中国政府による香港への国家安全法制導入に抗議する─「港人治港」「一国二制度」の大原則を守れ─

中国政府による国家安全法制の導入

 中国で開催されていた全国人民代表大会(全人代)は最終日の28日、香港での反中国的な動きを取り締まる国家安全法制を導入する方針を採択した。

28日閉幕した中国全人代

 香港では昨年、逃亡犯条例改正に対する反対運動(反送中運動)が爆発的な盛り上がりを見せたが、この問題はあくまでも香港政府が香港立法会で条例改正を目指したものである。しかし、このたびの国家安全法制の導入は、中国政府が香港の治安関係法令を直接制定し適用するものであり、香港の高度な自治を認める「一国二制度」を根底から覆すものだ。

 そもそも香港では、いわば香港の憲法である香港基本法のもと、中国の法令が適用されないが、香港基本法では外交や軍事、領事などに関しては例外的に中国の法律の適用を認めている。中国政府は、国家安全法制をそうした香港基本法における例外の一部として香港に適用するというのである。

 ここで香港に適用される国家安全法制の中身は、これから中国政府が具体的な法令として制定することになっているが、外国の政治団体が香港で活動することを禁じたり、中国政府はもちろん、香港政府への抗議そのものを規制する内容になっていくのではないかともいわれている。また中国の治安機関が香港で直接活動することも可能になるといわれ、制度上や手続き上だけでなく、香港の自治と民主主義を実態的にも中国政府が取り締まることが懸念されている。

「国家百年の計」─葦津珍彦が論じた香港返還

 戦後神社界を代表する言論人である葦津珍彦は昭和58年、「香港の将来─東洋解放のゴール サッチャー対鄧小平の見識」との記事を執筆している。そこで葦津は、当時の英国の首相サッチャーが鄧小平に香港返還を約したこと、そして鄧小平が香港返還後50年の現状維持(香港の高度な自治、一国二制度)を方針としたことについて高く評価している。

市民に襲いかかる香港警察

 サッチャーはこのころフォークランド紛争に勝利し、自信を深めていた。一方、鄧小平も非常に強硬な態度で英国に対し香港返還を求めていた。実際、鄧小平はやろうと思えば軍を派遣し、香港を実力で回収することなど容易であった。さらに香港を実力回収すれば、鄧小平は「解放の英雄」として歴史にその名を刻むことにもなっただろう。

 しかし鄧小平が香港を実力で回収すれば、英国も黙ってはいない。場合によっては英軍が軍事行動を展開することもありえるし、香港を破壊し、焦土にすることも考えられる。

 サッチャーと鄧小平。互いに国家を領導する宰相は、最終的にはそうした方途をとらず、サッチャーはフォークランド紛争で勝ち取った栄光を背景としつつ香港を平和的に返還することでむしろ国家の威厳を確保し、鄧小平は短兵急な実力回収を避け、名声を選ばず香港を平和的に手中にする利を得た。葦津は香港返還問題をめぐる両宰相の対応について、国家百年の計を見定めたステーツマンと最大の評価をしている。

鄧小平とサッチャー

 ひるがえって今日の中国政府、習近平指導部の香港政策はどうだろうか。まさにこのたびの国家安全法制の導入などは、香港の高度な自治を否定し、一国二制度を覆し、あたかも香港を実力で回収するかのごとき政策ではないか。

 習近平は香港を実力で回収し、葦津のいうように鄧小平が手にしなかった「解放の英雄」の名声を得るかもしれないが、世界は中国政府の対応を非難し、政治的にも経済的にもあらゆる面で香港そして中国との関わりを見直そうとするだろう。

 現在の中国政府の香港政策は、香港のためにもならず、中国のためにもならず、世界にとっても好ましいものではない。「国家百年の計」を見失った誤った政策だ。中国政府は香港の「港人治港」「一国二制度」の大原則を守るべきである。

日本政府は最大級の抗議を

 こうした香港の情勢について、日本政府は中国政府に対し、抗議らしい抗議をおこなっていない。安倍首相は新型コロナウイルス感染症の対策にあたっても、最後まで習近平来日にこだわり、それにより感染症対策を怠り、初動対応に失敗した。日中の友好そのものは大変結構であるが、安倍首相の日中外交も国家百年の計に基づくものでなく、自身の名声のために習近平との親密さをアピールするだけのものである。

