令和元年7月16日 靖国神社みたま祭 旧招魂斎庭・鎮霊社 拝礼

 靖国神社みたま祭の最終日のこの日、同社をお参りするとともに、境内の旧招魂斎庭と鎮霊社を拝礼しました。

 昭和22年(1947)に前年の長野県遺族会を中心とした奉納民踊を原型としてはじまったみたま祭ですが、昭和24年にはみたま祭前夜祭に先立ち、靖国神社に合祀されている祭神(戦没者)のみならず、それ以外の一般戦没者も慰霊する「慰霊祭」が同社神職の発意のもと行われ、以後「諸霊祭」として恒例のお祭りとなりました。

旧招魂斎庭

 その諸霊祭が行われた場所が旧招魂斎庭(本殿向かって左側の境内地)であったといわれ、常磐木の神籬をたて、そこへ臨時に諸霊を招くかたちで行われていたそうです。もともと旧招魂斎庭では昭和12年(1937)まで招魂式(招魂祭)が行われ、それ以降招魂斎庭は現在地に移りました。

 昭和40年(1965)に旧招魂斎庭の奥(元宮の隣)に「鎮霊社」が建立され、嘉永6年(1853)以降の戦没者で靖国神社に祀られざる御霊、および同年以降の諸外国人の戦没者を祀ることになり、以後鎮霊社の例祭が諸霊祭にかわっていきました。

鎮霊社(右側は元宮)

 みたま祭最終日、靖国神社にお参りするとともに旧招魂斎庭および鎮霊社を拝礼し、全ての戦没者に慰霊・追悼のまことをささげ、平和への思いをあらたにしました。

イラン沖「有志連合」の結成と日本の参加に反対する 「外交の安倍」は平和的解決のため今すぐ行動を

「有志連合」ではなく核合意復帰へ

 米トランプ政権が、ホルムズ海峡などを航行するイラン沖の民間船舶の護衛を実施する「有志連合」の結成と参加について、各国に呼びかける予定であることが明らかとなった。

ホルムズ海峡で炎上するタンカー 米国はイランの攻撃と認定したがイランは否定している:日経ビジネス2019年7月12日

 米国とイランは長年にわたり対立し、核問題などで対立が先鋭化することもあったが、オバマ政権が核合意を取り付け事態が打開された経緯がある。このたびのイラン情勢の緊張は、そうした核合意を米国が一方的に離脱したことが主因である。

 その上で、イラン側が関与を否定しているホルムズ海峡におけるタンカー攻撃を口実に「有志連合」の結成と参加を各国に呼びかけるなどということは、イランを挑発し、緊迫した情勢に火に油を注ぐようなものである。イラン沖に米軍を中心とした艦隊が集結すれば、イラン側も相応の対応をせざるをえず、「軍事対軍事」の緊迫するなかで不測の事態が発生しないとも限らない。

 イラク戦争においても、米国は「有志連合」を結成し開戦に踏み切った。こうした過ちを二度と繰り返してはならない。米国は「有志連合」の結成ではなく、イラン敵視政策を見直して核合意へ復帰するべきだ。

単純な「反米」論を乗り越えて

 花瑛塾は単純で反射神経的な「反米」を主張するものではない。日米は最大のパートナーとして良好な関係を維持するべきと考えている。

 一昨年の米朝緊張の際には、花瑛塾は朝鮮半島へ空母打撃群を派遣するなど軍事的威嚇を行った米国に抗議したが、何よりもまずミサイル発射など安保理決議違反の軍事的挑発は絶対に許されないと北朝鮮に対して強く糾弾した。

イラン沖要図:東京新聞2019年7月10日

 花瑛塾は「反米」や「反北」といった「ポジション」ありきではなく、東アジアの平和のためにあくまでも米朝の対話を求めたのであり、単純で反射神経的な「反米」論を乗り越え、物事の本質を追及するのが花瑛塾のスタンスである。

