花瑛塾第9次沖縄派遣団 辺戸岬周遊

沖縄本島最北端・辺戸岬にて「祖国復帰闘争碑」を見学しました。

この碑は76年に沖縄県祖国復帰協議会により建立されたものであり、いわゆる72年沖縄復帰とともに固定化した在沖米軍基地という問題について問うものです。

碑文には「全国のそして全世界の友人へ贈る」と題してあり、沖縄における「復帰」「平和」への複雑かつ壮絶な想いを、まさに全国と全世界の友人に読んで欲しいと思いました。

同時に、辺戸岬は奄美諸島との境界でもあり、52年まで米軍施政下にあった奄美諸島の歴史もまた振り返る必要があると思いました。

道中、ヤンバルクイナに遭遇し、やんばるの森の豊かな自然を感じました。

花瑛塾第9次沖縄派遣団 北部訓練場工事再開抗議

7月1日、北部訓練場着陸帯および歩行訓練ルートや進入路などの関連施設の工事再開を迎え、早朝にN1表ゲートの状況を確認し、メインゲート前にて抗議行動を展開しました。

ノグチゲラなど希少生物の営巣のため音の鳴る工事が休工となっていた北部訓練場での着陸帯建設工事ですが、工事再開の1日を前に、N1表ゲートに機動隊が集結し、パイロンが設置されているという情報が飛び交い、実際に1日には工事車両が出入りし、機動隊が抗議の市民を排除するなど騒然となりました。

1日以降の主な工事は、転圧不足により水がしみ出し、のり面が崩落したといわれる着陸帯や、安波訓練場の返還により米軍に提供された宇嘉川河口とG地区着陸帯を結ぶ歩行訓練ルート、およびH地区着陸帯とG地区着陸帯を結ぶ進入路の工事と思われます。政府は昨年12月、着陸帯および関連施設工事は竣工したと公表しましたが、実際は杜撰な突貫工事であり、米軍自身が使用できる状況にないと表明するなど、各所で補修が必要となっています。

なかでも注目したいのは、G地区着陸帯と宇嘉川河口を結ぶ歩行訓練ルートの工事です。過去に公表された米軍資料や真喜志好一氏などの指摘に明らかな通り、歩行訓練ルートが設置されることにより、オスプレイで宇嘉川河口へ上陸しG地区着陸帯を目指す、または逆にオスプレイでG地区着陸帯に降り立ち歩行訓練ルートで宇嘉川河口へ向かい舟艇で脱出するといった陸海空一体の訓練が可能となります。政府は着陸帯建設により基地負担が軽減されるといいますが、実際は基地機能の強化であり、基地負担のさらなる押し付けといわざるをえません。

K9・K1護岸など埋立工事が進む辺野古新基地には、オスプレイの配備が計画されています。辺野古に駐機するオスプレイが飛び立ち、北部訓練場で陸海空一体の戦闘訓練が行われることを意味し、辺野古と高江は一対の問題であるといえます。

辺野古新基地建設はもちろん、北部訓練場着陸帯および関連施設の工事再開は絶対に許されません。

平成29年6月30日 法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」第12講

法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」第12講「琉球古典音楽の特性」(講師:ロビン・トンプソン氏)を受講しました。

「かぎやで風節」「仲風節」「伊野波節」を対象に工工四といわれる楽典や多くの琉球古典音楽に共通する歌持ちといわれる前奏のようなもの、絃声一如といった西洋音楽には見られない琉球古典音楽の特性について、講師の実演や演舞の映像を交えて拝聴しました。

琉球の三線は大陸の三弦をルーツとし、三線が本土に伝わり三味線になったといわれており、その独自性とともに東アジア全体の音楽文化という共通性も視野に入れる必要性があると思いました。

平成29年6月29日 人文研アカデミー2017 『人種神話を解体する―「血」の政治学を越えて』出版記念 連続セミナー@東京

人文研アカデミー2017 『人種神話を解体する―「血」の政治学を越えて』出版記念 連続セミナー@東京(主催:京都大学人文科学研究所、科学研究費基盤研究(S)「人種のプロセスとメカニズムに関する複合的研究」)に参加しました。

このセミナーは、川島浩平 竹沢泰子編『人種神話を解体する 3 「血」の政治学を越えて』 (東京大学出版会、 2016年)  の出版を記念する連続セミナーの一つで、既に『人種神話を解体する 1 可視性と不可視性のはざまで』、『人種神話を解体する 2 科学と社会の知』が刊行されています。

セミナーでは人種神話を解体する 3 「血」の政治学を越えて』 第2章「1930年代の映画が描いた「混血児」とその「母」」を執筆した高美哿氏(法政大学)、および第4章「人種化される欲望―「沖縄」をめぐる映画的想像力の一考察」を執筆した菅野優香氏(同志社大学)が講師として、それぞれ講演されました。

高美哿氏より昭和初期の日本映画「港の日本娘」「からゆきさん」における「混血児」の表象について、菅野優香氏より三池崇史監督映画「BLUES HARP」に描かれる人種やセクシュアリティと沖縄について伺いました。