 葦津は上述の香港返還に関する記事において、

 「国家百年の計」、次の世紀のための長期遠大の方針を立てること、それがただのその場限りの時務的なポリティシャアン的思考ではなくして、真のステーツマン的見識によって確立されて行かなくてはならない。

 国際ニュースを見ていると、中国や英国の交渉には、なお「国家百年の計」を見定めようとするステーツマン風の構想が見える。だが日本の政治や外交には、ポリティシャン的な進退のみが目について、遠謀深慮のステーツマンの英風が片影も見えない。

と当時の英国と香港の外交に比して日本政治・日本外交を批判している。この葦津の批判は、まさに現在の安倍首相の対中外交にも当てはまるのではないだろうか。

 真に中国を思い、友好を望むのであれば、その香港政策の誤りを正し、国家百年の見地から、香港市民の声と民主主義を侮ってはならないと忠告するべきである。日本政府は中国政府による香港への国家安全法制導入に最大級の抗議をし、また世界に向けてこの問題を訴えていかなければならない。

アジアの平和と友好の見地から

 日本は過去の戦争で香港を占領し、軍政を敷いた。英国支配からの解放といっても、日本もまた香港の自治を奪った歴史がある。香港をめぐる中国への抗議は、ただの反中国の政治闘争ではなく、過去の反省とアジアの平和と友好の見地に立った上のものでなければならない。それもまた国家百年の計である。

香港に入城する日本軍

 戦前の日本には、中国最初の政党「中国革命同盟会」の結成に関わり、孫文や宋教仁を支援するなど、中国革命に身を捧げた宮崎滔天など「大陸浪人(シナ浪人)」といわれる一群の人々がいた。大陸浪人の系譜は戦前の右翼の系譜とも重なり合うが、一方で大陸浪人のなかには国威伸張のため国家の手先として大陸を跳梁跋扈した人物もいる。

 滔天はそうした大陸浪人を「国家的浪人」とか「シナ占領主義者」と批判し、自身の立場を「一言にして吾徒の宗旨を告白すれば、人類同胞主義也。寓邦平和主義也」と述べている。

 その上で滔天は、当時の日本外交が列強に気がねをし革命派を援助しないのならば、「僭越ながら吾等のような連鎖も必要」と述べ、日中両国を結ぶのは民間の志士しかないとしている。花瑛塾も「僭越ながら」ではあるが、日本政府が何かに気がねをし誤った対応をとっているのならばそれを強く批判し、アジアの市民と「連鎖」して「萬邦平和」のために尽くしていきたい。

【松井市長は何を思うか】市民の声と野党の追及が実現した検察庁法改正の見送り─次回国会へ継続審議へ─

 国家公務員法改正と検察庁法改正について、政府・与党が今国会での改正を見送った。与野党国対間では次回国会への継続審議で一致したそうだ。

 検察庁法改正の問題についてはこれまで何度も取り上げてきたことであり、ここであらためて繰り返さないが、かかる問題の多い検察庁法改正が見送られたことは、継続審議でいいのかどうか議論は様々あるとしても、ひとまず了としたい。

 新型コロナウイルス感染症の蔓延にともない、国全体として早急に様々な対策をとる必要に迫られているなか、今どうしても検察庁法改正をやらねばならないのかとの批判が高まっていた。

 こうした批判に対し、安倍首相は「地方自治体での条例成立などの観点から、今国会で改正しなければならない」と説明していたが、結局はこのたびの見送りにより、不要不急の改正案だったということを政府・与党みずから暴露した。

 他方、検察官も含む国家公務員の定年引き上げそのものは野党も認めており、国民的なコンセンサスも得られている。批判は検察官の定年に関する勤務年長などの内閣の特例措置であり、国家公務員法改正と検察庁法改正を一括して見送ったのは不可解極まりない。定年引き上げは必要なのだと強調してきたこれまでの政府答弁や、それに対し理解を示してきた野党、そして国民的の声に対し、大変不誠実といわざるをえない。

 また、そもそもの発端ともいえる今年一月末に閣議決定された東京高検黒川検事長の勤務延長の違法性は解消されておらず、検察庁法改正を見送るだけで済む問題ではないことはしっかりと確認したい。