 それはイラン情勢においても同様だ。是は是、非は非として訴える必要がある。米国の行動が「是」であれば、躊躇せず米国を支持することだろう。

 しかし、このたびのイラン情勢の緊張は、米国による一方的な核合意の離脱などトランプ政権のイラン敵視政策が要因といわざるをえない。最近話題になったダロック前駐米英大使の外交公電には、「イラン核合意がオバマ氏の合意だという理由から、外交的破壊行為に踏み切ろうとしている」との趣旨の文言が記されていたともいわれるが、米国がこうした一方的なイランへの敵視政策を見直し、核合意に復帰すれば、事態の解決ははかれるはずだ。

 もちろんイランは米国以外の国と締結されている核合意を維持し、米国を刺激するような発言や行動は控える必要がある。

「外交の安倍」は平和的解決のための努力を

 その上で、安倍政権は絶対に「有志連合」に参加してはならない。「有志連合」参加は、戦争への道に一歩踏み出すことを意味する。断固として拒否するべきだ。

 菅官房長官は12日、米国による「有志連合」の結成と参加要請について、「状況に応じて適切に対応したい」と述べ、きっぱりとした拒否の姿勢や意思を示していない。

 地理的制約を取り払い、地球の裏側まで米軍の後方支援をすることを認めた重要影響事態法や、駆けつけ警護や国連非統括型の国際貢献活動への自衛隊派遣なども可能となった改正PKO協力法などの安保関連法の成立により、自衛隊の海外派遣のハードルは一気に下がっている。安倍政権は「有志連合」に参加するため何らかの法的根拠を見つけ出すかもしれない。

 戦後神道界を代表する言論人葦津珍彦氏は、朝鮮戦争勃発時、米国の二軍としての日本再軍備と海外派兵に反対し、日本人が再び海外で人々に銃を向けることを戒め、平和を模索した。安倍総理も「外交の安倍」と称される外交力を発揮し、事態の平和的解決に向けて今すぐ行動するべきだ。

本年も靖国神社みたま祭(7月13日~16日)に献灯しました

 7月13日から4日間、靖国神社では毎年「みたま祭」が行われ、各界著名人が揮毫した雪洞や有志による提灯などが奉献されます。花瑛塾は昨年、一昨年に引き続き、本年の第73回みたま祭に花瑛塾も献灯しました。

 みたままつりは昭和21年(1946)7月15日に長野県遺族会の有志が境内で奉納盆踊りを行なったことを契機とし、靖国神社神職坂本定夫氏と民俗学者柳田国男氏が意見交換を重ね、翌年7月から正式に「みたま祭」として執行され、現在に至ります。

 昭和21年の奉納盆踊りには数万人の参拝者が集ったそうです。終戦後、GHQにより解体を含む厳しい圧力にさらされ、参拝者も少なくなっていた靖国神社にとって、久しぶりに社頭が賑わう出来事だったそうです。

 みたま祭の神学的基礎づけは柳田『先祖の話』の影響によるもので、仏式の盆行事とは異なるものとされています。むしろ柳田は、先の大戦の末期、わが子の召集や折口信夫の養子藤井春洋の戦死などを受け、「(日本―引用者注)固有の生死感を振作せしめる一つの機会」について思索していました。特に若くして戦場に散った戦没者の慰霊を大きな課題としており、仏教儀礼も含め祖先祭祀・死者祭祀の民衆的・民俗的あり方を深く希求していたそうで、新たな民衆的な基礎を持つ慰霊祭祀のあり方を模索していた靖国神社と交流を深めたそうです。

 靖国神社はGHQにみたま祭を「フォークの祭(民俗行事)」と説明していますが、昭和24年より祭の前夜祭に先立ち、靖国神社に祀られない一般戦没者を祀る「諸霊祭」も執行されています。いわゆる「A級戦犯」の靖国神社への合祀以前の、一般戦没者をも慰霊の対象とする、民衆的基盤を持つ祭祀という「フォークの祭」を通じ、靖国神社における戦没者慰霊の多様性や戦後の戦没者慰霊のあり方などに思いを巡らせていただければ幸いです。

【香港己亥宣言】逃亡犯条例改正問題について戦う香港の仲間たちが宣言を発表しました

 香港では先日来より、香港政府が刑事事件の容疑者を必要があれば中国本土に引き渡す逃亡犯条例の改正案の制定を目指し、これに反対する市民による100万人あるいは200万人の規模の抗議行動が発生しています。

