地域に責任を持つ国家として、先住民族や北方領土元島民の権利擁護や支援、水産資源の維持や環境保護などは両国が協力し積極的にやっていくべきである。

 けれども領土交渉は領土交渉である。あくまで歴史と国際法に根拠をもった原則的な領土交渉こそ、ロシアの不当性を明瞭にするのであり、そこにおいて交渉が成立するのである。

 安倍総理はこれまでの対ロ外交を根本的に見直す必要がある。