 政府・与党は黒川検事長の違法な勤務延長を取り消すとともに、特例措置により検察官人事への内閣の恣意的な介入を許す検察庁法改正案を廃案とし、国家公務員法の改正とは切り離した上で、野党の対案なども検討・研究しつつ、あらためて上程するべきだ。

 このたびの検察庁法改正については、多くの市民が反対の声をあげたり、疑問を示した。その一方で、日本維新の会と大阪維新の会の代表である大阪市松井一郎市長は、SNS上で「自公は圧倒的な議席を持っている。政局ごっこしても成立するのならば、付帯決議によって権力を牽制するのが少数野党の役割」などと述べた。

 こうした権力への屈服と現状追認のどこが「維新」なのかはなはだ疑問であるが、それはともかくとしても、圧倒的な議席を有する与党と民意を無視し悪政を敷いてきた政府を、市民の声が動かしたのである。市民が松井市長とは逆に権力に屈服せず、現状を追認しなかったからこそ事態は動いたのだ。松井市長は今、何を思っているのだろうか。この動きをどう言い訳するのだろうか。全く情けなく、つまらない男といわざるをえない。

 官僚人事を掌握し、政権におもねる官僚を重用することが安倍政権の求心力の源泉であったが、今回の見送りにより安倍政権の官僚統治の歯車は狂った。政権崩壊の序曲といっても過言ではなかろう。

 黒川検事長の違法な勤務延長と検察庁法改正に関する検察OBの意見書の一節には、「法が終わるところ、暴政が始まる」とのジョン・ロックの言葉がひかれていたが、まさに安倍政権は法を終わらせ、民主主義を停止させ、暴政をほしいままにしてきた。

 しかし「桜を見る会」の問題一つとっても、国会議員が国会で追及し、マスコミがメディアで追及し、市民が街頭で追及すれば、安倍首相の目は途端に泳ぎ始める。安倍政権を攻略する道は、ここにあるのだ。

 占領からの独立間も無く、法相による指揮権が発動された造船疑獄における検察の捜査について、戦後神社界を代表する言論人である葦津珍彦は、次のように述べている。

 現状より判断すれば、われわれは司法検察当局の勇断を切に望まざるを得ないけれども、政党の腐敗が国民自らの政治勢力によつて粛清されないで、この粛清が、主として検察司法官僚に依存せねばならぬと云ふ事は、最も深く考ふべきところではあるまいか。──神社新報、昭和29年3月1日

 河井克行・案里夫妻の疑惑なども含め、検察の捜査に期待する向きもあるが、検察はけして正義のヒーローではなく、検察もまた強大な捜査権限を持つ捜査機関・公権力であり、市民がしっかりとチェックをしなければならない。

 大事なことは、葦津のいうように、何よりもまず国民の声を聞くしっかりとした政治が行われるべきだということであり、それは法を終わらせることなく、民主主義を生かしていくということである。

 法を終わらせず、民主主義を生かすことにより安倍政権を倒し、全ての人々が豊かである国にしていきたい。

令和2年5月15日 五・一五事件88年 犬養毅・頭山満墓参

 五・一五事件より88年を迎え、事件実行犯の海軍青年将校三上卓らによって殺害された「木堂」犬養毅元首相の墓所(青山霊園)をお参りしました。

犬養元首相の墓所

 事件で殺害された犬養元首相は、冷徹なリアリストであり、徹底した「帝国」の宰相でしたが、一方で中国革命を支援し、孫文の日本亡命の最大の支援者となるなど、中国人革命家と結ぶ豪傑肌の亜細亜主義者でもありました。犬養元首相を殺害した青年将校も犬養元首相を畏敬しており、犬養元首相への個人的な怨みは全くなかったと述べています。三上は戦後、犬養元首相の御霊も含め、事件関係者の慰霊祭をおこなうこともありました。

 それではなぜ犬養元首相が殺害されたかというと、国家改造を訴える青年将校にとって、犬養元首相は権力の象徴であり、そのために殺害されたといわれています。すなわち海軍青年将校らにとって、軍に圧迫を加える政党政治と、それを支える特権階級を打倒することこそ国家改造であり、その象徴として時の首相つまり犬養元首相が狙われたと指摘されています。