 林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官は、逃亡犯条例改正案成立を見送りましたが、香港では市民の抗議行動は終息せず、同条例の撤回と林鄭行政長官の退陣を求める声が高まっています。また一部の市民が香港の立法会に突入・占拠し、警官隊による強制的な排除がおこなわれるなど、緊張が高まっています。

市民の抗議行動を報じるニューヨークタイムス紙

 花瑛塾亜細亜倶楽部も6月14日より香港に渡り、200万人規模の市民のデモに参加するなどしましたが、そうしたなかで香港で逃亡犯条例改正案撤回・林鄭行政長官退陣を求めて戦う仲間たちが「香港己亥宣言」を発表し、同宣言を広めて欲しいと同宣言の和訳、英訳、韓国語訳を預かりましたので、ここに紹介します。

《香港己亥宣言》

 開港からおよそ180年が経ちました。

 《香港己亥宣言》は現在、即ち2019年に香港市民の合意に基づき起草されます。2014年に民衆の自由を追求するために行われた雨傘革命に呼応するものです。

 危急存亡の秋、我々はこれより《香港己亥宣言》の起草を支援し、《香港己亥宣言》の和訳を提出します。

  1. 香港市民を代表して宣言します。香港市民は普遍的価値と社会制度を追求することを自任します。生まれながらにして持っている自由、公民権と参政権、そして真に香港市民を代表とする制度。
  2. 現在香港の基本法(憲法)は既に効力を失っています。香港市民で香港基本法を修正する必要があり、確実に港人治港、高度自治、そして香港内政を中華人民共和国の国防と外交に伴う事柄以外の干渉を拒否します。
  3. 各政府組織の内部は腐敗しています。我々は、関連する指導者による謝罪、辞任を求めます。
  4. 基本法の修正と23条の廃止を含み、基本的人権を犯す全ての基本法条文と法律の廃止を要求します。政府側もまたその威信に掛けて、22条から成る基本法を制定すべきです。
  5. 香港人の利益と権利を守るため、政治システムを改革し、香港人の利益と権利を施政方針の首位とすること。
  6. 従って、真の民主主義を成し遂げるために、香港の政治制度の改革を再始動し、行政長官および立法会全議席に対する普通選挙の実現を訴えます。
  7. 香港政府は雨傘革命と旺角フィッシュボール革命、逃亡犯条例改定案反対デモの間に逮捕された人々、それらに関連し逮捕された人々と政治犯を直ちに無条件で釈放せよ。また、将来に渡り、彼らを迫害しないことを保証せよ。
  8. 香港政府は警官隊を監査する独立監査委員会を設立することを約束し、逃亡犯条例改定案に反対するデモ隊に対して警官隊が過剰な武力を行使した実態を調べなければなりません。香港警務処処長は責任を取って辞任しなければなりません。香港警察は香港の市民に謝罪しなくてはなりません。
  9. 香港の未来のために血と命を捧げた英雄に感謝し、記憶を風化させないよう7月2日を香港法定記念日に制定することを求めます。我々は香港の「血の6月」「血の7月」を決して忘れません。

《홍콩기해선언》한국어 번역문

홍콩이 개항한 이래 180년이 되었다.

민중의 자유를 추구하고자 행하여진 우산혁명에 호응하는《홍콩기해선언》은 현재, 즉 2019년 홍콩 시민의 합의에 뿌리를 두고 그 초안을 형성할 것이다.

홍콩 민주주의가 존망의 위기를 맞은 7월, 나는 이 자리에서《홍콩기해선언》의 기초를 지원하고자 《홍콩기해선언》의 한국어 번역을 홍콩의 민주주의자들에게 헌납한다.

