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令和元年5月15日 五・一五事件87年 犬養毅・頭山満墓参

 五・一五事件より87年の今日、事件実行犯の三上卓らに殺害された木堂犬養毅元首相の墓所(青山霊園)、ならびに頭山満の墓所(同)をお参りしました。

 もともと五・一五事件は血盟団事件の延長線上にあるといわれます。実際に、血盟団は昭和7年に「革命実行案」を立案し蜂起を企図し、これが失敗すると犬養木堂らの名を暗殺リストに載せ、「一人一殺」のテロを実行します。結局、血盟団は犬養木堂を暗殺することはできませんでしたが、これを海軍士官グループが継承し実行したのが五・一五事件と見ることができます。

 たしかに犬養木堂は冷徹なリアリストであり、徹底した「帝国」の宰相でしたが、一方で中国革命を支援し、孫文の日本亡命の最大の支援者となるなど、中国人革命家と結ぶ豪傑肌の亜細亜主義者でもありました。また犬養木堂は頭山満と結びつきがありましたが、頭山もまた外国人革命家と結び、時に売国者の汚名を被ることすら辞さず、「これは」と思う人物であれば誰とでも結ぶ豪傑でした。

 日本型右翼の源流が西郷隆盛そして頭山満のような「名も要らぬ」浪人の道にあるとするならば、五・一五事件を実行した三上らはもちろん、殺害された犬養木堂も立派な右翼人であり、この事件がいかに込み入った性格を持つか理解できると思います。

犬養木堂の墓
頭山満の墓