 他方、政党政治の終焉は、五・一五事件によって直接的に打倒されたというよりも、事件がある種の引き金となり、政党、元老、軍部、そして天皇など、様々な思惑が入り乱れるなかで、「憲政の常道」が破綻し、各方面による挙国一致・非政党内閣としての斉藤実内閣が誕生していったといわれています。

 事件により軍部が台頭し、戦争へと突き進んでいったと一言でまとめられるほど事件は単純なものではなく、また犬養元首相と青年将校らの関係も敵と味方とざっくりくくれるほど単純なものではなく、歴史の事実を学んでいく必要があるのではないでしょうか。

令和2年5月13日 コロナで大変な時に安倍は保身だけか! 黒川検事長の違法な勤務延長と検察庁法の改正案に抗議しました

 国家公務員法の改正案と検察庁法の改正案が国会で審議入りしました。私たちは自民党本部前ならびに国会前にて、東京高検黒川検事長の違法な勤務延長と、これを後付けで正当化し、さらに検察官人事への恣意的な介入の道をひらく安倍政権による検察庁法の改正の動きに抗議しました。

 黒川検事長は本年2月、63歳の誕生日を迎え、検察庁法の規定に従い、定年退職となる予定でした。ところが、安倍政権は、黒川検事長の誕生日の直前の本年1月末、国家公務員法に定められた勤務延長に関する規定を適用し、勤務延長させることを閣議決定しました。

 本来であれば本年7月、現在の稲田検事総長が慣例に従って勇退し、名古屋高検林検事長が後任の検事総長に就任する予定となっていましたが、黒川検事長の勤務延長により、黒川検事長が検事総長に就任する可能性が出てきました。

 黒川検事長を勤務延長させる根拠となった国家公務員法の規定では、離島やへき地などで後任者がなかなか見つからない場合や、余人をもって代え難い名人芸的な技術を有する職員など、その職にあるものが定年退職すると業務に著しい支障がある場合に限り、特例的に勤務延長を認めることになっています。

自民党本部前にて

 しかし言うまでもなく東京高検検事長職は離島やへき地の職ではありません。そうすると黒川検事長には余人をもって代え難い名人芸的な技術があるということになりますが、はたしてどのような名人芸的な技術があるというのでしょうか。甘利明の贈収賄疑惑や小渕優子の政治資金規正法違反事件、森友事件など、これまでの安倍政権下での数々の政治犯罪を見逃してきたといわれる黒川検事長ですが、まさか「官邸の番犬」「政権の守護神」として安倍総理にすりよる名人芸的な技術があるとでもいうのでしょうか。

 そもそも検察官の定年は検察庁法に定められたものであり、国家公務員法の勤務延長に関する規定を用いて検察官を勤務延長させることには問題があるといわねばなりません。事実、これまでの政府見解は、国家公務員法の定年などに関する規定は、検察官には適用されないというものでした。

 なぜならば、検察官は一般職の国家公務員といっても、犯罪被疑者の起訴や不起訴、裁判、捜査、逮捕といった権限を持つ職であり、準司法官として極めて高度な独立性が求められているからです。

 まさに黒川検事長の勤務延長は、違法な勤務延長という他なく、そうした黒川検事長の違法な勤務延長に端を発し、それを後付けで正当化し、さらに今後の検察官の人事をわが物としようとするのが、このたび審議入りした検察庁法の改正案です。

国会前にて

 検察庁法の改正案では、検察官の定年を63歳から65歳に引き上げるとともに、一定の年齢になったら検事長などの役職につくことができず、また現任の役職からはずれなければならないという役職定年の制度などが設けられます。一方で法務大臣や内閣の定めにより、定年を迎えても勤務延長が認められ、役職定年を迎えても引き続き現認の役職に留任できる特例が認められることになっています。

 私たちは、こうした定年の引き上げやそれにともなう役職定年制度の導入そのものを問題視しているわけではありません。重要なのは、検察官の定年や役職定年に関し、法務大臣や内閣が認めれば、定年が延長され役職定年も適用されないというような特例が存在している法制度だということです。つまり法務大臣や総理大臣に気に入られた検察官は、定年を迎えても退職することなく引き続き勤務ができ、また役職定年を迎えても役職に留任することになります。逆をいえば法務大臣や総理大臣に気に入られなかった検察官は、定年や役職定年により検察を去り、また役職をはずされるということになります。