  1. 우리는 홍콩시민을 대표하여 선언한다. 홍콩시민은 보편적 가치와 사회제도를 추구할 것을 자임한다. 태어나면서부터 가진 자유와 공민권, 참정권, 그리고 진실하게 홍콩시민을 대표로 하는 제도를 추구할 것이다.
  2. 현재의 홍콩 기본법(헌법)은 이미 그 효력을 상실하였다. 홍콩기본법은 홍콩시민의 손으로 수정되어야 한다.홍콩은 홍콩인의 손에 의하여 다스려져야 할 것이며, 고도의 자치가 보장되어야 한다. 국방 및 외교에 관련된 사항 이외의 명목으로 중화인민공화국이 홍콩의 내정에 간섭하는 것을 거부한다.
  3. 각 정부조직의 내부는 부패하였다. 우리는 이에 관련된 책임자의 사과와 사임을 요구한다.
  4. 홍콩기본법의 수정과 23조의 폐지를 포함하여 기본적 인권을 침해하는 모든 기본법 조문과 법률의 폐지를 요구한다. 정부 또한 그 위신을 걸고 22조로 구성된 기본법을 제정해야 한다.
  5. 홍콩인의 이익과 권리를 지킬 수 있도록 정치체계를 개혁하고, 홍콩인의 이익과 권리를 시정방침의 수위에 둘 것을 요구한다.
  6. 따라서 진정한 민주주의를 이루고자 홍콩의 정치제도 개혁을 다시금 시작하여, 행정장관 및 입법회 전체 의석에 대한 보통선거의 실현을 호소한다.
  7. 홍콩정부는 우산혁명과 왕자오 피쉬볼 혁명, 도망범조례개정안 반대 데모 동안 체포된 사람들 및 그들에 관련되어 체포된 사람과 정치범들을 조건없이 즉각 석방하라. 또한 앞으로 그들을 박해하지 않을 것을 보장하라.
  8. 홍콩정부는 경관대를 감사할 독립감사위원회를 설립할 것을 약속하고, 경관대가 도망범조례개정안에 반대하는 데모대에 대하여 경관대가 과잉무력을 행사한 시래를 조사하라. 홍콩 경무처장은 책임을 지고 사임하라. 홍콩 경찰은 시민에게 사과하라.
  9. 홍콩의 미래를 위하여 피와 목숨을 바친 영웅들에게 감사하며, 기억이 풍화되지 않도록 7월 2일을 홍콩의 법정기념일로 제정할 것을 요구한다. 우리는 홍콩의 「피의 6월」, 그리고 「피의 7월」을 결단코 잊지 않을 것이다.

金鐘宣言 / 香港人民爭取其應有之普世價值及社會制度宣言
Admiralty Declaration
  1.  對於過去數日,以至近數年之港人抗爭運動,皆為香港人為爭取自己應有的權利,所作出之公民抗命活動,所有熱愛香港的人民將一直支持此等抗爭直到永遠 Regarding the recent incidents of civil disobience, we the people who love Hong Kong shall support the movement till the end of time
  2. 謹代表香港人民宣誓,香港人民將永遠以追求本來應有之普世價值及社會制度為己任 On behalf of all HKers, we shall never cease pursuing universal values and rule of law
  3. 對於行政,立法,司法機關等,香港人民已無法容忍,若不立即進行改革,人民必將舉起手中的武器及盾牌,推翻暴政,推翻議會 HKers can no longer stand the injustice that is our government. We shall raise our shields and arms to overthrow the puppet Legislative Council and the Government
  4. 沒有民主選舉是一切問題之根源,必須馬上修改立法會議席及行政長官產生辦法,若非落實全民普選,誓不罷休 The lack of a democratic election is the root of all evils. Unless universal suffrage and a just election system are in place, we shall never stand down.
  5. 各大政府組織內部腐敗不堪,要求相關領導人士立即道歉,下台 Principal officials shall show accountability and step down.
  6. 要求政府立即釋放相關被捕示威者及政治犯,還他們一個清白 Gov’t must release all detainees and underwrite that they shall never pursue prosecution
  7. 政府必須承諾追究警隊以不當武力鎮壓示威者,警隊必須向全港市民致歉 Gov’t must investigate police brutality and apologize
  8. 於立法會提出議案,必須將近年運動定性為公民抗命民主運動,而非暴動 The recent movements shall be known as democratic movements instead of riots.
  9. 無限感激所有為香港未來付出鮮血和生命的人民英雄,要求立法將6月9日定為香港法定紀念日 6th of June shall forever go down in history and become an official holiday
  10. 毋忘香港血色六月 We shall never forget June of 2019