花瑛塾第9次沖縄派遣団 北部訓練場工事再開抗議・今帰仁城址見学

花瑛塾第9次沖縄派遣団は28日午前、沖縄県国頭村・東村に位置する北部訓練場(キャンプ・ゴンザルベルス、ジャングル戦闘訓練センター)メインゲート前にて、同訓練場の基地機能を強化するヘリパッド建設とオスプレイ離発着訓練の固定化へ抗議しました。

政府は昨年12月にヘリパッド建設が竣工したと強弁し、北部訓練場の過半が返還され、基地負担が軽減したといいますが、杜撰な突貫工事により赤土流出など被害が出ており、ヘリパッドののり面の崩落なども起きています。

現在は希少生物の営巣期間であり、音の鳴る工事など大規模工事は休工となっていますが、7月1日より工事再開が予定されています。

28日午後、古琉球三山の一つ北山の今帰仁城址(沖縄県今帰仁村)を見学しました。遺構は石垣のみですが、2箇所に御嶽があり今でもノロが祈願に参るそうです。水利の悪さからノロが雨水を用い祭祀をした場所もあり、今帰仁・運天港・伊平屋伊是名という琉球の神話伝承とノロ祭祀の地域性について考えさせられました。

OKINAWA写真史プロジェクト

沖縄派遣団は24日、那覇市のFoto Space Reagoにて「OKINAWA写真史プロジェクト」の第1回目を拝聴しました。

大琉球写真帳編集委員会編『大琉球写真帖』(大琉球写真帖刊行委員会、1990年)は、写真家・石川真生氏などが呼びかけ、明治時代から昭和末年までの沖縄の一般家庭に眠る個人所有の写真をまとめた写真集であり、この制作・出版秘話を伺いました。

同書は沖縄の歴史、特に個人が記録する歴史を、「集合的記憶」としたものであり、価値は大きいものがあると思います。

なお、『大琉球写真帖』は那覇市歴史博物館にも図書資料として所蔵されていますので、そちらでもご覧になることができます。

那覇市歴史博物館

平成29年6月24日 沖縄とともに―慰霊の日(六月二三日)を迎えて―

弁護士会館にて開催された「沖縄とともに―慰霊の日(六月二三日)を迎えて―」(主催:東京弁護士会人権擁護委員会沖縄問題対策部会)に参加しました。

開会に先立ち、都立調布南高校同窓会伝統芸能同好会「神和海(みなみ)」の皆様による演舞(エイサー踊り)が行われました。

その後、シンポジウムとなり、第1部として「対馬丸から今を見る 遺族の思い」と題し、外間邦子氏(公益財団法人対馬丸記念会常務理事)の講演を拝聴しました。

第2部では「辺野古の今―辺野古新基地建設の法律問題と今後の課題」と題し、武田真一郎氏(成蹊法科大学院教授)の講演を拝聴しました。

平成29年6月24日 神仏奉拝(松戸神社)

松戸神社(千葉県松戸市)を参拝しました。

同社の主祭神は日本武尊(倭建命)です。

松戸の地は、日本武尊が東伐の折にこの地で軍勢を「待った」ことから、「待つさと」といわれたのが地名の由来とされています。

『古事記』歌謡33番に「愛しけやし吾家の方よ雲居起ち来も」との日本武尊の歌があります。日本武尊が薨去される直前、故郷の大和の地を遥かに望み、謳われた歌です。

故郷・故国を愛おしむ歌であり、ある意味では最古の愛郷・愛国の歌ともいえます。

2006年に、三笠宮崇仁親王が参拝され、境内の社務所前に高野槇をお手植えされたそうで、現在も美しく咲いています。

6月23日沖縄「慰霊の日」

花瑛塾第9次沖縄派遣団は23日午前、沖縄戦の組織的戦闘が終結した「慰霊の日」のこの日、ひめゆりの塔に献花後、ひめゆり平和祈念公園資料館を見学しました。

資料館ではひめゆり学徒隊の動員以降の経緯などが詳しく解説されています。爆撃などにより命を失ったことを思いながら眦を決して防災訓練に臨むひめゆり学徒隊など少女たちの写真を見ると、戦場における生命の軽さに涙が止まりませんでした。

23日午後は、荒崎海岸にある「ひめゆり学徒隊散華の跡」へ献花しました。自決用手榴弾の跡なのか火炎放射や艦砲射撃の跡なのか、往時の痕跡を感じながら彼女たちの壮絶な状況や最期に思いを巡らすと、胸に迫るものがありました。その後、魂魄の塔および摩文仁の全戦没者追悼式会場にて黙祷しました。

なお、1945年6月23日は沖縄防衛の任に就く日本軍第32軍司令官・牛島満および参謀長・長勇が摩文仁の司令部壕で自決した日であり、沖縄戦はこの日以降も続きます。沖縄での正式降伏は同年9月7日であり、日本政府の降伏調印式が行われた9月2日より遅いという事実はあまり知られていません。

さらに、沖縄戦中から米軍は日本軍兵士や住民を収容所に隔離しており、解放されるまではかなりの時間を有しました。

こうしたところからも、沖縄戦の「終結」の意味は問われなければなりません。