 こうした特例を認める検察庁法改正案は、まさしく準司法官たる検察官の人事に対し、時の内閣、政権の恣意的な介入を許す法制度であり、認めることはできません。

 法案審議のあり方にも問題があります。黒川検事長の違法な勤務延長について追及された森まさこ法務大臣の失言などが取りざたされたためか、安倍政権は検察庁法と国家公務員法の改正を一括し、内閣委員会で審議することにしました。これにより法務大臣が審議に出席せず、質疑もしないまま検察庁法が改正される可能性があります。

黒川検事長(右)と林検事長(左)

 現在、私たちの国は新型コロナウイルス感染症が蔓延し、政府は緊急事態宣言を発出するなど、大変な時にあります。市民には不要不急の外出はするなと自粛を求め、企業や個人事業主にはそれによる経済的損失を強要しながら、安倍総理は自分の保身のためにお気に入りの検察官を検事総長に就任させ、さらには今後の検察人事に介入する不要不急の法案成立を目指しています。

 アベノマスクはいつ国民に届くのでしょうか(別にいりませんが…)。特別定額給付金の給付はいつ実施されるのでしょうか。中小企業や個人事業主が大変な思いをしているなかで、それらを支援するための持続化給付金の給付はどうなっているのでしょうか。はたして安倍総理は今、検察庁法改正に熱をあげている場合なのでしょうか。「コロナで大変な時にお前は自分の保身しか考えていないのか!」─これこそが多くの人が抱いている感情であるはずです。

 私たちは検察庁法の改正に強く反対の声をあげていきます。

令和2年4月21日 新型コロナウイルス感染症の拡大を奇貨とした憲法改正や国家公務員・検察官定年延長(検察庁法改正)など自民党の火事場泥棒のような動きを糾弾しました

 新型コロナウイルス感染症が拡大するなか、現在、医療関係者はもちろんのこと、多くの当事者が様々な立場から感染症対策に取り組み、また事態収拾と社会活動の維持のため奔走しています。市民も生活や経済活動に影響をうけながらも、政府や自治体による自粛要請に従っています。

自民党本部前にて social distance を保ちながら街宣しました

 一方、自民党・安倍政権は、こうした新型コロナウイルス感染症の拡大をあたかも奇貨とするごとく、緊急事態条項を盛り込む憲法改正議論を進めようとしたり、東京高検黒川検事長の定年延長に端を発する国家公務員や検察官の定年延長させる法案を審議入りさせるなど、緊急事態宣言発出下にあって火事場泥棒のような政策を進めようとしています。

 政府は過日、新型コロナウイルス感染症の拡大と、これにともなう休業などにより、収入が減少した世帯に30万円の給付を決めましたが、自民党は公明党と歩調を合わせ、政府に一律10万円給付を迫り、これを強引に認めさせました。一律給付そのものはとるべき対策の一つとしてありえるものですが、いま大事なのは、感染症対策の観点から市民の活動を事実上制限していることについての補償であり、防疫とワンセットの市民への補償であり、中小零細企業や個人商店への休業補償の実施に他なりません。

 こうした重要な対策は一切行うことなく、火事場泥棒のような憲法改正議論や検察官定年延長を含む国家公務員法の改正などあってはならず、自民党本部前で今やるべきことは何なのか訴えました。

 その後、アメリカ大使館前で、先日の普天間飛行場から発がん性が指摘されている有害物質PFOSを含む泡消火剤が流出した事件について、在沖米軍の無法や横暴と日米地位協定の問題を訴えました。

令和2年4月6日 阿波丸事件慰霊碑(増上寺)

 芝の増上寺の境内に建つ阿波丸事件慰霊碑を訪れ、犠牲者を慰霊・追悼しました。

阿波丸事件慰霊碑

 阿波丸事件とは、先の大戦中の昭和20年4月1日、シンガポールから日本に向けて航行していた貨客船「阿波丸」が台湾海峡で米軍潜水艦による攻撃で撃沈され、2千人以上の乗船者が死亡した事件です。米軍潜水艦により学童疎開船「対馬丸」が撃沈された対馬丸事件ほど知られてはいませんが、大変痛ましい事件といわねばなりません。