沖縄タイムス1面コラム「大弦小弦」に取り上げられました

 6月24日の沖縄タイムス1面コラム「大弦小弦」(記者:阿部岳氏)に花瑛塾々長仲村之菊のコメントが取り上げられました。

 コラムの内容は、前日23日の「慰霊の日」に関連し、沖縄に配備されている陸上自衛隊第15旅団などの自衛隊員が制服を着用した上で、沖縄戦の日本軍沖縄守備隊牛島満司令官らが祀られている「黎明之塔」を訪れ、牛島司令官らの自決時間にあわせて集団で参拝していることを取り上げ、「自衛隊は日本軍の後継者なのか、違うのか」と問うものです。

 花瑛塾は日々、身を挺して国の防衛に励む自衛隊員に心からの敬意を表するものですが、沖縄の陸自トップ以下隊員が制服を着用し集団で沖縄戦時の日本軍司令官らを祀る慰霊碑を参拝することに対しては、強い違和感を覚えます。まして「慰霊の日」は牛島司令官らの自決の日でもあり、いくら自衛隊員らが「私的参拝」と強弁しようとも、日本軍司令官らの自決の日の自決の時間に参拝することは、歴史的にも政治的にも思想的にも大きな意味があります。

 自衛隊はそもそも、日本軍とは一線を画す実力組織として設置されたのであり、その活動も旧軍のようなものではけしてなかったはずです。例えば沖縄では、自衛隊は不発弾処理や離島の緊急患者の輸送など民生支援を中心に職務に励みました。日本軍は住民を守らなかったが、自衛隊は住民のために職務に励んだ─だからこそ当初は自衛隊アレルギーのあった沖縄で、自衛隊は一定の理解と信頼を得たのではないでしょうか。

 自衛隊が日本軍の後継者であろうとし、制服を着用し沖縄戦時の日本軍司令官らを祀る慰霊碑への集団での参拝をあらためないのであれば、自衛隊は沖縄戦での日本軍による住民殺害や戦争犯罪についてどう受け止めているのか説明する必要があり、日本軍の後継者として謝罪する必要すらあるのではないでしょうか。

令和元年6月24日 花瑛塾第18次沖縄派遣団(海軍司令部壕、嘉数高地「青丘之塔」)

 花瑛塾第18次沖縄派遣団は24日、沖縄戦時、海軍部隊が配備されるとともに、小禄半島に上陸してきた米軍を迎え撃つための激戦地となった海軍司令部壕(豊見城市)を見学しました。

 海軍司令部壕は爆撃などにも耐えられる重厚な造りの地下壕ですが、ツルハシなどを用い全て人力で建設されたといいます。また沖縄戦の最末期には、多数の兵士が司令部壕に籠り、立錐の余地もなかったといいます。司令部壕では海軍部隊の司令官や幕僚たちが自決しています。

 また沖縄戦時、上陸し南下する米軍を迎え撃つための第一防衛線であり、米軍に「忌々しい丘」とまでいわれるほどの激戦地となった嘉数高地(宜野湾市)を見学し、当時のトーチカなどを見学しました。同高地は比謝川を挟み高台となっていますが、日本軍は反斜面陣地といわれる戦術で米軍を大いに苦しめたといわれていますが、一方で付近の住民などは戦闘に巻き込まれ被害にあいました。

 嘉数高地には沖縄戦で犠牲となった朝鮮半島出身者を慰霊する「青丘之塔」が建立されており、慰霊・追悼のためお参りしました。沖縄戦では日米の兵士や沖縄住民のみならず、朝鮮半島出身者や台湾出身者など、アジアの人々も戦争に巻き込まれ犠牲になっています。

令和元年6月23日 花瑛塾第18次沖縄派遣団(沖縄慰霊の日)

 花瑛塾第18次沖縄派遣団は沖縄戦における日本軍部隊が壊滅し、組織的戦闘が終わったとされる沖縄慰霊の日のこの日、戦跡や慰霊碑などを訪れ、全ての犠牲者に慰霊のまことをささげました。

アブチラガマでの慰霊祭

 早朝、沖縄戦犠牲者の遺骨の納骨場所であり、現在は慰霊碑となっている「魂魄の塔」(糸満市米須)を参拝しました。もともと同地で亡くなった戦没者の遺体・遺骨がそのままになっている状況で、同地に一時収容されていた真和志村民が遺骨を収容し、現在の「魂魄の塔」の場所に収容しました。後に遺骨は移され、慰霊碑となりました。なお「魂魄の塔」と名付けたのは翁長雄志前知事の父で収骨作業に尽くした助静氏といわれています。

 その後、「魂魄の塔」の付近のひめゆり学徒の一部が自決した荒崎海岸に向かい慰霊の念を捧げ、アブチラガマ(南城市糸数)での慰霊祭に参列しました。

 アブチラガマは陸軍病院の糸数分室(分院)が置かれ、ひめゆり学徒が不眠不休で負傷者の看護にあたったといわれています。もともとは住民の避難場所でしたが、日本軍が陣地とし、朝鮮半島出身の女性が「慰安婦」とされた「慰安所」まで設置されました。その後、沖縄陸軍病院糸数分室として利用されましたが、すぐに前線から後送される負傷者で満杯状態になったといわれています。

荒崎海岸

 戦局の悪化により陸軍病院が解散した後は、重傷者と一部の日本兵、そして避難住民の雑居状態となり、ガソリンや黄燐弾による米軍の攻撃をうけました。ガマから人々が投降したのは8月22日のことであり、ガマの外は少しずつ復興が始まり、ガマの内は緊迫状態という、戦中と戦後が同居したかたちになっていました。

令和元年6月22日 花瑛塾第18次沖縄派遣団(沖縄全戦没者追悼式前夜祭)

 花瑛塾第18次沖縄派遣団は22日、沖縄戦の最後の激戦地となり、日本軍沖縄守備隊の司令部があった摩文仁の平和祈念公園内の沖縄平和祈念堂(糸満市)で開催された沖縄全戦没者追悼式前夜祭に参加しました。

 沖縄県では日本軍沖縄守備隊が壊滅し、組織的戦闘が終焉した6月23日が「慰霊の日」と定められていますが、例年その前日の22日に沖縄平和祈念堂で前夜祭が開催され、琉球古典音楽や琉球古典舞踊の奉納演奏・奉納演舞が行われています。

 なお奉納演奏では、例年、上皇さまの琉歌が演奏されておりますが、今年も引き続き演奏されました。上皇さまの琉歌を奉納演奏に取り入れたのは、沖縄学の泰斗で自身も沖縄戦に従軍した経験のある外間守善氏ではないかといわれています。

 その他、空を照らす「平和の光の柱」や献火台に鎮魂の火をともす儀式なども行われました。

令和元年6月22日 「沖縄とともに─慰霊の日をむかえて─」シンポジウム(東京弁護士会)

 弁護士会館にて開催された「沖縄とともに─慰霊の日を迎えて─」のシンポジウム(主催:東京弁護士会)に参加しました。

 シンポジウムでは、第一部として沖縄戦研究の第一人者であり、特に名護市など沖縄北部の沖縄戦の展開について詳しい川満彰氏より「沖縄戦における陸軍中野学校と護郷隊の役割」とのテーマでお話しを伺うとともに、第二部として本多滝夫氏より「辺野古埋立てをめぐる法律上の問題の現在」とのテーマで辺野古新基地建設をめぐる国と沖縄県の行政訴訟などについてお話しを伺いました。

 特に川満氏からは、沖縄戦時、名護市など沖縄北部に配備され米軍とゲリラ戦を戦った少年兵部隊「護郷隊」を率いたり、離島残置諜者として波照間島や与那国島など離島に配備され秘密戦を展開した中野学校出身の諜報要員と沖縄戦の関わりについて、詳細にお話しを伺うことができました。