 一方、阿波丸事件は痛ましい事件というばかりか、深刻な国際法上の問題のある事件でした。すなわち阿波丸は戦時下にあって、日米が捕虜や拘束された民間人のための物資を運搬するための船舶であり、阿波丸の安全航行は日米が協定し保障されていました。

 しかし昭和20年4月0日、台湾海峡付近を航行中、阿波丸は米軍潜水艦により撃沈され、乗船者ほぼ全員が亡くなったのです。

 日本側は事件直後より、戦時国際法違反として米側に抗議し、米側も責任を認め、終戦後に賠償などを実施する意思を示しました。そして終戦となりますが、マッカーサーが賠償について難色を示し、結局米国が占領中、日本に対し多大な支援、援助をしたことへの「感謝」として、日本側が賠償請求権を放棄することが国会で決議されました。

増上寺

 この決議は民自党と民主党が共同して発議されたものでしたが、共産党や社会党などは反対し、大きな論戦となりました。

 阿波丸事件は結局、日本側が犠牲者へ見舞金を支払い、船主の日本郵船にも損害を補填し決着しました。米国の戦時国際法違反の追及は当然必要ですが、そればかりか阿波丸事件について日本側が賠償請求権を放棄しつつ、他方で日本側が戦争被害者に見舞金を支払い、損害を補填した実例からは、現在、日本政府がサンフランシスコ条約で日本側が請求権を放棄したことを理由に補償、賠償をしようとしない東京大空襲などの被害者やその遺族への見舞金、損害補填などの道にもつながってくることにもなります。

 阿波丸事件の犠牲者を悼み、その死を無駄にしないように、今なお終わらない戦時賠償について考えていく必要があります。

令和2年3月15日、16日 花瑛塾第24次沖縄派遣団②(沖縄戦関連史跡見学など)

 花瑛塾第24次沖縄派遣団は15日ならびに16日、沖縄戦時、天皇皇后両陛下の御真影(写真)を避難、安置した名護市大湿帯にある「御真影奉護壕」や、日本軍沖縄守備隊の高射砲部隊の陣地とされた南城市のミーグスク跡、また南城市役所で開催されている『南城市の沖縄戦 資料編』刊行パネル展など、沖縄戦関連の史跡や展示を見学しました。

名護市大湿帯の御真影奉護壕の入口

 戦前、各学校には歴代天皇や昭和天皇・皇后の御真影、あるいは詔勅などが下賜され、奉安殿といわれる特別の施設に安置されていましたが、沖縄戦で空襲や艦砲射撃が激しくなると、御真影などはまとめて沖縄北部へ避難され、学校の校長らが管理していました。さらに戦況が悪化すると、名護市源河の大湿帯の壕に安置されました。

 米軍の上陸と北部への侵攻が進むと、最終的に御真影の奉護が難しくなり、日本軍沖縄守備隊の壊滅の報をうけ、最終的に奉焼されたといわれています。

 大湿帯の御真影奉護壕については、NHKが内部を撮影し当時の状況を解説した動画が公開されています。以下よりご視聴下さい。

戦跡を歩く 沖縄県名護市 御真影奉護壕 (NHK戦争証言アーカイブスより)

 その後、第一尚氏以前の三山時代に沖縄南部の東半分を支配したといわれる島添大里按司の大里城(グスク)跡、そして大里城の城壁の外に設けられた井戸であるチチンガー、大里城の西の端に位置するカニマン御嶽など、南城市の史跡、文化財を見学しました。

大里城跡

 なお大里城も沖縄戦で大きな被害にあったといわれています。

 

令和2年3月14日、15日 花瑛塾第24次沖縄派遣団①(北部訓練場返還地調査)

 花瑛塾第24次沖縄派遣団は14日および15日、沖縄北部の米軍演習場「北部訓練場」の返還地で米軍が廃棄あるいは放置したと見られる多数の廃棄物を確認しました。

放置され続けているライナープレート

 FBJヘリパッド跡周辺では、様々な種類の米軍の銃弾やその一部が発見された他、訓練弾なども発見されました。

 また、先だって発見されたライナープレートといわれる建設資材の鉄板も、以前とかわらず放置されたままでした。

 北部訓練場返還地は、返還にともなって沖縄防衛局が廃棄物や土壌汚染などの支障除去を「いであ」社に依頼し、いであ社が実施したといわれていますが、その後も廃棄物が無数に発見されたため、世界自然遺産登録への推薦もあり、再び支障除去がおこなわれていますが、いまだに銃弾や廃棄物が発見され、ライナープレートはじめ廃棄物が放置されています。