 なかでも護郷隊の少年たちは、戦時において壮絶な体験をし、異様な精神状態で戦場を過ごしたため、一部の元少年兵は戦後しばらくすると、突如として匍匐前進を始めたり、隣家の監視をするなど、異常行動を起こすようになりました。現在でいうPTSDの症状の一種ということができると思いますが、元少年兵たちは近隣の住民に「兵隊の幽霊がついた」などと気味悪がられ、「兵隊幽霊」「戦争幽霊」などと呼ばれたそうです。

 戦争がいかに人々の精神に負担を与え、異様なものにしてしまうか考えさせられます。これは米兵や自衛隊員など現在の軍事組織でも同様の事態が発生しており、現代においてなおしっかりと考えていくべきことではないでしょうか。

令和元年6月21日 花瑛塾第18次沖縄派遣団(北部訓練場前アピール、農林隊慰霊祭)

 花瑛塾第18次沖縄派遣団は21日、沖縄県東村と国頭村にまたがる米海兵隊の演習場である北部訓練場前にて、ノグチゲラの営巣期間が終わり7月1日から再開される歩行訓練ルートなどの工事や、オスプレイをはじめとしたヘリの飛来など米軍の演習について、今のままの状態でいいのかあらためて皆で考え直そうと訴えました。

 北部訓練場では2016年、高江ヘリパッド問題で大きく報道されたように、ヘリパッドが新たに建設され米軍に提供されるかわりに、訓練場の過半が返還されました。

 政府はこれをうけて、沖縄の基地負担軽減といいますが、実際には新たに建設されたヘリパッドはオスプレイの離発着が予定されており、ヘリパッド同士と米軍に提供された宇嘉川河口を結ぶ進入路や歩行訓練ルートを用い、陸海空一体となった実戦的な演習が実施可能となり、実施的な基地機能の強化に他なりません。

 また名護市辺野古で進められている新基地建設と北部訓練場は無関係ではありません。辺野古新基地には200機ものオスプレイが配備されるといわれていますが、そこを飛び立ったオスプレイは北部訓練場に飛来し、演習を繰り返します。もちろんオスプレイが離発着するすぐ近くには集落があり、人々の暮らしがあり、そしてノグチゲラやヤンバルクイナはじめ希少生物の生命の営みがあります。

 そればかりではなく、伊江島では強襲揚陸艦の甲板を想定した着陸帯LHDデッキが完成し、垂直離着陸が可能なステルス戦闘機F35Bや大型輸送ヘリCH53の離着陸がおこなわれています。辺野古新基地には強襲揚陸艦が接岸できるとともに、大型輸送ヘリも当然駐機可能であり、高江─辺野古─伊江島は在沖海兵隊の基地や演習場として一体となった拠点であるといえます。

 これにより沖縄内部でも基地負担が沖縄北部に押しやられ、不可視化されることにもなります。辺野古のみではなく、高江─辺野古─伊江島など海兵隊を中心に沖縄全体の基地のあり方について根本的に見直す議論が必要ではないでしょうか。

 その後、東村宮城の北部訓練場返還地LZ21地区において、チョウ類研究者のアキノ隊員(宮城秋乃氏)の先導で米軍が使用したと見られる空薬きょうを発見しました。北部訓練場のあるやんばる地区は国立公園となっており、北部訓練場返還地も国立公園に編入されましたが、米軍が残置したとみられる空薬きょうや空包などが多数発見されており、やんばる地区における米軍基地と環境問題は現在進行形の問題といえます。

 

 また沖縄戦時、沖縄県立農林学校生徒が召集・動員されて結成された農林鉄血勤皇隊(農林隊)が最後を迎えた東村内福地において、現在の県立北部農林高校生徒らによる慰霊祭に参列しました。

 農林隊は沖縄北部に配備され、国頭支隊といわれる日本軍部隊とともに八重岳付近で米軍との交戦しましたが、日本軍部隊は戦況が不利になると撤退を始め、彼ら農林隊を戦場に置き去りにして逃亡し始めました。農林隊は散り散りとなるなか、部隊の主力は東村まで転々とし、同村内福地で最後を迎えました。