発見された銃弾類

 沖縄防衛局は北部訓練場返還地の支障除去を徹底すべきであり、そうした業務を受託するいであ社は作業を徹底すべきです。

森まさこ法相は「検察官が最初に逃げた」ことがウソだと知っていたはずだ

森法相の「検察官が最初に逃げた」発言

 森まさこ法相は9日の参院予算委員会において、小西ひろゆき議員の質問に対する答弁のなかで、「東日本大震災発生時、検察官が市民に先立って最初に逃げた」、「その際に勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」との趣旨の発言をした。

 この発言について森法相は11日、衆院法務委員会で山尾しおり議員に「それは事実か」と問われ「事実だ」と答えたが、山尾議員に「本当にそうしたことがあったのか」と追求されると、「何が最初かというところもある」、「個人的な見解を述べた」などと答弁がぐらつきはじめ、その日の午後の参院予算委員会において石橋みちひろ議員らの追及にあうと答弁を修正し、撤回した。

 当然、この日の衆院法務委員会や参院予算委員会は審議ストップ、休憩、散会と荒れ模様となり、翌12日、森法相は首相官邸において安倍首相より厳重注意をうけるにいたった。

「検察官が最初に逃げた」は事実なのか

 そもそも森法相のいう「検察官が最初に逃げた」、「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」との発言は客観的な事実に基づくものなのだろうか。

「逃げた」発言について追及される森法相:朝日新聞デジタル版2020.3.11より

 森法相が「検察官が最初に逃げた」と表現する事態は、福島地検いわき支部の避難についてのことのようだ。

 確かに地検いわき支部は震災発生から数日後の16日、地検郡山支部へ移動・移転している。しかし、これは福島地裁いわき支部が甚大な被害をうけたことによる地裁郡山支部への一時移動・移転に伴う処置であり、同地裁からの要請も踏まえたものである。そして24日には地検いわき支部は地検郡山支部からいわきに戻っている。震災直後、誰も避難をしていないなかで何もかも放り出して真っ先に検察官が個人的に安全なところに「逃亡」したというような事態ではない。

 「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」についてはどうだろうか。

 地検いわき支部は震災後の15日、12人の勾留中の者を釈放したといわれている。しかし、それは検察官が逃げるために邪魔だから釈放したのではなく、勾留を続けていても甚大な被害のなかで捜査が続けられず、起訴の見込みも立たないため、刑訴法第208条に基づき釈放したそうだ。なお、釈放は地検いわき支部だけでなく、福島地検本庁や郡山支部でも行われたそうである。

 釈放したことについての批判はあるかもしれないが、少なくとも森法相のいうように「理由なく釈放して逃げた」との表現は当たらないといえる。

森法相は「検察官が最初に逃げた」ことがウソだと知っていたはずだ

 花瑛塾は既にTwitterで12日に指摘したとおり、森法相は震災の年の平成23年(2011)10月27日、当時野党議員として参院法務委員会に出席し、平岡秀夫法相(当時)に次のように発言している。

震災後、いわき市の福島地検いわき支部、それから地裁いわき支部も、ちょっと時を異にしておりますが、十五日、十六日に次々と庁舎を閉めて、十六日には郡山の方に移動してしまったということがあったんです。そして、それに先立ち、地検では勾留をしていた被疑者を全員釈放する、処分しないで釈放するということがあり、その中には女性の家に押し入って手錠をはめて性的犯罪を犯すという、そういう容疑者もおりましたし、釈放されたうちの被疑者がまた再犯を起こしたということも起こりました。

 これに対し平岡法相は

福島地検いわき支部の移転の状況というのは、この支部管内において死者、行方不明者が多数に上り、建物等にも甚大な被害が及ぶとともに、水道などのライフラインも途絶えた状況にあって、さらに余震も相次ぐという状況の中で、このいわき市内の支部庁舎に関係者を呼び出して取調べを行うことが事実上困難になるというようなことで、いわき市内の庁舎での執務遂行が大きな支障が生じるようになったということが大きな避難の原因であったというふうに思います。  
そのような状況の中で、福島地裁の方から地裁のいわき支部の執務場所を変更したい旨の申出を受け、協議をしたようでございますけれども、地裁いわき支部の執務場所の変更に合わせて地検のいわき支部の執務場所を一時的に変更をしたというふうに報告を受けているところでございます。

 と答えている。

 つまり森法相は震災発生の年の10月、地検いわき支部の移動・移転について質問し、当時の法相に「検察官が最初に逃げた、ということではない」旨を指摘されているのである。また、森法相自身の質問も「地裁いわき支部と連動して地検いわき支部が閉庁し、郡山に移動・移転した」との趣旨のものであり、「検察官が最初に逃げた」のではないことは森法相自身が当時から認識していたともいえる。

 森法相は「検察官が最初に逃げた」、「勾留中の者を理由なく釈放して逃げた」ということが、そもそもウソ・デマであることをわかっていながら先日の参院予算委員会で小西議員に対しその旨の発言をしたのではないかと思わざるをえない。

 また、森法相が平成23年の国会質疑でいうように、釈放された勾留中の者のなかに強制わいせつ容疑の被疑者がいたことは当時報道もされたようだが、その被疑者が釈放中に性犯罪を繰り返したのではなく、窃盗容疑の被疑者が釈放中に建造物侵入の疑いで再逮捕されたとのことである。この点も森法相の発言は誤解を招くといわざるをえない。

検察官定年延長の根拠が「検察官が最初に逃げた」?

 そもそも森法相の「検察官が最初に逃げた」発言は、9日の参院予算委員会において、検察官の定年延長を認める解釈変更をする理由としてあげた「社会情勢の変化」の一つの事例の紹介としてなされたものである。

問題の核心にいる定年延長された黒川検事長:文春オンライン2020.3.6

 しかし、それがウソ・デマであるならば、検察官が定年延長すべき「社会情勢の変化」もなかったことになる。検察官定年延長の根拠がないことをみずから暴露する発言であるとともに、あまりにもふざけた発言といわざるをえない。

 同時に、森法相は、黒川検事長を定年延長とする以前から「そもそも検察官の定年延長の検討をしていた」と述べ、その理由として「社会情勢の変化」すなわち「検察官が最初に逃げた」との発言をしたわけであるが、以前から行っていたという検察官の定年延長の検討は、黒川検事長の定年延長にあわせて後付け的に「以前からやっていた、ことにする」というようにつじつま合わせのものではないかと疑われている。

 本当に以前から社会情勢の変化、すなわち「検察官が最初に逃げた」という理由で法務省内で検察官の定年延長の検討をしていたとするならば、さすがに検察官や裁判官出身者が多数の法務省の官僚も「それは事実ではない」と指摘したであろう。検察官の定年延長の議論を以前から行っていたことにしなければならないため、思いつきのその場のウソで「検察官が最初に逃げた」といったからボロが出たのではないのか。

 いずれにせよ森法相は法務大臣に値しない人物である。さらに検察官の定年延長の根拠もなくなった。森法相の更迭、そして黒川検事長の定年延長の撤回、検察官全体の定年延長の議論の慎重さを求めるものである。

【東日本大震災9年】東日本大震災慰霊碑(福島県いわき市豊間地区)

 東日本大震災から9年を迎え、福島県いわき市豊間地区に建つ東日本大震災慰霊碑を訪れ、全ての犠牲者を慰霊・追悼しました。

 東日本大震災では巨大な地震とともに大津波が三陸沖一帯に押し寄せ、各地で多くの人が亡くなり、家屋が流されるなどしました。

 この慰霊碑の建つ福島県いわき市豊間地区でも地震発生後、およそ三階建ての建物に相当する高さ8.5メートルの大津波が襲い、住民85人が犠牲となり約400戸の家屋が流失しました。

 津波が襲ってきた海は、この日は風が強いため波こそ凪とはいえませんでしたが、日差しも暖かく9年前とは全くことなって平穏そのものでした。一方、後ろを振り返ると海岸と集落の間には10メートル近い高さの防潮堤が建設されていましたが、およそこの高さの津波がきたと考えると、恐ろしくてなりません。

 集落も空地が目立ち、まだまだ災害はその爪痕を残していました。